4-45 赤熊のティレグ
「じゃあ坊や、行く前にちょっと手伝っておくれよ」
「……ストーム?」
ストームはシャインに背を向けると、湯気をあげている鍋が載ったかまどのそばまで歩いていき、左隣にある木棚の前に来るとしゃがみ込んだ。戸を開いて中をごそごそかき回していたが、取り出したのは細いロープの束だった。
ストームはそれを手にすると、台所の中央に置かれた机のそばに座り込んだ。
一部始終を見ていたシャインは、彼女の意図を理解した。
「そうだな。しばらく不自由するけど辛抱してくれ」
差し出されたロープを受け取って、シャインは座り込んだストームの背後に回った。ストームが手を背面に回したので、左手で持ったロープでそれを巻き付け口を使って結び目を絞る。
「右手が使えないから……少し甘くなってしまった」
「構わないよ」
その気になればストームは、縛ったロープからすっぽり手を抜くことができるだろう。余ったロープの先を机の太い足に巻き付け結んでからシャインは立ち上がった。その様子を座り込んだストームが見上げている。彼女の視線に気づき、シャインは眉間の力を抜いて微笑した。
「まさか、あんたに助けられるなんて思わなかった。島を出たら、金を工面してジェミナ・クラスのあんたの店に届ける。それで……いいか?」
「それで頼むよ。ホント、あてにしてるからね」
ストームのつぶらな瞳がうるうるしている。手が使えたなら両手をきっと揉み合わせているだろう。
思わずそれを想像し、シャインは肩をすくめてひっそり笑ってしまった。
シャインが何故笑うのかよくわかっていないくせに、ストームも分厚い唇を震わせてにやりと微笑した。
「じゃあ、ティレグを連れてくる」
ストームの笑みが凍り付いた。口元だけひきつったまま。
「なっ、なんだってぇ! こ、こここここで話すのかい!」
「時間がないんだ。ティレグがその気になるまで待っていられない。夜明け前には島が見えなくなるくらい、沖に出ていたいんだ」
「そ、それもそうだねぇ……じゃ、あたしには一切構わないでおくれよ」
ストームはやおらシャインに背を向けて、ごろんと机の下で横になった。
背を向けたままつぶやく。
「あたしはあんたに殴られて、気絶したフリしてるから。いいね?」
「ああ。わかった」
その様は年に似合わず、どこか可愛らしいものを感じる。
再びこみ上げてきた笑いを無理矢理噛み殺し、シャインはストームから酒場に出る扉へ視線を移すとそれに近付いた。
両肩をおおう布がついた白い帽子を目深に被り直し、軽く息を整え扉を開く。
目の前に再び人々の喧噪と、酒の香りに包まれた大広間の光景が現れた。
ティレグの姿はすぐに見つかった。台所への扉を開けると、右手に木のカウンターがあり、その中央あたりの席で一人酒をあおっているのが見えたからだ。
シャインはうつむいたままティレグへと近付いた。
大広間の端の方では、ちょっとした催しが始まった。おどけた道化師のように原色の派手な長衣をきた男が情熱的な弦楽器を弾き、それに合わせて酔った海賊達が手をうったり、その場で足を踏みならして踊りだしている。
シャインは足を止め、その様子をちらりとながめた。見た所、船長であるヴィズルはこの場にいないようだ。彼は今どこにいて何をしているのか。
そのことも気になるが、今はティレグからスカーヴィズ殺しについて、知っていることを聞き出すことが先決だった。
カウンターには数人の海賊達が座っているが、皆、大きな口を開けたまま、酔いつぶれて寝入ってしまっている。その中でティレグだけが黙々と酒を口に運んでいる。
古風なデザインのグラスに琥珀色の酒をたっぷり注ぎ、それを喉に流し込むようにほんの二口ほどで飲んでしまう。
ティレグは空になったグラスに、傍らにおいてあったビンから酒を入れようとして、それを握ったままふと動きを止めた。
シャインが傍らに立っていることに気付いたのだ。まるで夢でもみているように虚ろな目つきで顔を上げ、落ち窪んだそれが、シャインの姿を凝視している。
「お前は……さっきの?」
シャインのことを思い出したティレグは、どんよりとした眼を細めた。
シャインは黙ったまま酒ビンを握りしめているティレグの腕を取る。
「おっと、ストームから許しが出たのか? へっ、気が利くじゃねえか」
よろよろとカウンターに手をつきながらティレグが席を立つ。シャインはなるべく顔を見られないように気をつけながら、ティレグの腕をつかんで引っ張る。
「ちょ、ちょっと待てよ。そんなにしっかり握らなくても、俺はどこへもいかねえよ」
この男にしてはやけに陽気な口調だ。まるで葬式に出ているみたいに、暗い表情で酒を飲んでいたくせに。シャインが殴りつけて腫れた下顎は、まだ赤黒い色をしている。それは赤銅色の無精髭のせいで余計赤く見えてしまうのだろうが。
シャインは足元をふらつかせるティレグに歩調を合わせながら、台所に入る扉までたどり着いた。するとティレグは意外な顔をして眉をしかめた。
「おいここか? どうせなら俺の部屋にしねぇか?」
シャインは扉を開け放ち、再び素早くティレグの腕をつかむと中へ引っ張った。足元がおぼつかないから、それは思っていたよりも簡単だった。
ティレグは自らの体重も加わった勢いで、転げ込んでしまったから。
ティレグを引き入れてからシャインは台所の扉を閉めると、すぐにかんぬきの木を横へ差し渡した。
