5-107 策士

 それから暫くして、アスラトル領主アリスティド公爵から命じられたとおり、彼の実弟であるオディアル・アリスティド海軍統括将は『ノーブルブルー襲撃事件』の再調査を実施した。


 が、問題が一つ発生した。シャインがロワールハイネス号の艦長であった事件当時の報告書が、海軍省の書類保管庫から消えていたのである。

 厳重に鍵をかけた保管庫から誰が書類を持ち出したのかはわからずじまいで、結果、シャインは王都から派遣された役人に、事件当時のことを最初から語らなくてはならなくなった。


 そして世間は再び『ノーブルブルーの悲劇』に関心を持った。

 アリスティド公爵自らが執り行った裁判の模様が海軍広報紙に掲載されたため、海軍省は『ノーブルブルー襲撃事件』に関して、意図的に情報を規制していたことを公にしたのである。


 当時情報規制に関わったとされるアドビスを始め、エスクィア、トリニティ、オーラメンガー、コルムの海軍卿四名は免職となり海軍省から去ったが、それ以上の処分は課せられなかった。


 けれどシャインには理解できなかった。

 何故アドビスはそこまでしてかつての<六卿>を海軍省から追い出すことにこだわったのだろうか。


 アドビス達が官吏と共に審議の部屋を退出した後、シャインはアリスティド公爵に呼び止められ二人だけで話をした。アリスティド公爵はまず最初に、娘ディアナをリュニスから救出してくれた礼をシャインに述べた。


「そなたたちグラヴェール親子には本当に世話になった。それなのに、私にはここまでしかできぬ。そなたはあの海軍卿に殺し屋を差し向けられたというのに、残念だが奴らの罪を問う決定的な証拠がない」


「いいえ。閣下の温情ある判決に納得はしています。これで俺は自分の言葉であの事件のことを話すことができます。ただ……」


 シャインは語尾を濁した。再びあの疑問が胸中を過る。

 アドビスはまるで道連れにするかのように、<六卿>の退陣を狙ったのだ。


「どうした?」


 アリスティド公爵の申し訳なさそうな声に、シャインは慌てて首を横に振った。


「いえ、あの……何故父はそのような司法取引を閣下としたのかが……実は気になって……」


 アリスティド公爵は白くなった眉をひそめ、じっとシャインの顔を見つめた。


「どこの世界に自分の息子に殺し屋をけしかけられ、黙っている親がいる? 私は若い頃のそなたの父を知っているが、その頃の彼なら、きっと自ら決闘を申し込み殺していることだろう。無論、私とて同じ思いだ。グラヴェール家は多くの優秀な海軍将校を輩出し、エルシーア海の安全を守ってきた。当主であるそなたの父が海軍に対する想いはさぞ深かろう。そなたの父はあのような卑劣な輩が海軍卿として、海軍省に留まることが許せなかったのだよ」


 シャインはしばし返答に詰まった。

 そう。海軍を愛するアドビスの心境を考えればそれしか思いつかない。

 俯いたシャインは肩にアリスティド公爵の節くれた指がのっていることに気付いた。


「公爵閣下……」

「どうした。浮かぬ顔だな」

「いえ、今回の事件を起こしたのは俺ですから……父には申し訳ないことをしてしまいました。ですから、俺も海軍を――」

「それには及ばん」


 部屋の扉が開き、アリスティド公爵の弟、オディアルが入ってきた。


「統括将閣下」


 オディアル・アリスティドは兄公爵の隣へ並んだ。この二人は双子ではないが、雰囲気が良く似ていた。


「アドビスが隠居なんてありえぬよ。まだ早すぎる」

「しかし……公爵閣下の判決は」


 オディアルは兄公爵と視線を交わしてにやりと笑んだ。


「海軍卿から退陣させたが、アドビスにはやってもらわねばならない仕事がある。「ノーブルブルー」壊滅の噂が諸国へ流れているせいで、再びエルシーア海に海賊たちが戻りつつあるのだ。それらを取り締まる新艦隊を編成せねばならぬ。まだ内密にしてほしいが、アドビスにはその仕事を手伝ってもらう予定だ」


 アリスティド公爵が弟とそっくりな笑みをシャインへ向けた。


「そなたの父はほんによ。リュニスと国交を結べば南方から新たな船がやってくる。『招かれざる客海賊共』も一緒にな。それを見越して司法取引を持ち掛けてきおった。年内にはアノリアに海軍の南方司令部が作られ、ダールベルク家と折半の上、軍港も作ることになるだろう」


