5-12 嫌疑
これは誰かの嫌がらせか。
シャインもディアナも、それぞれが身に覚えのない『本人』からの手紙でこの場所に呼び出された。
ディアナの婚約者であるノイエがここに来たのも、ひょっとしたらその手紙の送り主の仕業かもしれない。シャインの懐にはそれを証明する、ディアナの偽手紙が入っている。けれどそれをノイエに見せたところで、人目を忍ぶようにディアナと二人きりでこの場所にいたことは隠しようのない事実である。
「ノイエ様、シャイン様は……」
シャインはディアナの前に出て彼女の言葉を制した。庇う必要はない。
むしろ彼女がシャインをここに呼び出した、なんて言い出したらそちらの方がやっかいだ。婚約が破談にはならないだろうが、ディアナに恥をかかせるわけにはいかない。
シャインは冷静な面の中に、突き刺さる刃物のような目をしたノイエの顔を見て、彼のディアナへの思いがとても深いことを察した。大人であるノイエは、薄い唇を噛みしめて動揺を抑え、自分を制しているようだった。シャインはディアナの前から離れ、ノイエに向かって頭を下げた。
「確かに軽率な行動でした。非礼をディアナ様とあなたにお詫びいたします。けれど、ディアナ様は私にとって大恩のある方。少しだけ、個人的に婚約のお祝いを申し上げたかったのです。それ以外の他意はありません。どうかお許し下さい」
「……そうか」
暫しの沈黙の後。
ノイエが理解したという風にうなずいた。
「私が思っていたよりも、君はずっと紳士だ。顔は上げてもらって良い」
やはりめんどうなことになった。
この庭園に来たのは確かに軽率な行動だった。あの手紙が本物であったとしても、来るべきではなかった。ディアナを思えばこそ。
シャインは顔を上げきるその僅かな時間で、ノイエに気付かれないようディアナの様子をうかがった。
ディアナは眉間を曇らせ淡い紅を引いた唇を震わせていた。
そのすみれ色の瞳は謝罪と許しをシャインに向かって乞うていた。
「君の気持ちはわかったよ。個人的に……ね」
ディアナの隣に並んだノイエは、おもむろにディアナの右手首に視線を落とした。そのまま彼女の手を取って持ち上げる。
「ノイエ様?」
「失礼。あまりにも美しい輝きなので気になったが……聖純銀か。悪くはないが、公爵令嬢が身に帯びる品としては少々地味で安っぽすぎるな。石の色も淡くて見栄えがしない。今日の貴女の装いには、是非私が見立てたインペリアルローズの薔薇石と黄金の髪飾りに、同じ石の
首飾りは別に用意してある。白銀で飾られた貴女はとても美しいが、だからこそ金や色石の方が映えるのだ。今日は私達の婚約を祝うために多くの方がわざわざ来て下さっている。それに相応しい装いをしなくては」
「ええ……」
ディアナはそっとノイエの手から手首を引き抜くようにして振り解いた。
右手につけているシャインから贈られたブレスレットを庇うように左手で覆う。
「ノイエ様、そろそろ屋敷に戻りましょう。私も支度をしなければなりませんし、祝賀会の時間が迫っていると思います」
ノイエはうっかりしていたといわんばかりに「そうだ」と、シャインに向かって話しかけてきた。
「私は君に用が会ってここに来たのだった。女中の一人が君が庭園に入るのを見たと言っていたから。まさかディアナ様と会っていたとは思わなかったので、すっかり忘れていたのだが」
立ち去るのならさっさと行けばいいものを。
行って良いのなら自らそうしたいシャインは、自分に用があると言ったノイエを疑惑の目つきで見上げた。
「君がここにいるのは好都合だ。他の来賓の目につかないよう、出ていってもらえるからな」
「どういう意味ですか。ノイエ様」
ディアナが説明を求めるようにノイエの腕に手をかけた。
ノイエは黒に近い青い瞳を伏せながらディアナに向かって頷くと、顔を上げて広場の出入口の生け垣に呼びかけた。
「入ってきていいぞ。お探しのシャイン・グラヴェールはここにいる」
「……」
ノイエの背後の出入口から、赤と黒の軍服を纏った憲兵を二人伴って、目つきの鋭い黒服の男が入ってきた。
「何者ですか。この方たちは」
「我々には関係のないことです。ディアナ様。ご友人との挨拶も済んだことですし、戻りましょう」
けれどディアナは腕をつかもうとしたノイエの手を振り払った。
「ここはアスラトル領主アリスティド公爵家の敷地。憲兵とはいえど、当主の了解なくここに入ってきたのなら、速やかに立ち去りなさい」
ディアナは黒服の男とシャインの間に割って入り、すみれ色の瞳を細めて語気鋭く言い放った。黒服の男は綺麗に後方に撫で付けた髪の頭を深々とディアナに下げた。
「アリスティド公の了解はこちらにいるノイエ様を通じて得ております。ディアナ様の御前をお騒がせして申し訳ありませんが、当方は司法局のラビエルと申します。そちらにいるシャイン・グラヴェールを任意同行するために参上しました」
