2-26 失敗の清算

 シャインは軽く息をつき顔を上げた。

 ちくりと背中にストームの剣の切っ先が突きつけられるのを感じながら。

 一歩を踏み出す。

 その後をストームも黙ってついて行く。



「ジャーヴィス副長――」


 ジャーヴィスに近付いたシャインは、彼の厳しいその眼差しに一瞬言葉を途切れさせた。


 ジャーヴィスはシャインを睨んでいた。冴え冴えとした青い瞳が、自分の行動を咎めるように、凍り付くほど冷たい光を放っている。


 ジャーヴィスが怒るのは当然だろう。

 乗組員を助けるためとはいえ、海賊であるストームと取引をしたのだから。


 彼の潔癖な性分からいえば、この行為はとても看過できるものではないはず。

 けれどシャインは思う。生きていればチャンスはある。


 一か八か行動を起こした結果、甚大な被害を被るのなら、必要最小限の犠牲で済む方法を取るべきだ。


 一人の人間より多数の命を選択しなければならない時がある。

 軍人としてこんな所にいるのならば、なおの事――。

 

 ストームが再び剣の切っ先を背中に押し当ててきた。

 早くしろ、といわんばかりに。


 シャインはジャーヴィスの正面に立った。

 思い返せばジャーヴィスはいつも眉間に皺を寄せていた。そんな顔をさせているのは、紛れもなく自分のせいだった。

 シャインは彼の険しい瞳に向かって口を開いた。


「君にはいつも嫌な役ばかり押し付けてきたけどこれで最後だ。すまないが、あの人へ――グラヴェール中将へ俺の指輪を渡して欲しい」

「……」


 ジャーヴィスはシャインを睨み付けたまま答えない。非難や罵倒されることを覚悟していただけに、沈黙で返されることの方が心に堪えた。


 シャインは俯き、右手を上げると人差し指にはめていた、ブルーエイジの指輪を左手で抜き取った。暗い甲板の上でそれは停泊灯の光を受けて、きらりと青銀に輝く。

 その動きを見ていたジャーヴィスが真っ青な瞳を細めた。

 ゆっくりと首を左右に振る。


「やめてください。私はこんなこと……絶対に認めません」

 

 シャインは軽く嘆息して悲し気に目を伏せた。

 ストームの剣を握った時に手のひらを傷つけてしまったので、マントの裾を手に絡ませ血を拭うと、シャインはジャーヴィスの左手首を黙って掴んだ。


 ジャーヴィスはそれを拒否するように左手を引こうとしたが、しっかりとシャインが手首をつかんでいるので動かすことができない。


「お願いだ、ジャーヴィス副長。これは俺が犯した失敗の清算なんだ。君にはいろいろと世話になった。今までありがとう」

「……私は……」


 ジャーヴィスがシャインから視線をそらし、掴まれている左手をぐっと握りしめる。その胸に去来する思いをシャインには知る由がない。

 だが自分の行動はあまりにも身勝手すぎるということだけは意識していた。


 シャインは左手に持ったブルーエイジの指輪を見つめた。

 未練たらたらな自分の思いを断ち切るように。


 何を躊躇している。

 これをジャーヴィスに渡してストームの船に乗るのだ。

 『俺は逃げない』

 そう――ストームと約束したのだから。

 そしてそれこそが、誰も傷つかなくて済む最良の方法だ。


 

「後の事は頼む」

「……」


 ずっとシャインを睨み付けていたジャーヴィスが顔を俯かせた。

 よくよく見ないと気付かないが、その唇はぐっと引き締められ、小刻みに震えている。


 シャインは黙ったまま、ジャーヴィスの左手に指輪を載せようとした。

 しかし、ジャーヴィスはその手をしっかりと握りしめている。


「ジャーヴィス副長、これじゃあ指輪が渡せな……」


 肺の中の空気が一度に抜けてしまったように、シャインは息苦しさを感じた。

 正確には全身を突き抜ける予想外の痛みのせいで息ができなくなった。


 膝に力が入らない。前のめりに倒れる体を支えようと、シャインはジャーヴィスの肩を掴んだ。

 ジャーヴィスの右の拳が、シャインの鳩尾を深く突いていた。


『駄目だ、ジャーヴィス。俺は……あの人と同じになってしまう。それだけは……嫌だ……』




 ◇◇◇



 チィィィーーン!!


