2-19 召喚状
ジャーヴィスが気を揉みながらロワールハイネス号へ戻ったのは、午後1時をすぎたころだった。
船内では昼食の時間で、非番の者たちは甲板で、またある者は下甲板の食堂で食事をとっていた。
辺り一帯にピリッとスパイスのきいた煮込み料理の香ばしい匂いが漂っている。
美味そうだとは思ったが、今のジャーヴィスはとても食事をする気分になれなかった。
「お帰りなさい、副長」
「ああ……」
甲板へ上がって来たジャーヴィスに、見張りのエリックが声をかけた。
「エリック、誰か私の留守中に来たか?」
「あ……そういえば、先程、ジェミナ・クラス軍港の伝令が封書を持って来ました。艦長宛だったので、航海長が艦長に渡したと思いますが」
「シルフィードはどこにいる?」
「今日は航海士班が食事当番なので、厨房かと……」
「わかった」
ああ。思っていた通りだ。
ジャーヴィスは中央のメインマストを通り過ぎ、
まずはシャインの所へ行こうと思ったが、艦長室は静まり返っている。
シルフィードに自分の留守中何かなかったか。その報告から先に聞こう。
ジャーヴィスは踵を返して艦長室に背を向けると、そのまま船首方向へ歩き出した。大船室を通り過ぎて、右舷側、食堂の奥の厨房を覗き込む。
厨房は扉がついていない。しかもそこは大の男が3人も入れば、身動きとれなくなるほど狭い。
その中でシルフィードが、彼の腰近くまである高さの大鍋をかき混ぜて、はや夕食とおぼしきものの仕込みをしていた。
「シルフィード、今戻ったぞ」
「や、お疲れさまです、副長。ええと、昼メシはまだですよね。今、支度しますぜ」
「いや、いい。今は欲しくないから構うな」
慌ててジャーヴィスは答えた。だがそれを聞いたシルフィードは、さも気分を害したように顔を曇らせた。
「副長も俺のメシが食えないって言うんですかい? 他のみんなには大好評なんですけどね~。せっかく、今朝船に戻る前に朝市に寄って、珍しい深海魚シーリウスの目玉を手に入れたのに。これが入った特製シチューは、お肌ツルツル~、やる気まんまん、元気1000倍! になるんですぜ」
その効き目はぜひシャインに食べさせて確認したいものだ。
ジャーヴィスはそう思いつつ、慌てて弁解した。
「お前の料理を食べたくない、というワケじゃない。本当に今は腹がすいてないだけなんだ」
シルフィードはまだ疑惑の目つきで、ジャーヴィスを見つめていた。
が、残念そうに肩を落とすと再び大鍋をかき回しはじめた。
「食欲がないのは仕方ないですな。でも、せっかくのシーリウスの目玉を無駄にしたくねーんで、夕飯の時に食って下さいよ、副長」
「……ああ。そうする」
ジャーヴィスはうなずいた。シルフィードの機嫌をとるつもりはなかったが。
「それで艦長の様子は変わりなかったか? それにさっき彼宛に封書がきたと、エリックが言ってたが本当か?」
「艦長は……一時眠ってましたぜ。昼食をどうするかお聞きしようと思って、俺が部屋に入っても長椅子で寝たまま、肩を揺すっても中々目が覚めなくて。疲れがたまってたんだろうな。ああ、それなのに~~俺のメシは食えないって……」
「お前のメシの話はいい」
冷たくジャーヴィスは言い放った。
「絶対俺のシチューの方がいいとすすめたんだが、結局いつも3時のお茶に出すスコーンと、シルヴァンティーで昼食を済ませてしまって。こういっちゃなんですけど、ホント、あんな鳥のエサみたいなもんじゃ体がもちませんぜ」
ジャーヴィスが思っていた以上に、シャインは落ち着いているようだ。
けれど彼の心情を考えれば、普段以上に食欲が落ちているのはやむを得ないだろう。
早くストームを捕らえなくては。
ジャーヴィスはぎりっと奥歯を噛みしめた。
「それで手紙ですけど、あれは“召喚状”ですぜ。赤い封筒だった」
「そうか。で、艦長に渡したんだな」
シルフィードはうなずいたが、その顔はしおらしく曇っている。
陽気なシルフィードにしては珍しい。
「渡したくなかったんですけどね。でも、召喚に応じなければそれだけでクビきられちまいますから。だから……渡しちまいました。艦長、落ち込むかなって思ったんですけど……妙にさばさばしてましたぜ。来るべきものが来たって感じでした」
「そうか。わかった。では、ちょっと艦長へ私は報告をしに行ってくる」