「……どういうことです?」
「どうもこうもない」
ノイエが苛立ったように呟いた。
「貴女のご友人に告訴状が出ているだけのこと。尤も、身に覚えのないことなら取り調べも早く終わることだろう」
ノイエは「早く取り押さえろ」とラビエルに向かって小声で囁いた。
「わかりました」
「ちょっと待って下さい!」
沈黙を守っていたシャインは、近付いてきた憲兵とラビエルに向かって叫んだ。
「俺は何の容疑で、一体誰に告訴されたのです?」
「それは司法局で話す」
「令状は?」
「持っている」
「見せてくれ」
「時間がない」
シャインは生け垣の茂みの方に後ずさった。
目つきの悪いラビエルの昏い顔を睨み付ける。
「あなたは本当に司法局の人間なのか? 容疑は言えない、令状も見せない。任意と言いながらそんなことで俺を連行するというのはおかしいだろう?」
「……確かに、彼の言うことは正しいな」
しびれを切らしたのかノイエが口を挟んだ。
「エルシーア海軍参謀司令官として許可する。ラビエル、彼にかけられている容疑を言ってやれ」
「よろしいのですか?」
ラビエルが声を潜めてノイエに話しかけた。
「ディアナ様がいらっしゃいますが」
「構わん。あの方の叔父君も無関係ではないからな」
「ノイエ様。あなたはこの事についてご存知なのですね? 何故シャイン様が司法局の取り調べを受けなければならないのですか?」
ノイエはさも言いにくそうに唇を歪め、ディアナの肩にそっと右手を置いた。
「恐ろしい陰謀です。海軍省を巻き込む大きな疑惑に、貴女のご友人が関わっていると勇気ある者が告訴状を司法局に出しました。よって我々は身内とみなされ、彼の事を取り調べることができません。私もこの件では独自に調査をしているのですが……」
ディアナはノイエの腕を振り払い、白い頬を怒りに赤く染めながら、ラビエルと後ろに控えている憲兵の前――庭園の通路に出る入口まで歩いていった。
ラビエル達はディアナに通路を譲り後方に控えた。彼等を後ろに従えたまま、ディアナはすみれ色の瞳をこの理不尽な茶番劇に付き合わされた怒りで細めながら、ノイエを睨み付けた。
「それだけではよくわかりません。シャイン様が仰るように、この場でその憲兵が持つ令状を見せなさい。それができないのなら、私は領主アリスティド家の娘として、あなた方全員、即刻屋敷からの退出を命じます!」
白い頬を怒りに赤く染めるディアナへ、ラビエルは無表情で同じ言葉を繰り返した。
「申し訳ありませんが、ディアナ様のお言葉でもそれはできません」
「何故」
ラビエルに向かって更に口を開きかけたディアナを、ノイエが黙ったまま腕を伸ばして制した。
「……ディアナ様」
ノイエの声色は驚くほど静かで優しかった。
「お気持ちはわかりますが、そんなことをなさっても、貴女の友人には告訴状が出ているのです。兎に角司法局に行かないと、彼は本当に『犯罪者』になってしまうのですよ?」
犯罪者というノイエの言葉を聞いて、揺るぎない瞳で彼を睨んでいたディアナの表情が一瞬震えた。
ノイエはディアナの昂った感情を落ち着かせるように、険しかった目元を緩め静かに微笑んだ。右手を伸ばして乱れたディアナの前髪をそっと直し、壊れ物を扱うように優しくその頬に触れる。
「シャイン・グラヴェール」
ノイエが感情を抑えた低い声でシャインの名を呼んだ。
「……はい」
シャインは仕方なく返事をした。
実際自分の身に何が起きているのかさっぱりわからないが、ディアナやノイエに迷惑をかけていることはわかっている。
ディアナを見下ろしていたノイエの瞳が、生け垣の前に佇むシャインを見つめる。それは冷たい青白い炎を宿していた。
「君は紳士だ。そして海軍士官として礼節を重んじる精神が君の中にあるのなら、どうすればよいのかわかっているだろう?」
一言一句、幼い子供に言い聞かせるようにノイエの口調は穏やかだが、その言葉にははっきりとした圧力と敵意が込められている。
事を荒立てないように、黙って司法局へ行けということだ。
でなければきっと力づくで彼等はシャインを連行する。
いや、最初からそのつもりだったのではとシャインは感じた。
ここはアスラトル領主アリスティド公爵の屋敷である。ディアナも言った通り、司法局の人間とはいえ、おいそれとその敷地内に入ることはできない。
アリスティド公爵の了解は恐らくとってはいまい。
ひょっとしたら海軍のことに絡んでいるので、公爵の指示で参謀司令官であるノイエがここに来たのかもしれないが。
どのみち今日は多くの来賓が公爵の屋敷に招かれている。彼等の目の前で捕物となれば興が冷める。シャインの父アドビスの立場も悪くなる。
『だから配慮してここを選んだのだ』
シャインを睨み付けるノイエの目はそう言っているように見えた。
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