七十四話 雨の日の襲撃1

 いつもの日課の訓練。 


 僕の拳はいとも簡単に片手で払われ強烈な反撃を顔面に貰う。

 視界が揺れて勢いのまま庭の壁に背中から激突。それでもなんとか立ち上がって拳を構えた。


 様子を窺うバッカスさんは構えを解かない。


「いいか、絶対に戦いが終わるまで闘志を消すな。どのような状況であろうと勝利を得ることだけを考えろ。負ければ死ぬと己にたたき込め」

「はい!」


 鋭い蹴りが僕をかすめる。ギリギリで躱したところで即座に攻撃に移る。

 だが、いくら攻撃をしても片手で払われてしまう。躍起になって向かっている内に意識を向けていなかった足下を払われ地面に転んだ。


「はぁ、はぁ、僕って強くなってますかね」

「成長はしている。普通の奴ならもう相手にならないくらいにな」

「……まったくもってそうは感じないですけど」

「そりゃあ俺が相手だからだ」


 そう言われると反論できない。

 確かにバッカスさんは強い。手も足も出ないほどに。


 ここで働き始めて分かったことだが、彼はとある武術の達人の弟子だったそうだ。しかし修行にうんざりして自ら弟子抜けを希望し、それからいくつかの戦場を流れてここへたどり着いたそうだ。

 それだけでも並大抵の経歴でないことが分かる。


 僕は地面に転がったまま質問した。


「どうして本屋なんて開こうと思ったんですか」

「本好きが高じてと言っただろ」

「商売にしようと考えた辺りが分からなくて。バッカスさんほどの腕のある方が、わざわざ本で生計を立てる意味ってあるんですか。ケチになってまで」

「俺はケチじゃねぇ!」


 くわっ、と目を見開いて全力で否定する。

 でもケチなのは事実だと思う。数日前に八百屋さんに行った際のことだけど、彼は目敏く野菜の傷を見つけて半額まで値切ろうとした。しかし八百屋さんは一割引が限界だと引かない。最終的に八百屋さんとバッカスさんの殴り合いになったのだけれど、アレのどこを見てケチじゃないと言えるのか知りたい。


 バッカスさんは頭をポリポリ掻いて口を開いた。


「昔の俺は傭兵みたいなことをしていてな、数え切れないほどの戦場を渡り歩いた。そこでの日常は殺すか殺されるか、知り合った奴らも次の日にはいないってことがしょっちゅうだった。んで、俺はある時一冊の本を拾った」


 一冊の本、それは名も知らぬ誰かが持ち込んだ小説だった。

 彼はほんの少しだけ興味が湧いてそれを読むことにした。明かりの灯るテントの中で大きな身体を縮めて文字を追う。彼は読めば読むほどに先が知りたくなり、気が付けば夢中になっていた。

 今日も生き残った、そう感じながらテントに戻り小説を読みふける。その物語は小さな村で生まれた少年が冒険を通して成長し栄光の道を進んで行く、人間界でもありそうな王道の話だった。


 しかし、それまでまともに本に触れたことのなかった彼は衝撃を受けた。

 なんて面白いんだと思った。こんなものが世の中にあったのかと感激した。

 その本を読み終わった時、彼の戦争は終わっていた。


「――それからあらゆる本を片っ端から読みまくった。がらにもなくあの本の作者にファンレターを送ったりもした。あの感動を、本の楽しさを、他の奴らにも知って貰いたいと考えるにそう時間はかからなかった」

「だから本屋を開いたんですね」

「つっても今じゃあ生活するのがやっとだ。傭兵で溜めた金も店を建てるのに使い切ってからっけつ。現実ってのはそう甘くはないってことだ」


 バッカスさんは「話は終わりだ。飯を頼むぞ」と背中を向けて家に入ってしまった。

 僕は渋々立ち上がって家へと向かう。格段に回復力が上がっているとは言え、散々痛めつけられたせいか傷はなかなか癒えない。


 彼は尊敬している人だけど、やり過ぎなのは欠点かな。

 おかげで毎日ボロボロだ。今すぐ横になりたい。


 身体を引きずりつつ扉を開けた。





 店に戻って本を開く。

 今夜は未習得の語学の勉強だ。


 バッカスさんからもらったノートとか言う白紙の束を使って単語を覚える。

 その際、一緒にもらった鉛筆と消しゴムという道具を使用する。これはなかなか便利だ。先を削るだけで黒い芯が出てきて文字が書けるのだ。おまけに楽々と消せる。これを村に持ち帰ったらきっと皆が驚くだろう。