「あの、ジャーヴィス副長」
呼び止められてジャーヴィスは歩きかけた足を止めた。
シルフィードがかまどの火を消して、頭に被っていた三角巾と腰に巻いていた前掛けの紐を解いている。
「どうした?」
「俺なりに考えたんですけどね。こうして船の中にいてもストームは出てくるわけじゃねぇ。こうなったらルシータ通りの酒場へ行って、海賊共のことを偵察してみようと思うんです」
ルシータ通り。ジェミナ・クラスの街の暗部の一つ。
シャインが情報収集に行くと言ったので、それを必死で思いとどまらせた場所。
ジャーヴィスは即座にシルフィードの申し出を却下した。
「駄目だ。危険すぎる」
「副長、じやあどこで、ストームの情報を手に入れるんです? 奴等に関係する誰かと接触しないかぎり、アジトだってわからねぇ。かといって、ルシータ通りは誰でも気軽に歩ける場所じゃなくてよ……副長でも気を抜けば、ぐさりとやられちまう。俺はさ、この街で育ったから、この船の誰よりもその怖さってやつを知ってる」
ジャーヴィスは腕を組んだ。
このまま船でじっとしているのも時間の浪費でしかない。
けれどシルフィードの言う通り、彼のような道案内もなく、ルシータ通りを歩くのは自殺行為だ。
それに今は兎に角、ストームに関する情報が欲しい。
現役の海賊も出入りしているという酒場がルシータ通りにあるのなら、ひょっとしたら、アバディーン商船の金塊を奪って羽振りの良くなったストームの手下がうろついているかもしれない。ジャーヴィスは折れた。
「じゃあシルフィード。いつでも出かけられるように、準備だけはしておけ。私はこれから艦長と話をしてみる。彼に案があって、お前が情報収集をする必要がなければ、この話はやめだ」
「しかし……」
「勝手な行動は時として皆の命を危うくする。お前の気持ちは大変うれしいが、今は私がいいと言うまで船にいろ。わかったな?」
「はい――」
シルフィードはしぶしぶ承知した。
ジャーヴィスは軽く拳で、彼の広い肩をこずいた。そしてそのまま厨房を後にしようとして、思い直したかのように振り返った。
「やっぱり後でお前のシチューをもらうぞ。用意しておいてくれるか?」
にやり、とシルフィードが笑った。
「お安いご用で」
◇◇◇
ジャーヴィスは、はやる気持ちを押さえながら艦長室へ向かった。
脳裏には今朝方見た、シャインの無理矢理作ってみせた笑顔が焼き付いている。
実際、お世辞にも笑顔とはいえない――辛そうな表情だった。
すぐに顔を伏せてしまったのは、それが自分でもわかっていたからだ。
艦長室に着いたジャーヴィスは、沈黙する扉の前で一瞬
召喚状を受け取ったシャインが、またそんな顔をしていたらなんと声をかければいいのだろう。
ジャーヴィスは額にいつもかかってくる栗色の前髪を払いのけた。
その時は、その時だ。
ジャーヴィスは意を決すると、拳を振り上げ扉をノックした。
「……誰だい?」
応えた声は少し小さかった気がする。
が、いつものシャインのものと変わらなかった。
「ジャーヴィスです。只今、戻りました」
「入ってくれ」
「失礼いたします」
ジャーヴィスは艦長室へと入った。
船尾の四角い大窓から入る日の光のせいか、室内は白くとても明るかった。
朝の重苦しかった空気とは対照的だ。
「お帰り。ご苦労だったね」
部屋の正面奥に置かれている執務机に寄り掛かり、シャインは船尾の窓の前で、手にしていた書類を読んでいた。
シャインが顔を上げた時、光が動いた。
彼の右肩から胸へと垂れ下がっている、装飾用の金鎖が擦れあって、軽やかな音をたてた。シャインは礼装用の白い軍服に着替えていた。
服のデザインは青い航海用のコートタイプからケープを取り外したもので他は変わりがない。けれど色が青から白に変わっただけなのに、目の前に居るシャインは、どこか知らない別人のように感じられた。
窓から入る日の光のせいで、今にもその姿が消えてしまいそうだった。
「その格好……やっぱりツヴァイス司令からの召喚状だったんですね」
シャインの眉がそれを肯定するようにぴくりと動いた。
「やっぱりマリエステル艦長のせいかな? 来るのが早いと思ってたんだけどね。彼女、ツヴァイスに俺の居場所を尋ねられたって、言ってなかったかい?」