「痛ってえな……。思ったより力がある小娘じゃねえか。俺は、もうちょっと優しいのが好みなんだが……」
床に腹這いになったティレグがぶつぶつと文句を言っている。膝を立てて、のそりと身を起こす。両手を床について、顔を上げたティレグが、一瞬大きく喉の奥からうめき声を上げた。視線の先には、机の下で横になって倒れているストームの姿があった。しかも後ろ手に縛り上げられている。
「ストーム。どういうことだ一体……」
かちりと小さく鳴る金属音。
背後から響く感情を押し殺した声に、ティレグは両手をついたまま振り返った。
「どうせばれるのなら、あんなことをしなければよかった」
かんぬきを下ろした扉の前に立ち、シャインは白い帽子に手をかけて、それを脱ぎ捨てた所だった。帽子から手を離したそれには、黒光りする銃が握りしめられている。肩を超す程度の長い金髪を背に流したシャインは、緩慢と、だが隙を感じさせない動作で、銃口をティレグに向けた。
「てっ……てめぇは……」
よろよろと立ち上がったティレグの目の中に、一瞬怯えともとれる光が宿った。まるでその存在を否定するように、前にかざした右手を大きく振る。
「あの女……なんで、なんでだ! 術者の女め! 失せろ!!」
「――あの女?」
シャインが訝しんで声をかけると、ティレグははっとして呆然とシャインの顔を見つめ直した。荒くなった呼吸がゆっくりと収まっていく。
「……あ、ああ……てめぇか! なんでこんなところにいるんだ!?」
やっとシャインのことに気付いたティレグが、今にも飛びかかりそうな勢いで身構える。それをシャインは銃で制した。
「話を聞かせてもらいたのは、こっちの方でね。あんたにどうしても聞きたいことがある」
握りしめた銃でティレグの手を狙う。
「話だぁ? てめぇなんぞとする話なんかないぜ」
「お前になくてもこっちにはある。お前が二十年前、『月影のスカーヴィズ』を殺したことについてね」
シャインの口から出た言葉に、ティレグは驚きを隠せない表情で睨む。
「何のことだ。それに、てめぇがそんなことを知って、一体どうするんだ」
「ヴィズルの誤解を解く。スカーヴィズを殺したのが、アドビス・グラヴェールでないことを知れば、無意味な戦いを回避することを、考えてくれるかもしれない」
ティレグがそれこそ文字通り腹をかかえて笑い出した。地の底から響くような声質で、さも滑稽そうに肩を揺する。
息も絶え絶えになりながら、ティレグは乾いてきた上唇を舌でなめて、さも馬鹿にするような視線でシャインを見つめた。
「寝ぼけてるのか? てめぇが何でスカーヴィズ殺しの事を知ってるのかは、そこで伸びてるストームに吐かせたからだろうが、いいか、スカーヴィズを殺したのはアドビス・グラヴェールの野郎だ。何てったって、ヴィズルがそれを見てるんだ。可哀想に、まだガキだったヴィズルは、しばらくの間、黒マント姿の男を見る度、俺の腕にすがりついて怖がった。あいつを立ち直らせるのに、どれだけ時間がかかったと思う!」
シャインは油断なく銃を構えたまま首を振った。
「アドビス・グラヴェールに罪を着せるのはやめろ。あの人がスカーヴィズを殺せるはずがないんだ。あの人はスカーヴィズが宿敵を葬り去るために、わざと海軍にアジトの場所を知らせていたことを知らなかった。俺の母の知らせを聞いて、初めて海軍がスカーヴィズのアジトを襲おうとしている事を知り、それを彼女に伝えるために戻ったのだから!」
シャインの言葉に、睨みつけるティレグの顔から余裕の表情が失せていく。
「それに……聞いた話によれば、スカーヴィズを迎えにいったお前が、彼女を殺したのはアドビス・グラヴェールだと言ったそうじゃないか。お前はいつ、どこで、あの人に会ったんだ?」
ティレグの視線が宙を彷徨う。おどおどとそれを床に伏せる。
「そ、それは――船長室に入ったら、泣いているヴィズルの隣に、そう、アドビスが立っているのを見たんだ……ホントだぜ」
「ヴィズルはお前が保護したのか?」
「ああ、俺がアジトへ連れて帰った」
シャインは目を細めて唇の端を歪めた。
「俺の知ってる話と少し違うな。お前がヴィズルと一緒に戻ったなんて聞いてない。お前は一人きりだった」
「あ、あいつはボートの中に置いてきたんだよ! 早く知らせなきゃいけねぇって思ってたから、泣きじゃくるあいつが邪魔だったんだ」
シャインの笑みがさらに歪むのと対照的に、ティレグの顔からそれが消えていく。赤黒い肌をした額に、小さな汗の玉が浮かんでいる。
「あの人がいるということは、海軍の船がいるということだ。それを分かっているからお前は、アジトの仲間に知らせなくてはと思ったはず。ならば、当然海兵隊が島に上陸してくることも考えたはずだ。それなのに」
ティレグが奥歯を噛み締める固い音が聞こえる。
「ヴィズルをボートに残した? すぐに見つかって捕えられることは考えなかったのか? お前ほどの体格なら、小さな子供を小脇に抱えて運ぶことぐらい雑作もないはずだ。違うか?」
「邪魔だったんだよ! あいつが捕まろうがどうしようが、俺には関係ねぇ!」
ティレグが両手の拳を握りしめて叫ぶ。
「そうだったとしても、お前がアドビス・グラヴェールに会ったのは、お前がスカーヴィズを殺した後だ」
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