5-48 侵攻の真相
リュニスの軍隊がアノリアを制圧してから一週間が過ぎた。
シャインはリュニス皇帝の住む宮殿内にある兵舎に一室を与えられ、表向きはバーミリオン皇子付きの近衛兵として彼に仕える事を命じられていた。
だがシャインがバーミリオンの側にいることはなかった。
他ならぬバーミリオン自身がそれを拒んだのだ。
「私はお前という人物をよく知らない。陛下の許可を得てリュニスの民になったことは祝福するが、それと私付きの近衛兵とは別の問題だ。お前の身柄は近衛兵隊長サセッティに一時預け、近衛兵としての心構えと礼儀作法をしっかり身に着けることが先決だ」
バーミリオンの言い分は当然だといえる。
皇子付きの近衛兵は信用あるものにしかなれない。いつエルシーアに寝返るかわからない、まして数日前にリュニスの国籍を与えられた人間を傍には置きたくないだろう。シャインがバーミリオンの立場なら同じことを考える。
「まあ兄上は――いや、陛下は、人を見る目は誰にも引けをとらぬ。お前の亡命を受け入れたのも、何かをお感じになったからだと私は思う」
バーミリオンはシャインの肩に手を置いて、ふっと親しみを感じる笑みを浮かべた。
「お前の努力次第だ。サセッティ隊長がお前を私付きの近衛兵として推挙してくる日があれば、今度は私もそれを受け入れよう。リースフェルト」
◇
シャインは兵舎の自室で、木の寝台の上に寝転がりながら物思いに耽っていた。
リュニス軍に制圧されたアノリアのことを思うと胸が疼く。
ここでも自分はリュニス皇帝やバーミリオンから信用されていなかったということを痛感せずにはいられない。リュニス皇帝に謁見したとき、彼はシャインにこう言った。
『アノリアに入れなくなってはや一月。リュニスへも戻る事ができぬ我が民達のことが心配だ。商人達もダールベルク家が、アノリアからリュニス人を排除しようとしているという噂をきいたそうだ。
よって近日、アノリアに船を向かわせる。バーミリオンを使者としてダールベルク家に向かわせ、その真意を訊ねるのだ。その船にそなたも同行してもらう。ダールベルク伯爵の息子と面識があるのなら、伯爵もそなたのことを信用するだろう。もっとも、そなたの語ったエルシーアでの身元が真実であったなら、な』
リュニス皇帝はダールベルク家との話し合いを望んでいたのではなかったのか。
いや。
ダールベルク家の方に、何かがあったというべきか――。
話し合いのためとはいえ、リュニス側は三隻の軍艦にそれぞれ武装させた兵士を乗せてアノリアへ向かった。シャインはバーミリオンと一緒に彼の船「青の女王」号に乗っていたが、そのものものしさは、まさにこれから戦場へ赴くように見えた。
そして本当に戦闘は行われた。
バーミリオンの「青の女王」号を含め、他の二隻の軍艦は、アノリアの西の港へ向かった。だが港の背後にある山のほうから、アノリアが大砲でリュニスの船を砲撃してきたのだ。
リュニス皇帝が言っていた話は本当だった。
アノリアは港を封鎖しリュニスの船が入出港できないようにしている。
だがバーミリオンはそれにひるまず、リュニスの軍艦は西の港へ無理矢理侵入した。ダールベルク家の私兵はバーミリオンの反撃に恐れをなしたのか港にはいなかった。
バーミリオンいわく、ダールベルク家の私兵はアノリアを守るほどの十分な数がいないらしい。
けれど一か月以上、アノリアから出る事も入ることもできないリュニスの船の窮状を見るにみかねて、バーミリオンは彼らを救助するためにアノリア侵攻を試みたのだ。
バーミリオン率いるリュニス軍は、彼らの国民を軍艦に乗せ、街の北側にあるダールベルク伯爵邸へと向かった。
「勘違いするな、リースフェルト。私は戦をしに来たのではない。ただ、何故我がリュニスの民をアノリアから排除しようとするのか、陛下が使者をダールベルク家に送ったが、未だその返事がない。使者もリュニスへ戻らぬ……」
土埃にまみれ汗が伝う額を拭いながら、バーミリオンの顔に強い焦燥感が浮かぶのをシャインは見た。
「今日という今日はダールベルク家に赴き、アノリア封鎖の理由と、なんとしてでも使者を返してもらう」
シャインはバーミリオンが『使者』にこだわっていることに気付いた。
「バーミリオン様。差支えがなければお教え下さい。ダールベルク家に向かった使者とは、あなたにとってとても大切な方なのですね?」
「リースフェルト……」
バーミリオンが半ば茫然としたようにシャインの顔を見た。
彼は一瞬照れたように目を細め、小さく吐き捨てるようにつぶやいた。
「ふっ。気付いてしまったのなら仕方がない。そう。私にとってとても大切な者だ。彼女は将来私の妃となるのだからな」
けれどバーミリオンの隊がダールベルク家に到着した時、そこはもぬけの空であった。
おそらく伯爵夫妻を逃すための時間稼ぎであろう。ダールベルク家の私兵達は屋敷の門を守るために必死にリュニス軍と戦った。やっとのことで彼らを倒し、屋敷に足を踏み入れたバーミリオンは、屋敷の中に使用人しか残されていないことに激怒した。
「どこだ! どこにいる! ダールベルク!」
ダールベルク伯爵と、この屋敷に捕らえられていると考えられる、リュニス皇帝から使わされた使者――おそらくバーミリオンの許婚の女性。二人を探すため、屋敷の屋根裏から地下室までくまなく捜索がなされた。けれど、二人の姿を発見することができなかった。
バーミリオンは大きく不満を態度で表わさなかったが、屋敷に向かう時のような覇気はすっかり消え失せていた。
