4-19 ジャーヴィス兄妹(2)

 昨日シャインがここへ来たのは知っている。

 眠っていたというのは実は嘘。

 言葉を交わせばシャインのことだ。自分を気遣っていらぬ詫びを口にする。


 呑気にこんなところで療養している自分と違い、シャインはアスラトルへ帰ってからも、事後処理に追われているはずなのだ。


 貴重な空き時間を割いてまで、ここへ来る必要はない。

 そう思ったからこそ、眠ったふりをして、彼が早く立ち去る事を願った。


「副長?」


 シルフィードが腰を浮かせる。


「あの人から詳しい事情が聞きたくなった。船を失った責任は私にもあるからな」


 ジャーヴィスは足を動かし、そろそろとベッドからそれを下ろした。両手でベッドの縁をつかんで、ゆっくりと立ち上がろうとする。


「おっと!」


 不意にぐらついたジャ-ヴィスの上半身を、シルフィードの太い腕が素早くつかむ。ジャーヴィスはシルフィードに一瞬だけ身を預けると、そのごつい肩に手を置いて、小さく微笑しながら自分の足で立った。


「ありがとう。はは――すっかり体がなまってしまったな」


 支えにしていたシルフィードの肩から手を放し、ジャーヴィスは照れたようにうつむいた。


 トントン!


 その時部屋のドアをノックする音が響いた。

 朝食の時間だろうか? きっと修道女に違いない。

 ジャーヴィスは白い寝巻き姿のまま「どうぞ」と答えた。


 「失礼します」


 開いた扉から部屋に入ってきたのは、若い二人の女性だった。


「……!」


 ジャーヴィスは思っても見なかった来客に度胆を抜かれ、呆然とした表情でベッドの縁に腰を下ろした。


「お兄様!?」

「ジャーヴィス!」


 ぱたぱたと足音がして、茶色の髪に淡いオレンジ色のドレスをまとった女性――ジャーヴィスの実妹である、ファルーナが駆け寄ってきた。


 シルフィードはそそくさと部屋の壁際にその大きな体を寄せ、ファルーナのために場所を開けてやった。


「あらあら……そこにいるのはロワールハイネス号の」


 ちょっとすました声でシルフィードに視線を合わせたのは、濃紺のケープがついた海軍の航海服をまとい、肩まで流れるような黒髪をなびかせた、紅の瞳を持つ女性士官。


 ロワールハイネス号と同様、後方支援業務に携わるファラグレール号艦長、リーザ・マリエステルその人だった。シルフィードは壁際に立って背筋を伸ばし、直立不動の姿勢をとった。


「どうも、その節は」


 しゃちこばりながらリーザを見つめ、軽くウインクして、白い歯をキランと光らせるようにアピールする。リーザは営業スマイルでそれに答えた。はなから相手にはしていないらしい。


