第15話 消えない傷の鎮魂歌④

 メッシュは、空を見上げて少しの間黙っていた。

 私は、なんとなくいつもと違う、大人びた彼の横顔を横目で眺める。


 勝手に子供みたいに感じていたけど、思っていたより、メッシュはずーっと大人なんだ。


 ――やがて。


 メッシュは落ち着いた声で、ゆっくりと……言の葉を音にした。


「……今回みたいなことがね。過去にも、何度も起こってるんだ。騎士団と僕たちの間にある確執は、根っこが深くて……汚い。デュー、だから教えてほしい。君は……幻滅しないのかな?」


 膝の辺りでぎゅっと握られた、彼の指は……少し震えているように見える。


 私は、ふ……と小さく息を吐いて、同じように膝に置いていた自分の手に視線を落とした。


 メッシュにちゃんと応えなきゃならないって感じたんだ。


「……幻滅はしてないよ。魔法が『そういう扱い』だってことは、わかってたもの。ただ、だからこそ悔しかったみたい」


「えっ? 悔しい?」


「うん。自分になにができるのかは、わからない。でも、もっと協力できてたら違ったのかなって思ったから」


 言い切った私に、メッシュはぽかんとした顔をして、それから、大人びた表情のまま、小さく微笑んだ。


「そっか……そうなんだ。……ごめんね、デュー。僕、君のこと見くびってたみたい」


「え?」


「僕ね、デューが幻滅して、ここから……研究所から、いなくなっちゃうんじゃないかって思ったんだよ。でも……うん。所長はわかってたんだね」


 ん、ルークス? なんでルークス?


 首を捻る私に、メッシュは眩しいものでも見るかのような顔をして、続ける。


「君みたいに真っ直ぐな人がいるってこと、忘れてたみたい。僕は君を認める。この先、君を疑わない。一緒に戦おうね、デュー」


「――う、うん?」


 認める? 疑わない?

 これ、そんな話だったかな?


 わけがわからず聞き返した私に、メッシュはなにか言いかけて……まるで少年のように、にっと歯を見せた。


「……じゃあ、あとは所長に聞いてよ、デュー!」


「ええっ? またルークス? ……わっ!」


 びゅおお、と風が鳴く。


 同時に、私の髪がぶわあっと巻き上げられ、慌てて両手で頬へと押さえつける。


 お風呂上がりでまだ少しだけしっとりした自分の蜂蜜色の髪が、ぐるんぐるんと風に流されるなか、私は見た。


 ――ざあぁっ!


