七十話 ピスターチ

 町に現われたのは三人の男を連れた馬顔の悪魔だった。

 奴は人の姿をした男性悪魔を踏みつけにして邪悪な笑みを浮かべている。


「お願いしますピスターチ様! どうか命だけは!」

「別に見逃してやってもいいんだが……ただ小腹が減っててよ」

「だ、だったらあのガキを!」

「あん?」


 ピスターチと呼ばれた馬顔の悪魔は僕を見る。

 数秒ほどじっと見つめてから口角を鋭く釣り上げた。


「ブロウで見かけたガキじゃねぇか。あの時はどこにでもいるガキに見えたが、どういうわけか今は美味そうな魂をしてやがる。ヒヒン」

「――!?」


 僕は後ずさりした。

 前回は見逃してくれたが今回もそうなるとは限らなかったのだ。

 迂闊だった。なぜここへ来たのだと後悔する。

 好奇心は猫を殺すと言うがまさにその通りだった。


「だったら俺は助けていただけますよね!?」

「それとこれとは別だ。あいつもいただくがお前も喰らう」

「そんなっ!?」

「お前達、あのガキを捕まえてこい」


 三人の男が動き出した。

 僕は考えるよりも先に逃げ出す。


 とんでもないことになった。僕は人間界へ帰りたいだけなのに、どうして悪魔に狙われなければならないんだ。最悪だ。


「ばぁ♪ 先回り♪」

「!?」


 細身の男がとんでもない速さで前方に出現した。

 僕は咄嗟に急ブレーキを掛けて振り返るがすでに後ろには二人の男がいた。


「ベパン、そのガキはお前が捕まえろ」

「あいよ♪ なんせ俺は子守が得意だ♪」


 体格の良い男が細身の男に命令する。

 ベパンと呼ばれた男は舌なめずりしてじりじりと近づいた。


「ちゃんと抵抗しろよ♪ すぐに殺すのは面白くないからな♪」

「っつ!」


 ベパンは一瞬で間合いを詰め蹴りを放つ。

 蹴り飛ばされた僕は壁を粉砕して建物へと突っ込んだ。


「うぐっ……」


 咄嗟に左腕で防御したが、まったく意味を成していなかった。

 奴の攻撃は僕ではどうにもできないレベルだ。

 瓦礫を退けて左腕で立ち上がろうとすると激しい痛みが走る。どうやら今の攻撃で折れたらしい。たった一撃もらっただけでこれだ。まともに食らえばひとたまりもない。


「ほら、来いよ♪ 弱い者いじめさせろよ♪」


 壁に空いた穴の向こうでベパンが軽薄な笑みを浮かべて待っている。

 僕は懸命にこの状況を打破するべく思考を巡らせた。


 だが答えなど出ない。奴らか逃げおおせる策が見つからないのだ。

 どんなに逃げようが奴の足では先回りされてしまう。かといって抵抗するにしても戦いを知らない僕には万が一にも勝機はないだろう。唯一僕にとって都合が良いことは、奴が油断していることだ。しかしそれをどう上手く使うかは出てこない。


「うぉおおおおっ!」


 僕は壁の一部である木の板を握って立ち向かった。

 夢中で振り続ける板を奴は最小限の動きで避けていた。


「この! この!」

「遅い、弱い、不格好♪ 一人前以上なのは魂だけかよ♪」

「あぐっ!?」


 腕を掴まれひねられる。

 木の板を手放してしまい片膝を突いてしまった。


「しかし美味そうな魂だな♪ このまま俺がいただきたいものだ♪」

「ベパン。お前ピスターチ様の命令に逆らうつもりか」


 体格の良い男の横にいる普通の体格の男が注意する。

 ベパンは僕の腕を掴んだまま顔をそちらに向けた。


「しねぇってそんなこと♪ ピスターチ様には忠実だよ俺は♪」

「ならいい。逆らえば制裁が待っていることを忘れるな」

「へいへい♪ まったく心配性だな♪」


 奴の顔が再びこちらに向く。

 僕は注意が逸らされている間ずっと思案していた。どうすればこの状況から抜け出せるのか。

 悪魔は魂を啜ると聞く、もしそれが本当なら今の僕にもできるのではないだろうか。

 一か八か僕はそれを試すことにした。


 がぶりと奴の左手に噛みつく。


「このガキ!」

「ほぉはへほぉははひぃほひははふ」


 犬歯を肉に食い込ませ僕は啜った。

 血液と共に甘い何かが口内へと入ってくる。


 美味しい。美味しい美味しい美味しい。


「離れろガキ! こいつ!」


 ベパンは僕を右手で殴るが痛みは段々と気にならなくなる。

 気が付けば僕はその味の虜になっていた。


「やめ、やめてくれっ!」


 もっと吸いたい、もっともっともっと。


 僕が腕から口を離したのは吸い続ける血液から甘味がなくなってからだ。

 その間およそ十秒。どさりと力を失ったベパンが横たわる。


「なんてガキだ。ベパンの魂を吸いやがった」

「油断するな。今のあいつはただの子供ではない」


 普通の体格の男が驚き体格の良い男が眉間に皺を寄せる。

 僕は口元を袖で拭い自身の身体の感触を確かめた。


 以前よりも格段に力が漲っている。見えるものも感じられるものもさらなる広がりを感じた。悪魔が魂を啜りたがるのも仕方がない。これはある種の快楽だ。酒を飲むのとよく似ている。人として抱いていた倫理観が馬鹿らしくなるような圧倒的開放感。

