第2曲目 第10小節目:パッション・フルーツ

 そのあとスタジオに戻ってしばらく市川の新曲を歌詞なしで練習した後、夕食を食べるために食堂に向かう。


「お腹空いたねー」


「うん」


 ドアを開けると、4人掛けのテーブルが横にずらりと並んでいる


 チェリーボーイズが1つのテーブルに、隣のテーブルにその新任悪魔マネージャーが1人で座っていた。


「あぁー、たくとくん! さこっしゅ! 天音ちゃん! ここだよぉー!」


 英里奈さんが自分の座っている席を指差しておれたちを呼ぶ。


 沙子はおれと市川の方をちらりと見てから(なんぞ?)英里奈さんの向かいに座り、沙子の隣に市川が座った。


 おれは余った席である英里奈さんの隣に座ると、沙子が舌打ちをした。(なんぞ?)


 席にはすでに配膳が済んでおり、美味しそうなカレーが置いてあった。


「えりながよそっておいたよぉー!」


 え、そうなの? 本当にいい人じゃんこの人。悪魔って言ってたやつ誰だよ。


「まじか、ありがとう」


「どういたしましてぇー!」


 ぶいっと英里奈さんが顔の前でピースサインを作る。あざとい。


「英里奈ちゃんありがとう! わーカレーだ! 嬉しい! いただきまーす!」


「いただきまーす」


 市川に続いておれたちも食事の挨拶をする。


 カレーが嬉しかったのか、「美味しいね小沼くん!」とか言ってニコニコしている市川を正面から見てこっそりほっこりなごんでいると、


「「「いただきます!!!!」」」


 と、向こうのテーブルで器楽部の大きな声が聞こえた。


「わー、やっぱり体育会系だねえ……」


 市川が羨望せんぼう半分、畏怖いふ半分といった感じでそっとつぶやく。


「そうかな」


 すると沙子が純粋に疑問をさしはさむ。


「吹奏楽部なんて、あんなもんだよ。ね、拓人」


「そうなあ……」


 同意を得られたのが嬉しかったのか、沙子が沙子的なドヤ顔をして市川を見た。そして、次の曲が始まるのです……。


 市川は苦笑いしながら、


「そっか、小沼くんも沙子さんも同じ吹奏楽部だもんね。そういえば、2人はどうして器楽部に入らなかったの?」


 と聞いてくる。


「おれは、音楽やってること自体、秘密にするつもりだったからなあ。見学にも行ってない」


「そうなんだ? 沙子さんは?」


「うちは……」


 そう言ってからおれをチラ見して、


「別に」


 とそう言った。


「別に?」


 おれが訊くと、沙子は顔を伏せて、


「うっさい、バカ」


 と小さな声で答える。なんで……?


 たははー、と市川が笑う。


 雑談をしながら食べ進めていると、早くもカレーを食べ終わったのか、


「ねぇねぇー、たくとくんー、えりなめっちゃひまなんだよぉー」


 横から英里奈さんがおれにももももももたれかかってきた。いきなりなにですかね!?


「ひ、ひひ、暇なら水とか飲めば?」


 なんか挙動不審に笑っている魔女みたいになってしまった。


「いやいや、今とかじゃなくて、昼間だよぉー。なーんか楽器教えてくれないー?」


 ふへぇー、みたいなことを言いながらさらに体重をかけてくる。


「ていうかなんで合宿来たの英里奈さん……」


 寄りかかったままおれを見上げて、口をとがらせる。


「たくとくんには説明したつもりだけどなぁー……?」


 いやいや、と目を合わせようとすると、人形みたいに整った唇と白い肌が目の前にあることに気づいて、慌てて目をそらす。


 英里奈さんてば、なんちゅう距離感で話しかけて来てんだ……。


 いや分かってるよ、英里奈さんの『恋』は始まったばっかりなんだろ。


 そしたら、はざまに何か教わればいいじゃん、と思うものの、この至近距離ではさすがにそれも言えない。っていうか、よく考えたらはざまはボーカル専門だから楽器は出来ないのか。


 すると、おれの向かいでコホン、と咳払いが聞こえた。


「うちの小沼くんは忙しいから英里奈ちゃんに楽器を教える余裕はないかもね?」


 引きつった笑顔で大天使が笑っていらっしゃる。うちの小沼くんて。……もう一回言ってもらえませんか?