 オディアル・アリスティドがシャインの肩を叩いた。


「そしてグラヴェール艦長。あの事件に関してお前の処分はすでに終わっている。引責など誰も求めておらん。私が与えた一年の休暇の終わりが、大変な事になったがな」


「ありがとうございます。統括将閣下。けれどおかげで俺は、やっと外を自由に歩くことができます。そして……できれば海軍ここで、人々の海の安全を守る任務に就きたいと思います」


「うむ。実に頼もしい言葉だ! 海軍も世代交代の時期だな、オディアル?」


「なんの! 私はまだ退くことを考えておりませんぞ。兄よ。国王陛下からも激励のお言葉を賜りましたし。まずは新たな<六卿>の選出をせねばなりませんからな」


 アリスティド公爵は意味ありげにシャインを見つめた。


「そうだったな。でも有望な若者がここにおる。きっとエルシーア海軍名簿の一番上に、名を連ねることになる者がな」




 ◇◇◇




 『ノーブルブルー襲撃事件』の再調査はシャインが思っていたよりすんなりと進み、ひと月後、海軍省が主催する遺族へ最初の報告会も終了した。


 シャインは自分の言葉で遺族にすべてを報告した。憤る者も中にはいたが、大半の遺族は冷静にその事実を受け止め、シャインの報告にじっと耳を傾けていた。


 ファスガード号の生存者からの証言で、あの状況でエルガード号の奪還は難しかったことが挙げられたからである。寧ろ、戦わなくては自分達も船と共に沈められていた。


 ノーブルブルーを率いるラフェール提督や、ファスガード号艦長ルウムが最初の砲撃で亡くなっていた事をこの時初めて知ったファスガード号の生存者は、指揮を引き継いだシャインの勇気を讃えた。


 報告会の模様はアスラトルの街で最も出回っている新聞紙<エル・イースト誌>の誌面で特集を組まれるほど大きく扱われた。


 そのせいでシャインは、街ですれ違う人々に声を掛けられることが多くなった。

 大半はシャインに対して同情的な感情を抱く人々だった。

 彼らは寧ろ不祥事続きの海軍の今後を憂い、また、シャインがグラヴェール家の跡取りであることを知ってか、海軍復帰を望んでいることを声高にしゃべった。




 ◇◇◇




「まあ……あなただったの?」


 兄ミリアスより穏やかな水色の瞳を見開いて、ミリカの母であるミリーが玄関口で驚嘆の声を上げた。

 エルドロイン河岸の桟橋で、荷の積み込みをする日雇い労働者が多く住まう<東岸地区>――ここにミリカの家がある。


 シャインははにかみながら、人目を忍ぶように真深に被った黒い帽子のつばを片手でつまんだ。白い飾り襟をつけ黒い外套を羽織った私服姿だった。


「お久しぶりです。ミリーさん。ミリカさんはいますか?」

「え、ええ……」


 ミリーは慌てたように周囲を見回し、シャインを家の中に入れてくれた。


「兄のミリアスから詳細をきいています。もう、お体の具合はいいんですか?」

「はい。おかげ様でよくなりました。だからこうして、ミリカさんに会いに来ました。それから……」


 シャインは後ろにいたロワールを呼び寄せた。

 ロワールは今日は側面の髪を三つ編みにして後頭部でひとまとめにしていた。つばのついた白い帽子を被り、ひざ下までの白いワンピース姿だ。


「お邪魔します。シャインの付き添いでロワールと申します」

「あらまあ。なんて可愛いお嬢さんかしら」


 ミリーがくすりと笑いながら意味ありげにシャインを見た。


「お二人ともどうぞ。急だから散らかってますけど……」


 案内された居間はこざっぱりとしていて、甘い花の香りに満ちていた。

 ミリーは花屋に勤めているので、おそらく売り物にならないそれを貰っているのだろう。

 卓上のガラスの花瓶はもとより、暖炉の上にも切り花が美しく飾られている。

 河に面した窓際にも色とりどりの花々が植えられた鉢が置かれ、シャインは気持ちが落ち着くのを感じた。


 部屋の中には円卓を囲んで、大きな椅子が一つと中くらいのものが一つと小さなのが一つ。

 大きな椅子の横の床には、水兵達が身の回りの品をつめて船に持ち込む衣装箱シーチェストが置かれていた。


 シャインの視線に気付いたミリーが口を開いた。

 その声は今も動揺しているかのように震えていた。


「グラヴェールさん、実は……エルガード号に乗っていた夫が生きてたんです」

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