 しかし、もしかすると感覚が変化しているのかもしれない。人は酔ったくらいでは倫理を失いはしないのだから。


「プオル、お前は援護しろ。相手は俺がする」

「いいのかドフ」

「アレは貴様では手に負えまい」


 ドフと呼ばれた体格の良い男が前に出る。

 後方ではプオルと呼ばれた普通の体格の男が両手に炎を宿す。


 武器を見るに剣士と魔術師だろう。

 今の僕なら勝てる気がする。


 ドフは剣を抜いて構えた。隙のない構えに僕はいきなり手詰まりを覚えた。

 不用意に近づけばやられる、素人の僕でもそれははっきりと分かった。

 かといってすんなり逃してくれるとも思えない。相対した以上は倒すか退かせるべきだろう。


 僕は周りを確認して使えそうな物を探す。

 そして、足下に死体が転がっていることを思い出した。


「まさか」


 ドフのつぶやきが聞こえたが気にしない。

 ベパンの足首を掴んで大きく振りかぶって投げる。

 普段の僕なら決してこんなことはしないだろう。だが今は魂を吸ったばかりでモラルが機能していなかった。否、モラルはあるがひどく希薄な状態だった。それに命の危機という大義名分も手伝ったからだろう。


 死体はドフに直撃、すかさず僕は彼の首筋へ噛みつき魂を吸った。


「離れろっ! 俺の魂を吸うな!」

「じゅるるるるっ!」

「ぎゃぁぁあああああああ!!」


 甘露が喉を通り抜ける。


 美味しい、なんて美味しいんだ。

 悪魔はこんなものを飲んでいたのか羨ましい。

 この味は今までのどんな物も色あせさせる。

 もっと、もっと飲みたい。


 突如として身体が炎に包まれた。


 どうやらプオルが魔術を使ったらしい。

 だがしかし、不思議なことに身体は焼かれるどころか火傷一つ負うことはなかった。これはもしかして魔術師が言うところの魔力抵抗値が上がったからなのだろうか。


 僕が暮らしていたパタ村には希にだが魔術師が訪れていた。

 俗に言う冒険者だ。彼は魔物を狩る仕事を主に請け負っていて、村を一時的な拠点として利用していた。

 僕を含めた村の子供達はそんな彼に魔術師の話を数多く教えて貰っていた。

 魔力抵抗値もその中の一つだ。


 あらゆる生き物の中には魔力に抵抗する力があって、それが高ければ高いほど魔術が効きにくくなるそうだ。彼は魔力抵抗値のことを『膜』と呼んでいた。魔力に抵抗する力は身体の表面に存在していて、それを強力な魔術で破ることによって、事実上いかなる相手にも魔術は効果を及ぼすことができると言っていた。


 僕はドフの死体を放り出して立ち上がる。

 片手で振り払えば炎はかき消えた。


「なんて魔力抵抗! くそっ!」


 プオルはより強力な炎を放つ。

 僕は強化された脚で躱し、獣のように姿勢を低くして次の攻撃に備えた。


 そこでようやく気が付く。


 折れたはずの左腕が治っていることに。これが魂を吸ったことからなのか、基礎的な治癒力が向上したからなのかは現時点で不明だが、少なくとも吸血もとい吸魂が原因なのは確実だろう。