 力なく垂れたシャインの左手から、ブルーエイジの指輪がこぼれて甲板に落ちた。

 不快な金属音を辺り一面に響かせて。


 その僅かな一瞬。ジャーヴィスは一歩前に踏み込み、崩れ落ちたシャインの体を右腕に抱えていた。



「なっ……なんだい!?」


 ストームは目の前の出来事に驚き、一瞬我を忘れていた。

 その刹那、正面にいたはずのジャーヴィスの姿を彼女は見失った。


「があっ!」


 視界が大きく後ろへゆらめく。

 ジャーヴィスが間髪入れず、腰を落としストームに足払いをかけていた。

 彼女は目を見開いたまま、自身の体重を支えられず、甲板へ無様にひっくり返った。それを目の端で確認し、ジャーヴィスは振り返って叫んだ。


「クラウス! 武器庫を開けてみんなに武器を配れ! それから誰か、手を貸してくれ!!」


 ミズンマストの前でシルフィードのそばについていたクラウスは、弾かれたようにすくっと立ち上がった。


「はい! 副長! そうだ、後部ハッチの壁に、非常用の斧を立て掛けてある。それを持って誰か……副長の所へ……!」


 クラウスは溢れてくる涙を指で弾き、脱兎のごとく後部ハッチへ走った。


「クラウスさん、俺達が行きますぜ」


 扉の横の壁に固定されている斧を取ろうとしたクラウスの頭上を、太い腕がにゅうっとよぎり、軽々とそれを持ち上げた。

 先程シルフィードを運んだ中年の水兵エルマと、声の主は見張りのエリックだ。


「お願いします」

 クラウスは大きくうなずいた。


「斧はあと二本ある。早く副長に手を貸してあげて!」

「わかってますよ。おおい! みんな早く武器庫へ急げ! 海賊共を逃がしちまうぞ!」


 エリックは大声で水兵達に声をかけると、クラウスにぺこりと頭を下げ、エルマと共にジャーヴィスの所へ走っていった。




 ◇◇◇



 ストームは思いきり打った後頭部をさすりながら、その上半身を起こした。

 目の前がちかちかして星が瞬いている。

 けれどそれをストームは頭を振って払いのけた。

 はらわたが煮えくり返って沸騰しそうになるのか、本当に腹がかーっと熱くなってきた。


「くそっ! あたしとしたことが……!」

「頭! 早く船へ戻って下さい!」


 ストームの副頭領が彼女を呼んでいる声がした。

 ロワール号の水兵達が長剣や銃を携え、甲板に出てくるのを見たからだ。


「バカ言うんじゃないよ! このまま手ぶらで帰れりゃしないだろ!!」


 激怒しながらストームは立ち上がった。

 倒れても手放さなかった剣を、ぎゅっと握りしめる。


「エリック、エルマ、早く艦長を下へ運んでくれ」

「わかりました」

「後、首の傷に止血をするんだ。急げ」


 ストームの視界に、意識を失っているシャインを、かけつけた水兵に預けるジャーヴィスの後ろ姿が見えた。


 3000万リュールが逃げる。

 冗談じゃない。


「待ちな! その坊やはあたしのものだよ!」


 ストームの振り上げた白刃がメインマストの停泊灯の下に煌めく。

 振り返ったジャーヴィスは、迷いもせずその前に立ちはだかった。


「黙れーー!!」


 パキィンッ!


 鏡が割れるような音と共に、ジャーヴィスの手に握られていた斧が横への光の軌跡を描いて、ストームの剣を真っ二つにしていた。


 折れた刀は、ストームの頭上すれすれに回転して飛んでいき、後ろのメインマストに突き刺さった。ストームはその衝撃で尻餅を付いた。


『なにするのよ! バカ副長! 痛いじゃないっ!』


 その時、忘れようにも忘れられない“声”が聞こえた。

 ジャーヴィスは一瞬自分が馬鹿呼ばわりされたことに、しばし呆然となった。そんなジャーヴィスにお構いなく、突如、ロワールハイネス号が大きく身震いするかのように船体を激しく振動させた。


『もう……怒ったわよ。黙って見ているのも飽きちゃったしね!!』


 マストからぶら下がっているいくつもの上げ綱や、滑車が大きく振り子のように揺れた。ロワールハイネス号の甲板は、立っているのが困難な状態で、水兵達はバランスを崩して次々と倒れた。


「レイディが怒ってるぞ……副長、一体何やったんだ?」

「うわあ、彼女、船を沈ませるつもりかーー?」

 

 私のせいなのか?

 ジャーヴィスは戸惑いつつ斧を手にしたまま、体を支えるため船縁にしがみついていた。と、大きな水音が響いた。


「船が……動いている?」


 先程までストームの船から渡されていた渡り板が無くなっている。

 信じられないことだが、ロワール号は船首に二つも錨を下ろしているにもかかわらず、勝手に後退をしているのだ。それで渡り板が落ちてしまったのだ。


 ジャーヴィスは自分と同じように、反対側の右舷の船縁で体を支えているストームの姿を見つけた。そして船首に見慣れない水色の淡い光を目にした。


 その光の中には、ゆるいウエーブのかかった長い黄昏色の髪を揺らし、花びらのような白い服をまとった少女が舞うように立っていた。

 紛れもない、船の精霊(レイディ)、ロワールだ。


 その横顔は人外の者が備える華やかさと、力強さに溢れている。ジャーヴィスはしばし、その儚くも高貴な彼女の姿に目を奪われていた。


「あ……あいつら! あたしを置いていく気かい!」


 ストームが船縁から身を乗り出して叫んでいた。

 ジャーヴィスは視線を、先程まで右舷側にいたストームの船に向けた。

 メインマストに主帆が上がりつつある。逃げる気だ。


「おっと……!」


 ジャーヴィスはよろめいた体を支えた。ロワールハイネス号が後退から、前進へと変わったのだ。からからと舵輪が回る音と共に。


『あんたたちは絶ーー対、逃がさないんだから!!』


 ロワールの鬼気迫る声が甲板中に響き、彼女を取り巻く水色の光が一際強い輝きを放った。ロワールハイネス号はストームの船の左舷側船体に向けて、船首を大きく突っ込ませたのだった。


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