 ちなみにではあるが、初めてこれらの道具を見た時に僕は高価な品だと勘違いした。


 だってそうだろう。鉛筆はどうやって作っているのか分からない精巧さだし、文字をみるみる消してしまう消しゴムはそういう魔道具とさえ思ってしまった。おまけに白紙の束なんて生まれてこのかた一度も見たこともない。

 だが、なんとこれらは魔道具ではなく普通の道具だというのだ。しかも驚くような安価で売っている。僕はこれだけで魔界が恐ろしくなった。恐ろしいと感じてしまった。


 僕が恐怖を伝えるとバッカスさんは腹を抱えて笑い転げていた。

 彼は尊敬できるいい悪魔だと思うが、やはり人である僕の気持ちは理解できなかったようだ。この鉛筆の恐ろしさは魔界に来た人間にしか分からない。


 それはそうと引き続き語学の勉強を続ける。


 バッカスさんは書きながら覚えると記憶に残りやすいと言っていたので、何度も何度も同じ単語を繰り返し書く。


 ざあああああああ。ごろごろ。


 外は雨だ。しかも土砂降りで雷まで鳴っている。

 魔界にも雨や雷があるのかと妙なところで感心した。

 時折、空が光って遅れて雷鳴が響く。


「それにしてもこの明かりは便利だなぁ」


 天井を見上げれば煌々と明かりが照らしている。

 魔道具の一種らしいがこれがあるおかげで僕の夜間の勉強ははかどっていた。

 できれば家にも付けたいくらいだ。


 ふと外に誰かいることに気が付く。


 ガラス張りの扉は折りたたみ式の金属柵で施錠していて、人影は柵の隙間から覗くことができた。

 土砂降りの外で複数の動く人影。

 こんな天気の悪い、しかも夜更けに何をしているのだろうと首を傾げる。


「!?」


 人影が無数の炎の球体を創った。

 恐らく魔術だ。しかもそいつは明らかにこっちを見ていた。


 咄嗟にカウンターの下に隠れる。


 直後に激しい衝撃が店を揺らした。

 吹き飛ばされた僕は倒れてきた棚と降り注ぐ本に埋もれた。

 視界は真っ暗で頭の中はひどく混乱状態だ。


 何が起きたのかは理解できる。

 だが、なぜ起きたのかは不明だ。


 本棚を押し退けて咳をしながら這い出る。

 舞い上がる埃や燃える本の煙が喉を刺激した。


「うぃーす、元気かロイ」

「な……」


 黒い服と覆面を付けた四人の謎の男達。

 その中央に知った顔が合った。


 金髪にだらしなく着たカラフルなシャツ、垂れ目気味の軽薄そうな顔は今も変らず笑みを浮かべている。


「なんで……ロッカクさん」

「なんでってそりゃあ決まってるだろ。ピスターチの旦那の仇討ちだよ。まさかウチのボスを殺っておいて簡単に見逃してもらえるとでも思ってたのか。ん?」


 飄々とした態度はいつもと変らないのに、それがとても恐ろしかった。

 殺意が籠もった目とでも言えばいいのだろうか。顔は微笑んでいるのに目だけは全く笑っていない。

 氷よりも冷たい視線だ。


 ロッカクさんはポケットから小さな箱を取り出して、中から一本の棒をゆっくりとした動作で抜いた。

 それを口に咥え人差し指に灯した火で先を炙る。


「ふぅうううう」


 紫煙が吐き出されめちゃくちゃになった店内に漂った。

 彼は四人を入り口付近に待たせ、僕の近くに倒れていた椅子を起こして腰を下ろす。


「しかし災難だなぁ。ピスターチの旦那を殺してなければ、こんな目にも遭わずに普通に暮らせたってのによ。ほんと災難に恵まれてるよお前」

「聞いてください! 僕はわざとじゃ――!」

「言い訳は聞くつもりはない。ウチとしちゃあ、ボスをやったガキがいてそいつに落とし前をつけさせれば満足なんだよ。これくらいのこと分かるだろ」


 再び紫煙を吐き出す。

 彼は雨で濡れた髪を掻き上げた。


「だいだいここもこんな風にするつもりもなかったんだ。結構気に入っていたんだぜ。マイナーな本を仕入れてくれるから。なのにお前ときたらほとんど店から離れねぇ。おまけに上から早くやれとせつかれててさ、しょうがなく強硬手段に出たってわけだ」