 龍。闇を切り裂く炎のような紅い龍が、頭上を過ぎていく。


 その巨軀は、前に乗せてもらったメッシュの龍より何倍も大きく、きっと顎を開けば、私なんかひと呑みにしてしまえるだろう。


 巻き起こった風が庭園の草花を激しく揺すり、葉が、花弁が、暗闇のなかで舞い上がった。


 やがて、紅い龍が木々の向こうに下り立ったのか、ずしんと揺れを感じ……私は立ち上がる。


 もう、誰がやってくるのかは、メッシュに聞かなくてもわかったから。


 私は、木々の向こうからこちらへと歩いてくる彼らを、黙って待った。


 私と同じように、闇のなかに浮かぶ木々のほうを見ていたメッシュをちらっと窺うと、彼は、なんとなく嬉しそうに唇の端を持ち上げている。


「……どうしたんだ? ふたりして」


 そうして、思ったとおり、白い上衣を夜の闇に浮かび上がらせたルークスの声が飛んできた。


 彼の横、アストは喋らなかったけど。


 ――そういえば、ルークスとアストはお城に行って、今回のことを詳しく調べてたんだよね。


 そこでふと思い当たる。もしかしてメッシュは、彼らの帰りを待つために庭園に出てきたのかも。


「デューが眠れないっていうから、お話してたんだ~。おかえり、所長、アスト!」


「お話って……だいぶいい時間だぞ? ……まあでも、誰かが待っててくれるのは心強いな。な? アスト」


「ふん。……湯冷めして体調不良になられても同じ台詞が言えるのか? ルークス」


「ん……。お前、そんなだから……まあいいや。メッシュ、デュー。少し話がしたいから、ウイングとランスを所長室に呼んでくれ」


「それなら、僕とアストで行くよ! アスト、ランスをお願いできる?」


「……わかった」


 短く返事をして、アストはすぐに歩き出す。


 メッシュは私をちらっと見ると、にこっと笑ってみせた。


 たぶん、ルークスと話をするようにってこと――だよね。


 暗闇のなか、研究所へと入っていくメッシュとアストを見送ったところで、私の肩にばさりとなにかがかけられた。


 ルークスの、白い上衣だ。


「うん?」


 見上げると、彼は大袈裟に肩をすくめて笑った。


「これで本当に体調崩したら、俺がアストにどやされるからな。髪、ちゃんと乾かしてから外に出てくるように!」


「――ああ! 湯冷めって、私のことだったんだ。すごい、よく見てるね?」


 自分の髪を手で梳くと、やはりしっとりしたままだった。


 アストもルークスも、目がいいんだなぁ。


 そう思っていると、ルークスは呆れたように続ける。


「デュー、もうちょっと自分に気を遣って……いや、もういいや。それで、なにか話したいことがあるのか?」


「えっ!?」


 なんでわかったのかと、ルークスをまじまじと凝視すると、ルークスは右手で頬を掻いて、苦笑した。


「メッシュがあからさまな態度とってたからさ。……どうした? 眠れないって」


「あー、眠れないっていうのは関係あるような、ないような……。えっとね、ルークス。メッシュが、私が幻滅しちゃうんじゃないかって言ってて……」


「なるほど。その話か」


「聞いてるの?」


「まあな。城に向かうとき、メッシュが翼竜を呼んでくれたからさ、そのときに聞いた。……それで、なんて応えたんだ?」


 ルークスはさっとあたりを見回すと、ベンチへと私を促す。

 さっきまで私とメッシュが座っていたベンチだ。


 なんとなくそれが面白くて、口元が緩む。

 ルークスは訝しげな顔をしたけど、私が座ると、黙って隣に座った。


 夜の闇は相変わらず私達を包み込み、空に瞬く幾千の星々が優しく照らしてくれている。噴水から噴き出した水がさらさらと心地よい音を奏でていた。


「幻滅してないって応えたよ。魔法がそんなふうに扱われてるのはわかってたから。だから、悔しいって」


 私が空を見ながら紡ぐ言葉を、ルークスはどう受け止めただろう。

 横目で窺うと、彼は口元を引き結んだまま、空に向けて、右手を開いて真っ直ぐに伸ばしていた。


「星は……」


「うん?」


「死んだ人の魂だって言われててさ。知ってるか?」


 唐突に話し出したルークスは、燃え盛る炎のような赤い髪を揺らして、空を見渡した。


「きっと、あの中に騎士達もいてさ。――悔しかったよな、きっと。こういうことが何度も繰り返されてきたのが、この国であり、騎士団であり、王立魔法研究所なんだ」


「……」


「でも、デュー。俺はお前の目に、強い光を見た。人のためにと願う、意志を感じた。……正直、未知の魔物退治なんて危険な真似……誰にだってさせたくないんだ。でも、騎士達や、俺達は、戦う力がある」


 ルークスはかざした手をぎゅっと握る。

 その瞬間、溢れた感情が形になったかのように、指の隙間から炎が散った。


「デューなら、きっと立ち向かう。俺の直感がそう言った。だからメッシュにも伝えたんだ。……大丈夫、危険なときは俺が皆を守り切る――必ず」


 ルークスの目には、力強い光。

 皆を守ると言い切ることができる頼もしさは、私と歳が変わらないにも関わらず、人の上に立つに価するものだ。


 それに、ルークスの言葉は、私をちゃんと見てくれているからだってわかったから……嬉しかった。


 格好良いなあ……。どうやったら、こんなふうに強くなれるんだろう?

 もう少し、ルークス自身の話を聞いたらわかるだろうか。


 そう考えて、私はふと思い至った。


「そういえば、ルークス……最初に食堂で話そうとしてくれたこと、覚えてる?」


「ふ、奇遇だな! いま、俺もそれ考えてたんだ。俺のこと……ちゃんと話してなかったよな。――雷の魔法についても。そろそろ皆が集まるから、明日の移動中に話すよ」


 その言葉に、私は目を見開いたと思う。


 雷の魔法を使うことについて、皆がなにかを隠しているのはわかってる。そして皆も、それを知ったうえで私に隠していたはずで。


 心の片隅で疎外感を感じていたのは、確かだったけど……皆が自分から話をしてくれるまで、待っていようと思ってたから。


 だから、ルークスが雷の魔法のことを話すと決めてくれたのが、素直に嬉しかった。


 ルークスはそんな私の様子を察したのか、目を細めて笑うと、立ち上がって右手を差し出した。


「デュー、不安にさせてごめんな。この先、本当に大変になる。それでも、王立魔法研究所の一員として、ともに戦ってくれるか?」


 彼は、私を疑いもしていない。真っ直ぐな瞳が、それを証明してくれている。


 ……そんなの、いまさらだよ。

 私は、精一杯の気持ちを込めて、大きく頷く。


「――勿論!」


 彼の手をぎゅっと握ると、ルークスは破顔して、私を立たせてくれた。


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