4-3 葛藤

「な、何だ?」


 後ろを振り返ると同い年ぐらいの、しかも海軍の礼装を着た男がシャインの腕をつかんでいた。上下関係が厳しい海軍において、こんな非礼が許されるのは同階級か、それ以上の者だけだ。だが肩章を見た所、彼はシャインより二階級下の中尉だ。


「話を聞くから手を放してくれないか? こんなところを見られたら君は懲罰の対象になる」


 シャインは声をひそめて男に言ったが、相手は茶髪を振り乱して、薄い水色の瞳に、敵意を露骨に見せながらこちらを睨みつけている。

 手を放すどころかさらにその力が強くなって、シャインは眉間をしかめた。


「なに、あんたが地獄へ堕ちてくれるなら、俺も一緒に行ってやるよ。グラヴェール。あんたのやったことを許す人間なんていやしないんだからな!」

「……!」


 シャインは男をただ凝視した。

 強ばった視線で見返した。


 向こうは自分を知っているみたいだが、シャインは腕をつかむ男にさっぱり見覚えがない。だからこそ、すっと顔から血の気が引くのが感じられた。


 その時、男の背後から、こちらを気にするように黒服の将官が顔を向けるのが見えた。勘付かれただろうか。その勘は運悪く当たり、将官がゆっくりとこちらへ歩き出すのが見えた。シャインは叱責に似たささやき声で言った。


「話は後で聞く。早く腕を離してくれ」

「は! あんたがそんなにお優しいとは意外だぜ! 味方の船を砲撃して沈めたくせに!!」


 シャインは耳を疑って、しばし男を凝視していた。

 この場でそんなことを言われるのは、まずあり得ないはずだ。


 ノーブルブルー襲撃事件は、内部から手引きした人物がいると予想されるため、ファスガード号に乗っていた者達は、未だとある場所で隔離され、外部の人間との接触を禁じられているのだ。


 シャインも表向きは謹慎処分をアドビスから受けていた。この葬儀にも出なくて良いと言われていたが、実際そういうわけにはいかない。


 だからなるべく人目につかないようにしていたのだが。

 しかし目の前にいる青年は、どういうわけかエルガード号のてん末を知っている。


 エルガード号を奪回する手段が思い付かなかった自分が、ファスガード号を守るために、やむを得ず砲撃した事を。


 できれば、知られたくなかった。

 ここにいる人達の“大切な人”を奪ったのは、紛れもなく自分だという事を。

 

 急にのしかかってきた罪の意識に、シャインはどうすればいいのか戸惑い、その場に立ちつくしていた。途端、ざわざわした人の気配が感じられなくなった。


 まるで時間が止まったように、体の機能が一切動かなくなったかのように、呼吸すらできなくなったように、身動きすることもできず、ただ鏡のような男の目を見つめ――。


「何をしている!」


 誰かの叫び声で、シャインは我に返った。

 背中には冷たい汗がつたい、血の気が引いた両手の手先が、冷えきって軽くしびれている。


「放せ! こいつがエルガード号を沈めたんだぞ! 味方もろとも海に沈めたんだ! なんでのうのうとこんなところにいやがるんだよ!!」


 男は両脇を四人の士官達に、羽交い締めにされて罵声を上げていた。


「早く連れ出せ!」


 聖堂内は騒然となった。男は自分を押さえる士官達にひきずられていきながら、シャインから片時も目を背けず、大声で叫び続けた。


「ファスガード号に乗ってた奴から聞いたんだ! 嘘じゃない! 味方がいるとわかっていて、シャイン・グラヴェールはエルガード号を撃ったんだ。俺の兄貴が乗っていた、エルガード号を……」

「黙れ!」


 怒鳴り声と共に、男を殴りつける鈍い音が響く。男の叫び声が絶えた。

 埋葬地へ向かうため出入口にいた遺族が、その騒ぎに驚いて皆立ち止まり、ひきずられていく男の為に道を空けた。彼等の顔にはあきらかに動揺した表情が浮かび、その視線は祭壇近くにいる十数名の白い礼装姿の海軍士官達に向けられた。


「どういうことだ?」

「エルガード号は海賊に襲われたんだろ?」


 五十名あまりの遺族達が祭壇の方へ、ぞろぞろと歩み寄って来る。

 その時、誰かが背後からシャインの礼装の袖をひっぱった。

 それに気付き、振り返ろうとしたら、鋭い声で制止された。


「私の後ろを通って今のうちに外へ出なさい。ここはなんとかするから」

「リオーネさん……!」


 歩いて来る遺族達から目を離す事ができず、シャインはその場に立ちつくしたままだった。頭の中で、男の叫び声が何度も反響している。そのせいか考えがまとまらず、なぜリオーネがここにいるのかわからなかった。


「生存者がいるのに、味方の船を撃ったですって?」

「シャイン・グラヴェールって、あの参謀司令官の息子だろう!」

「ここにいるのか?」


 慌てた士官達は遺族を取り囲み、埋葬が始まる事を理由に、聖堂から出るようにすすめた。だが彼等は納得いかず、士官達を睨みつける。


「いるんなら出てこい! どういうことか説明しろ!」


「シャイン、早く行きなさい!」


 リオーネが強引にシャインの腕を引っ張り、自分の背後に隠そうとした。


「ほら、あそこにいる金髪の若い男よ! 私見た事があるわ」


 黒い羽根をあしらったドレスをまとった女性が、黒い手袋をはめた右手をすっと前方にのばす。シャインは観念してリオーネの手を振り払った。


「違う! 俺はグラヴェールじゃない!」


 だが、シャインに向けられたと思った女性の指は、斜め右前方にいた年上の士官を差していた。一斉に遺族達の目が彼に集まる。


「嘘つくんじゃないわよ。私、見た事あるっていったでしょ?」

「そうだ、たしかこれくらいの年だったような気がするぜ」


 安堵したようなリオーネの声が、再びシャインにささやきかけた。


「今のうちに、シャイン!」

「……駄目……です」


 からからに乾いてきた口のせいで、うまく声が発せられない。

 リオーネが肩をつかんだ。とても強く。

 行くな、といわんばかりに。


 男が叫んでいた事は、真実の一部であり、嘘ではない。

 エルガード号に海賊ではない者がいるとわかっていて、けれど助ける事を考えず、見捨てた事は事実だった。


 それは“自分”が一番よくわかっている。周りをだますことができても、“自分”をだますことなどできはしない。


 グラヴェールは……。

 意を決して声を絞り出そうとした時、一陣の風がシャインの横を通り抜けていった。


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