「店がこうなったのは僕がピスターチを殺したから……」

「自業自得ってやつさ。バッカスのおっさんには同情するね。こんな疫病神を引き込んじまうなんて。余計なことをしなければ変らない生活を送れてたってのによ」


 ロッカクさんの身体が急速に変化を始める。


 全身から黄金色の毛が伸び腕や足が太くなる。

 顔つきは人から狐へと変じ、ズボンを突き破って大きな尻尾が現われた。

 鋭い牙と獰猛な目つき。指先には鈍く光る爪があった。


「ちっ、煙草が吸いにくくていけねぇ。どうして悪魔ってのはこうもめんどくせぇ身体なのかね。できれば人間に生まれたかったよ」


 立ち上がって煙草を指で弾いて捨てる。

 軽い口調ではあるものの視線は僕から離すことはない。


「なんだこりゃあ!!」


 外からバッカスさんの声が聞こえる。

 あれだけの爆発が起きたのだ彼が起きてくるのも無理はない。

 表に出たのは通用口が瓦礫に埋まっているからだろう。


 バッカスさんは僕とロッカクさんを見て表情を変える。


「どういうつもりだロッカク! 何故こんなことをする!」

「おっさんには悪いがこれも仕事だ。組織の顔に泥を塗られちゃあ行くところまで行くしかないだろ。だからこのガキには落とし前をつけてもらう」

「落とし前だぁ!? 一体全体なんのことだ!」

「ピスターチの旦那がこのガキに殺されたっていやぁ分かりやすいか」

「なんだとっ!??」


 バッカスさんは驚愕に絶句した。

 長くも短い沈黙。

 雨と雷の音だけが響く。


「つーわけでこいつは殺す。おっさんには後でできるだけの賠償をしてやるよ」

「あぐっ!?」


 ロッカクさんが僕の肩を掴んで持ち上げる。

 爪が肩の肉に食い込み激痛が走った。


「やめろ! そいつに手を出すな!」

「あ? なんだおっさん、このガキを庇うのか」

「当たり前だろ! ウチの社員なんだぞ!」

「ただのバイトだろ?」

「さっき正社員にした! 手を出せば俺が黙っていないぞ!」


 ロッカクさんは額を押さえて溜め息を吐く。

 まるでそう言って欲しくなかった様に見えた。


 でも僕が正社員なんて初耳だ。

 夕食の席でもそんなことは一言も言っていなかったのに。


「正直あんたとはやりあいたくねぇ。だから諦めてくれないか」

「断る。ピスターチの野郎が死んだのはあいつが弱かったからだ。ここでは力が正義だってことを忘れたわけじゃねぇだろ」

「はっ、そう言えるのはおっさんが強者だからだろう? 弱者ってのは寄り集まって、常に気を張って、ケチを付ける奴は口を閉じるまでぶったたかねぇと気が済まねぇ生き物なんだよ。こうなったらもう退くことはできねぇ」


 ぎりりり、僕に食い込む指の力が強くなる。

 痛みに食いしばり耐える。


「それでもやりつもりか?」

「しつこい奴だな。断るつってんだろ」

「しょうがねぇか……始末しろ」


 覆面をした四人が動き出す。

 それぞれがナイフを抜いて構えた。


「おーおー、そんなもんでいいのか。言っておくが手加減はしてやれねぇぞ、俺はそういうのは苦手だからな」


 合図もなく戦いが始まる。


 瞬時に肉薄した一人がナイフを首元へ横薙ぎに振る。

 彼は上体を反らすことで躱し、そこから勢いを付けて繰り出された後ろ回し蹴りを腕でガードする。


「指導その一、多勢を相手にする時は人質をとれ。それができない場合は即座に離脱しろ」


 相手の足首を掴んで逆さ吊りにし、三人への盾にした。


 バッカスさんはニヤリと笑う。こんな時でも学べと言っているように思えた。

 事実そうなのだろう。彼は指導とはっきり口にしている。


「まったく厄介な相手をその気にさせちまった。ほんとお前は俺にもおっさんにも疫病神だ」

「…………」


 ロッカクさんの言葉に沈黙してしまう。

 その通りだ。僕は争う必要のなかった二人を争わせてしまった。

 僕がこの町に来たのがいけなかったんだ。


「!?」


 僕は彼に勢いよく壁へ投げつけられた。

 腕を突いて身体を起こすと、ロッカクさんは背中を向けてバッカスさんの元へと向かう。


「そこから動くなよ。逃げたらすぐに殺す」


 その言葉に僕はただただ従うしかなかった。


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