シャインはバーミリオンから先に帰国を命じられた。リュニス皇帝から直接今回のことを命じられたこともあったので、その報告のために帰されたのだ。
それで西の港へ戻る途中、シャインはアノリア港に見知ったエルシーアの軍艦が一隻いるのを見た。 それがまさかジャーヴィスのアマランス号だったとは。
シャインは彼らに警告するため、街の方へ駈け出していた。
西の港にはジャーヴィスのアマランス号をもしのぐリュニスの軍艦が三隻、兵士を乗せて待機している。ダールベルク伯爵を取り逃がし、使者を取り戻せなかったバーミリオンがアマランス号の存在に気付いたら、彼らは確実にリュニスの捕虜になるであろう。
同時にシャインは、今まで自分が見聞きした出来事を、エルシーアにいるアドビスへ伝えたいと思っていた。ヴィズルがアノリアにいるはずなのだが、町中で起きた戦闘を警戒してか、彼と接触することはおろか、どこにいるのかもわからない。
ヴィズルの鳥、『ツウェリツーチェ』に託してもよかったが、すぐにアノリアへ向かうように命じられたので、シャインは未だロワールハイネス号に戻ることもできなかった。
表向き死んだ人間になっているシャインだが、姿を見られるというリスクを冒しても、そろそろ第一報をアドビスに送らねばならないと思っていた。
リュニスがアノリアに侵入した理由は、止むを得ないものだったから。
これをアドビスに伝えなければ、エルシーアとリュニスの間で戦争が起きてしまう。
『勘違いするな。リースフェルト。私は戦をしに来たのではない』
そう。バーミリオンはリュニスの民を救いに来ただけなのだ。
その事実を、なんとしてでも伝えなければ。
◇◇◇
「さてこっちの事情はすべて話してきかせた。今度はシャインがお前に託したものを披露してもらおうか」
ジャーヴィスは握りしめていた小さな金属の筒を、アドビス・グラヴェールの差し出す大きな掌の上に落とした。
「ときに尋ねるが、お前の
アドビスの問いの意味がジャーヴィスには咄嗟にわからなかった。
「と、申されますのは?」
思わずアドビスに聞き返す。
アドビスは小さくため息をついて、受け取った金属の筒をしげしげと眺めた。
「蓋がこじ開けられた形跡はない。中身が改ざんされていては意味がないからな」
「……」
ジャーヴィスがこの通信菅を見つけたのは、シャインに殴り倒されて足元がおぼつかないミリアスに肩を貸した時だった。彼の軍服の内ポケットにこれが覗いたのが見えたのだ。
そういえば、シャインは地面に倒れたミリアスの胸の上に
シャインは元々争いを好まない穏やかな気性の青年だ。すでに意識を失っている者へ、これ以上の屈辱を与えるような行為をすることは考えられない。
ジャーヴィスはミリアスを支えながら、彼の内ポケットから金属の筒を抜き取った。なんとなくだが、わかったのだ。
シャインがこれを持って帰ってもらいたいということが。
「頭が固いお前にしてはよくやったというべきか」
「グラヴェール補佐官!」
ジャーヴィスはむっとしてアドビスを睨んだ。珍しく大きく表情を変えないアドビスが、笑いをこらえるように口を閉じて肩を小刻みに震わせている。
「悪かった。ジャーヴィス艦長。これを無事に持ち帰ったお前の働きには感謝している」
口ではそういいながら、アドビスが手にした金属の筒を開ける様子は全くない。
中身が気になるジャーヴィスの気持ちを察したのだろう、アドビスが小さく頭を振って口を開いた。
「ジャーヴィス、悪いがこの中身をここで開封するわけにはいかぬ」
「グラヴェール補佐官。私は……」
アドビスは金属の筒を握りしめ席を立った。
「ジャーヴィス、お前の身の安全も考えてのことだ。知らなければその罪を問われても答えようがない。今日の所はこれで満足して帰るのだ。忘れるな? お前の体はもはやお前だけのものではないことを。屋敷でお前の帰りを待つ、
鋭い猛禽のような光を放つアドビスの青灰色の瞳がジャーヴィスを射抜いた。
ジャーヴィスはアドビスに反論できなかった。
彼の瞳の中にはまるで海の底のように暗い深淵が広がっていた。そこを覗き込むと、足元がすくむようなとてつもない悲壮感に圧倒された。
ジャーヴィスは悟った。
アドビスは愛する者を失う悲しみを、誰よりも深く知っているということを。
そして今もその深淵に落ちることを、何よりも一番恐れていることを。
それを理解したジャーヴィスは、己の好奇心が海の泡のように消えていくのを感じた。
「申し訳ありません。今日は補佐官には大変ご無理ばかり言ってしまいました。ありがとうございます。ですが、何かお役に立てることがあれば、何でもお命じ下さい。私はいつでもあなたの元に駆けつけます」
「ありがとう、ジャーヴィス。味方が少ない私にとって、お前は心強い存在だ」
アドビスは言葉少なく礼を述べた。
こういってはなんだが、ジャーヴィスはアドビスが以前とは確実に変わりつつあるのを感じた。
いや、本来の彼を「取り戻しつつある」というべきか。
参謀司令官だった一年前、アドビス・グラヴェールは他人に関心を持たず、他の将官からもその機嫌を損ねることを恐れられる、人間味の欠けた冷酷な人物で有名だった。
それは彼自身の息子に対しても例外ではなかった。
けれど、アドビスは確実に変わりつつある。
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