「お兄様――どうしましょう……私……!」


 ジャーヴィスより明るめの茶髪をすっきりアップでまとめ、ドレスより少し濃いめのリボンをつけたファルーナは、いつになく動揺している様子でジャーヴィスの前に立った。


 白い顔が青ざめ、唇が震えている。

 どうしたらいいのかわからなくて戸惑っている様子だ。


 いつものおっとりした妹らしからぬ表情に、ジャーヴィスは眉をひそめ、真顔でリーザと、その後ろに控えているメイドのライラを交互に見つめた。


「体の具合はどう? ジャーヴィス」


 目があったリーザは、ファルーナを落ち着かせるようにその肩に手を置き、口を開いた。


「大丈夫だ。心配してもらってすまない。リ……いや、マリエステル艦長」


 にっこりとリーザが微笑んだ。

 その微笑に内心怯えつつ、ジャーヴィスは言葉を続ける。


「何かあったのか? それに二人連れ立って……?」


 黙ったままシルフィードは、ファルーナへ木の丸椅子をすすめる。


「ありがとうございます」


 ファルーナに礼を言われて、シルフィードはすっかり鼻の下を伸ばしている。

 きれいなお姉さんには目がないシルフィードのことだ。後で『あんな可愛らしい妹さんがいたなんて、信じられないですぜ~』などと、軽口を叩くだろう。


 彼の行動の素早さに舌を巻きつつ、ジャーヴィスは後で覚えておけよ、と言わんばかりにシルフィードを睨んだ。


 ファルーナは険しいジャーヴィスの視線に気付く事なく、椅子へ腰を下ろした。その後ろにリーザが立つ。


「ジャーヴィスの妹さんとは、海軍省のエントランスホールで出会ったの。それよりジャーヴィス。グラヴェール艦長ここに来てないわよね?」


 ジャーヴィスは目をしばたいた。


「ファルーナから聞いてないのか? 昨日の午後、私の見舞いに来たらしいが、それ以後は知らないぞ。あの人がどうかしたのか?」


 ファルーナとリーザは顔を見合わせ、疲れたようにめいめい息を吐いた。


「……いないんですって」

「……いない?」


 ジャーヴィスの声にファルーナが力なくうなずく。

 やがて彼女はうつむきがちのその顔を、ゆっくりと上げ、キッと淡い青の瞳をジャ-ヴィスに向けた。ぷっと頬がふくらんでいる。


「お兄様の意地悪」

「意地悪って? ……ファルーナ?」


 ただならぬ妹の怒りを感じ、ジャーヴィスの額に汗が浮かぶ。


「リーザさんから聞きました。エルシャンローズを下さったあの方は、お兄様の上官の方だったのに。なぜ、私にお名前を教えて下さらなかったのですか?」

「そっ……それは……」


 それにはいろいろジャーヴィス側の理由がある。

 シャインは忙しい身故、ファルーナが押し掛けたら迷惑になるだろうし、やっぱり会えないかもしれないし、それに……。

 脳裏で自分が最も嫌う“言い訳”を考え、ジャーヴィスは言葉を濁した。


「はいはい、時間が惜しいから、兄妹ゲンカは後程やっていただくことにして」


 軽くせき払いをして、リーザが割り込んだ。


「ファルーナさんはね、ジャーヴィス。海軍省の受付で一生懸命抗議していたのよ。教えてもらったグラヴェール艦長の実家にも間借先にも行ってみたけれど、留守だって」


「留守……? それはおかしいですぜ。艦長は謹慎中なのに。ひょっとしてまさか」


 黙って聞いていたシルフィードが口をはさむ。

 シルフィードの口調の変化に、ジャーヴィスは彼が何を想像しているのか瞬時に悟った。


「……ロワールハイネス号を探しに行ったというのか?」

「やっぱりジャーヴィスもそう思う?」


 動揺のかけら一つ見せずリーザが言う。やけに落ち着き払っているその様子に、ジャーヴィスは違和感を強く感じた。


「やっぱりってどういうことなんだ? 艦長、君は何を知っている?」


 リーザはふふふ、と小さく笑いを漏らし、黒髪をなびかせながら首を振った。


「その可能性はあると、グラヴェール中将閣下がおっしゃっていたからよ」

「グラヴェール中将……?」


 何でここでシャインの父親の名前が出るのか、ジャーヴィスはますます困惑してリーザを見つめた。


「あのね、ジャーヴィス。私がここへ来た理由は、実はグラヴェール中将からあなたを連れてくるように命じられたからなの。けれどあなたはまだ療養中の身でしょ? 起きあがれても歩けるかどうかは分かりませんが、と言ったら」


「……入っても構わないかね?」


 少し掠れ気味の、落ち着いた声がした。


 ジャーヴィスとシルフィードはお互い顔を見合わせ、表情を凍り付かせたまま、しばしその場から身動き一つできずにいた。


 出入口の扉に頭をぶつけそうになりながら、濃い金茶色の髪を後ろにかき上げている、背の高いがっしりした男が入ってきた。黒いシンプルな軍服には、金色の将官を表す肩章だけが光っている。


「グラヴェール中将閣下……」


 ジャーヴィスは、小刻みに震えだした両手を押さえ込むように、思わずそれを強く握りしめた。

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