2-3 青き悪魔

 シャインは艦長室に戻ると部屋の奥のクローゼットへと手を伸ばした。


「忙しそうね」


 背後から響いた声にシャインは振り返った。

 艦長室の扉の前でロワールが立っていた。腰まで伸びた緩やかな紅髪を揺らし、透き通った水色の瞳が硝子のようにシャインの顔を映している。

 正直息が止まりそうだった。


「驚いた。部屋に入る時はノックを頼むよ……」

「えー」


 ロワールは白い頬を赤く上気させ唇を尖らせた。


「別にいいじゃない。私は出てきたいと思った時しか姿を見せないし」

「……」


 それは確かにロワールの言う通りだ。

 このロワールハイネス号の船鐘に宿る彼女は、いわば『船の魂』といえる存在だ。

 よって人間の姿でシャインの前に現れても、血肉を備えた『実体』があるわけではない。


「そうよ。ノックなんかしようと思っても――見て」


 ロワールは右手を艦長室の扉へ伸ばした。それは扉をあっさりと突き抜けた。


「ごめん。俺が悪かった」


 ロワールはノックをしようとしてものだ。


「わかってくれたのならいいわ」


 両手を腰に当ててどうだと言わんばかりにロワールが頷く。

 でも。

 シャインはロワールを凝視した。


「おかしいな」

「えっ?」


 シャインはロワールへ近づいた。

 彼女の姿は十七才ぐらいの少女で、ケープのついた白い花びらを思わせる服を纏っている。どちらかといえば小柄な体格で、身長もシャインの胸あたりぐらいの高さしかない。


「でも俺には君が『はっきり』見えるんだ。そして――」


 シャインは右手を上げてロワールの肩に置いた。

 華奢だと思う。少し力を加えれば壊れてしまうんじゃないだろうか。


「そう――君に『触れて』いると感じるんだ。君がすり抜けてみせた扉と同じなら、俺は君に触れることができないはずなのに……」

「……そうね」


 肩に置かれたシャインの手をロワールの左手がそっと載せられた。

 手と手が触れ合う温もりが伝わってくる。

 それは人間同士のものとなんら変わりがない。

 瞳を伏せ、ロワールが呟いた。


「私も――あなたに『触れて』いるって感じるわ」


 囁くように聞こえた彼女の声は、何かを悟ったようだった。


『君はその理由を知っているね?』


「……!」


 ロワールが弾かれたように顔を上げた。


「今、私の心を覗いたの?」

「覗いたというか……そう感じた」


 ロワールはシャインから手を離し自ら後方へ後ずさりした。


「ロワール?」

「ダメだわ。早すぎるわ!」


 ロワールが何を言っているのかがわからない。


「おかしいわ。いくらシャインが私の眠りを覚ましたとしても、同調のレベルが早すぎる。何か原因があるはず」

「ロワール。俺が君に触れることができるのは、何か悪い事なのか?」

「そ、それは」


 ロワールが戸惑うように――いや、泣き出しそうに唇を震わせている。


「そうじゃないの。そうじゃないんだけど――あっ!」


 ロワールが不意にシャインの右手をつかんだ。


「シャイン! これって――この――」


 ロワールが凝視しているのは、シャインの右手の人差し指だ。

 そこには青みがかった銀の指輪がはまっている。何の装飾もなされていない古風なデザインのものだ。


 ロワールが確かめるように、シャインの指輪へ指を伸ばす。

 彼女の指が指輪に触れた時だった。


「……!」


 辺り一面、眩い閃光が迸った。

 青い光が目に突き刺さる。あまりの衝撃にシャインは両目を閉じた。



「やっぱり


 シャインはちかちかする視界を早く元に戻そうと瞬きを繰り返した。

 ロワールはシャインから離れて相変わらず指輪を見つめている。

 彼女の体も指輪と同じように青い微光を放っていた。


「今のは……一体なんだったんだ?」

「シャイン。何故あなたが『ブルーエイジ』の指輪をしているの?」

「ブルーエイジ?」


 シャインは自分の指輪を見つめながら、その単語は今までに何度か聞いたことがあると思い出していた。



 ◇◇◇


『もうやめて。この青き光(ブルーエイジ)は人間の魂を求めて貪り喰らう悪魔。あなたも私のように取り込まれてしまう!』


 シャインの耳にレイディの声が聞こえてきた。

 ――取り込まれる?