「ご推察の通りです。例の赤鮫団を、しょっぴいて行った時に聞かれたそうです」
ジャーヴィスは頭をかいた。
シャインは気持ちの切り替えができたのか、しっかりした口調だ。
話もこちらを見てしているし、何はともあれ、朝の落ち込みからは立ち直ってくれたらしい。
「読んでみるかい?」
シャインが赤い封筒を手にして、こちらへ差し出した。
ジャーヴィスはそれを受け取り、中に入っていた薄っぺらい紙を取り出した。
海軍の正式文書で、剣に絡み付く錨綱が描かれた盾型の透かしが入っている。
文面は手書きで、とても短いものだった。
“ロワールハイネス号艦長
シャイン・グラヴェールの出頭を命じる。
本日17時までに執務室へ来られたし。
ジェミナ・クラス軍港司令官 O・ツヴァイス”
「17時ですって? ……よかった、まだ時間はありますね」
一瞬焦ったジャーヴィスを見て、シャインがくすりと微笑した。
「召喚状を持ってきた伝令は、ロワールハイネス号を探すのにかなり手間取ったようでね。何しろ入港許可はとっても、停泊地までいちいち言わないじゃないか。俺達はなるべく人目につかないよう、岸からは見えにくい崖の裏にいるしね。ほんの30分前だよ。届いたのは。……海賊ジャヴィールの件で、初めは怪しまれたかと思ったんだけど。大丈夫だった。なんせスクーナー型の船なんて、何十隻といるからね」
ジャーヴィスは気が乗らない様子で、召喚状をシャインに返した。
普段通り振る舞う彼が、とても不自然に見えて仕方なかった。
寧ろこの呼び出しが、海賊ジャヴィールの正体に関することだったら。
シャインもそれを意識しているから、白の礼装に着替えているのだ。
このままシャインを行かせたら、取り返しがつかない結果になるような気がする。
ただの思い違いならいいのだが――。
「ジャーヴィス副長」
「……」
ジャーヴィスは目をしばたきシャインを見返した。
彼の瞳はエルシーア人では殆どみかけない青緑色だ。
彼の父親――アドビス・グラヴェールは生粋のエルシーア人だから、シャインは母親に似ているのだろう。
その色は温和な青年という印象を他者へ与えるけれど、彼の父親のように厳しい光を帯びる時がある。
例えば、彼の守るべきものの安全が脅かされた時。
正に今のシャインの目がそうだった。
「これからの事はツヴァイス司令の話を聞いてから、どうするか決めることにした。すまないが、皆にはそう言っておいてくれ。それから、三十分後に軍港へ行くから、ボートの支度をしてくれないか」
「了解しました」
シャインは軽く頷き、召喚状を赤い封筒に戻すとそれを礼装の内ポケットへとしまった。ジャーヴィスへ背を向け、クローゼットの中から、丈の長い紺色のマントを取り出す。
ジャーヴィスは彼の礼装が上手く隠れるように、それを羽織るのを手伝った。
留め紐を結びながら思ってしまう。
彼の双肩にかかる重責を一端でもいい。自分も担う事はできないのだろうか。
シャインは決して助力を乞う言葉を吐かない。
「ありがとう」
「いいえ。あの……艦長」
ジャーヴィスが声を掛けると、シャインはけげんな表情をした。
「お願いがあるのです。シルフィードを同行させて下さい。あなたを軍港へ送った後、情報収集のためルシータ通りへ行かせたいのです」
さっとシャインの顔から血の気が引いた。
「『海賊ジャヴィール』は新聞のせいで、もうその存在を知られてしまった。シルフィードは顔を知られているかもしれないのに……それでも行かせるのかい?」
予想通りの返事だ。
シャインもそんな危険を犯してまで、シルフィードを行かせるべきではないと考えている。だがストームの手がかりを得るにはこの方法しかなかった。
「本人がそう言ってくれました。それに……チャンスかもしれません。新聞のおかげで、シルフィードが海賊である、と証明されたのですから。警戒心を解いて、彼に近付いてくる者が現れるかもしれません」
ここでシャインは額に手をやり、小さくため息をついた。
「今はそうしてくれる事ぐらいしか、やることを思い付かない自分が情けないよ」
ジャーヴィスはボートの手配をするため艦長室の扉を開けた。
「同感です。私も……何もできない自分が許せません」
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