「英里奈、歌上手いんだから歌えばいいじゃん。カラオケでめっちゃ高得点だし」


 沙子が存外冷静に提案している。


 そういえば初めて会った時カラオケ行くとかどうとか言ってたな。ていうか、沙子もカラオケとか行くんだな。意外だな。……おれ、行ったことないな。


「ああ、歌は好きかもぉ。ピアノ昔習ってたから音感はあるみたいなんだよねぇー。同じ教室に通ってた年下の子が上手すぎて先生もそっちにかかりっきりで面白くなくなっちゃってやめちゃったんだけど」


「ほーん」


 英里奈さんは本当にかまってちゃんだな……。


「その子はえりなよりも後に入って来たんだけどねぇー、すぐにえりなよりも上手くなっちゃって。才能ってあるんだぁーって小さい時だけど思ったなぁー」


「才能、か」


 無意識に、その言葉をおれは復唱していた。


「……たくとくん、どうしたの?」


「ん? 何が?」


 首をかしげる。


「なぁーんか、今、怖い顔してたよぉ?」


「え、そう?」


「うんうん、こぉーんなに近くで見てるんだからわかるよぉ」


 いやいや、そぉーんなに近くで見る必要がないでしょ。と言いつつ引きはがさないおれもおれです。ほんとすみません。


「ピアノやってたならキーボードやればいいんじゃないの。チェリーボーイズにはキーボードいないし、経験者ならいいかも」


 沙子が自然な流れでチェリーボーイズとか経験者とか言ってる。


「ていうかさぁー、えりながチェリーボーイズに加入しちゃったらボーイズじゃなくなっちゃうねぇー。なんだろぉー、チェリーボーイズ&ヴァー……」


「「ちょっと英里奈」さん」


 沙子とおれがハモって止める。


 良い発音で何を言おうとしてるんだこの人は。ていうか英里奈さんって……?


「拓人、それ以上考えたら殺すから」


 怒気どきをはらんだ声で沙子がおれを睨んでいる。怖い。すみません。あと心を読まないで。


「あははぁ、さこっしゅごめんねぇー? んじゃ、明日はキーボードでも弾いてみようかなぁー。でも、『チェリー』ってキーボード入ってたっけー?」


 ていうか、ナチュラルに『チェリー』の話してるけど、やっぱ今回もあいつらは『チェリー』やるんだな……。文化祭は25分間チェリーやるのかしら? それはそれで面白そうだけど。……昼間、ずーっと『チェリー』の練習してるの?


 おれが頭の中チェリーだらけになっていると、


「どうだったかな」


 沙子が中空を見て『チェリー』の音源でのキーボードの有無を思い出そうとしている。


「めっちゃ入ってるだろ。伴奏的にエレピが毎小節アタマに入ってるし、後半ストリングス的なのも入ってるからそれやってもいいし」


「えれぴ? あたま? すとりんぐす?」


 英里奈さんが頭の上にハテナを沢山浮かべている。


「あと、イントロと間奏にシンセの音も入ってるじゃん。トゥーウィールールーみたいな」


「ぶふっ!」


 おれが歌うと同時、英里奈さんが吹きだす。


「あはは、トゥーウィールールーって! たくとくん相変わらずダサい! あはは!」


 いや、そんなに笑わなくてもよくないですかね……?


「あの時もダサかったよねぇ。いきなりラブとか言い始めて」


「「あの時」?」


 今回は、市川と沙子がハモる。


「あ、なんでもなーい」


 肩をすくめて英里奈さんが話すのをやめた。


 アイコンタクトで『余計なこと言っちゃったぁー、てへっ』と言ってくるので、「何やってんの」と返事した。あ、やば、口に出てるじゃん。


「……私、先に行くね」


 いつの間にかカレーを食べ終わったらしい市川がガタンと立ち上がる。


「夜は練習なくて花火だから。今から30分後集合ね。早めに食べたほうがいいよ」


 冷たい声音で言い放ってから、お盆に乗った食器を持って食堂の外へと立ち去っていった。


 市川のサンダルが床を打つ音が妙に荒々しく響く。


「……やりすぎたかなぁー?」


「……何を?」


 英里奈さんは再度、「てへっ」と言いながら舌をペロッと出した。あざとい……。


「天音ちゃんもだいぶ素直って言うか、露骨ろこつになってきたねぇ……」


 だから、何が?

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