『そう。私はかつて人間だった。でもこの鐘に宿る大きな力を制御できず、魂ごと取り込まれてしまった。シャイン――』


 ◇◇◇




「ブルーエイジ。一体それは何なんだ?」

「私にも本当の所、よくわからないわ。でも……」


 ロワールは悲しげに首を振った。


「あの『船鐘シップベル』はブルーエイジという魔鉱石いしでできているの。ブルーエイジの性質は……ううっ」

「ロワール!?」


 シャインはぐらりと前方によろめいたロワールの体を咄嗟に両手で受け止めた。

 そのまま抱きかかえて、近くの長椅子にその体を横たえる。

 黄昏色の髪の下でロワールは瞳を閉じていた。肌の色も青ざめ小さな肩が小刻みに震えている。


「ロワール。大丈夫か?」


 急な出来事に、シャインは呼びかけることしかできなかった。

 するとロワールの瞼が震えて水色の瞳がシャインを力なく見上げた。


「……うん。ちょっと、急に眩暈がしたの」

「俺の指輪のせいなら、君から離れていた方がいいな」


 ロワールが小さく首を横に振った。答える声が弱々しい。

 シャインを心配させないためか。

 うっすら微笑むその顔を見ると胸が苦しくなった。


「大丈夫よ。ごめんね、あなたは悪くないの。私、思い出そうとしてただけだったの。あら……おかしいわ。思い出そうとするなんて……私には思い出すべき『記憶』なんて……あるはず、ないのに……」


 ロワールの目がシャインを愛おしむ様に一瞬細められたあと、彼女は静かに瞼を閉じた。


「ロワール?」

「……」


 シャインは目を閉じたロワールに呼びかけた。

 だが彼女は眠ってしまったのかそれに応じない。

 そしてシャインの見ている前で、彼女の姿はどんどん薄く透明になっていって――ついに霞のように消えてしまった。


「……」


 シャインはロワールが横になっていた、の長椅子を一瞥して、ゆっくりと立ち上がった。ロワールの姿が消えたことは気にしていない。


 彼女の存在は船の中にあると確かに感じるから。

 きっと一時的にロワールは力を失い、人の姿を保てなくなったのだろう。

 シャインは右手の人差し指にはめたに視線を落とした。


「俺がロワールと出会えたのは……このせいだというのか?」


 まさかこれが自分とロワールを繋げているとは思わなかった。

 一見、何の装飾もなされていない指輪は銀に見えるが、本当は銀ではない。

 すっかり指に馴染んでいたので忘れていたが、自分は確かに知っている。


 いや――思い出した。

 風の力を操る叔母のリオーネが、指輪について教えてくれたことを。


 ブルーエイジ。

 術者に強大な力を与える代償として、それを身に帯びた者には破滅をもたらすという魔石。

 

『シャイン。本当はこの指輪は、私が引き継ぐべきものなのかもしれない。でも無理なの。どうしても私は触れることができない。恐ろしくて』


『けれどこれはあなたの――の形見なの。あなたが持っていて欲しいと……きっとあの方も願っているわ』




 シャインは頭を振り、クローゼットを開いて、今まで着ていた紺色の航海服の上着を脱いだ。そして飾り気のない黒いコートを取り出すと素早く羽織る。


 ロワールの事は気になるが、シャインはこれからツヴァイスに頼まれた『海賊ストーム』を捕らえるために、ジェミナ・クラスへ上陸して、段取りをいろいろと整えなければならない。その前に水兵達を組み分けして、情報収集へと向かわさなければならない。


「なんだか、急に慌ただしくなったな」


 思えば半年前までは、いち士官として指示を受ける立場だった。

 今は小さいとはいえ、この船の全権を預かる身分になってしまったのだ。


 そして今更だが、この船に少しでもいたいと願うのだ。

 彼女の建造にすべて携わったから、他の人間よりほんの少し、思い入れがあるとしても。


 ここが自分のいるべき居場所だから。

 それを守るためならなんだってできる。

 何だってやってみせる。


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