「何が可笑しい! このクソガキ!」

「あれ、僕笑ってた?」


 無意識からだろう。でも確かに今の僕はこの状況を楽しんでいる。

 次の魂を早く啜りたい。そんな衝動に駆られていた。


 奴は炎を次々に繰り出した。


 僕はジグザグに避けつつ距離を詰める。

 奴はここに来てようやく逃げるか戦うかの迷いを抱いたようだった。明らかに動きが鈍ったのだ。そこを僕は待っていたとばかりに飛びかかる。


「しまった! くっ!」


 未だ空中にいる僕へ魔術を行使する。

 今までで最大の炎が僕に向けて放たれた。


 それこそが一番の隙だ。


 僕は真上から振り下ろした右腕で炎を引き裂く。

 さすがに腕には火傷を負ったがこれくらいは何の問題にもならない。

 勢いのままプオルにしがみついて首筋に噛みついた。


「ちくしょう! こいつ! 離れろ!」

「じゅるるるっ!」


 美味しい。美味しい。美味しい。

 癖になる味だ。吸うのを止められない。

 もっと、もっとだ。


 どさり、魂を吸い尽くされたプオルは倒れる。


「もう終わりか……」


 少し残念な気持ちになる。もっと味わいたかったのだが。

 だけどまだピスターチが残っている。あいつは強そうだからきっと魂も美味しいに違いない。もちろん勝手な予想だけど。


 僕はプオルを引きずってあの馬顔の元へと戻った。




 ピスターチは魂を啜っていた。

 死体は十を越えそれらは散乱している。


「うっすい味だな。ヒヒン」


 十一人目が地面に転がされた。

 ピスターチは振り返って僕を見つける。


「ヒヒーン! なんだガキにやられちまったのか! 使えねぇ奴らだ!」

「お前の魂を僕によこせ」

「いいぜ、欲しけりゃ力尽くで奪えよ! なんてったってここは無法地帯のトイオックスだ! 力が全てなんだよ!」


 奴は傍にあった金属製の鈍重な棍棒を掴む。

 それは先に無数の棘があり防ぐだけでも厄介に見えた。


 僕はさっきも使った戦法を取ることにする。

 プオルの死体を投げつけあいつの隙を作るのだ。

 思いっきり力を込めてピスターチにぶん投げた。


「ヒヒン、甘ぇぜ! ホームランだ!」


 あいつは棍棒を振りかぶって死体にヒットさせる。

 死体は爆発したように弾け飛び肉片と血液が僕に向けて降りかかる。


 くそっ、死体を使った作戦は無駄だったか。


「よーし、次はこっちから行くぜ! ヒヒーン!」


 地面を強く蹴った奴は急加速で飛んでくる。

 反射的に腕でガードしたが、振られた棍棒は僕の身体ごと弾き飛ばした。通りの突き当たりにあった建物へと背中から激突、壁を突き破って真上から瓦礫が降り注ぐ。


 激痛が腕に走る。骨は折れていないようだが肉が裂け骨が露出していた。


 やっぱりあいつの攻撃は強烈だ。予想していたとは言えそんな相手に喧嘩を売るとは、欲に駆られて愚かな選択してしまったとしか言いようがない。


 瓦礫を押し退けなんとか這い出る。

 ピスターチは棍棒を肩に乗せて不敵な笑みを浮かべていた。


「なかなか頑丈じゃねーか。この俺様の一撃を耐えれる奴はこの辺りじゃそうはいねぇぜ。ヒヒン」


 奴の言葉を無視した。

 頭に巡らせるのはどうやって勝つかだ。


 ピスターチは強い悪魔だ。たとえ首筋にかみつけても引き剥がされる可能性は高い。できれば動きを封じ込めてその上で吸魂するべきだ。しかし、肝心のその動きを封じる手段が思い当たらない。どうすればいいのか。


 視線を四方に向けて何かないかと探す。


 ――目が留まったのは蓋の付いた小さな壺だった。


 臭いでそれがなんなのかすぐに察する。よく見ればここは個室になっていて臭いを逃すように小窓が備え付けられていた。僕のいた村ではみんな外でしていたが、ここでは部屋に籠もってするらしい。


 僕は壺を持ち上げ笑みを浮かべる。


「馬は鼻が良い生き物らしいね。犬ほどじゃないけどかなり敏感って聞くよ」

「ヒヒン。どこかでお勉強したのか。その通りさ、馬ってのは鼻が良い。だが俺様に限っては犬を超えるほどの嗅覚を有するんだぜ」

「じゃあ最高だね」


 壺を最大の力で奴に投げる。

 奴ならきっとヒットさせるはずだ。


「性懲りもなくまたかよ! ヒヒーン、ホームラン!」


 棍棒を振りかぶって壺に叩きつけた。

 直後、壺は爆散するように内容物をぶちまけて弾け飛ぶ。


 茶色い雨が奴に降りかかった。


「おげぇ! なんだこの臭い! まさか排泄物の入った壺を投げたのか!?」


 今頃気が付いても遅い。


 奴が嘔吐えずいている間に僕は床を蹴って飛ぶ。

 太い首に腕を回し勢いのまま遠心力で半回転すると、背後から首筋にガブリと噛みついた。鼻がもげそうだが悪臭に慣れていたこともあって耐えられないほどではない。


「離れろ! ちくしょう、ちくしょうちくしょう! 油断した! なんてガキだ! この俺様が不覚を取るなんて!」

「じゅるるるるるるっ!」


 がくっ、ピスターチの両膝が折れた。


「あの時……殺しておくべきだった……」


 甘い甘い魂を啜り続ける。

 今までにないほどの美味しさだった。


 こいつの言っていた質の良い魂とはこういうことを言うのかもしれない。絶品だ。全身が歓喜に震えるほど甘美で官能的で幸福感に満ち満ちている。一言で表現するなら絶頂、脳みそを快感が突き抜けて行く。油断したら意識が飛んでいきそうだった。


「ひは、いひひひ!」


 はぁぁぁぁああ、深い息を吐く。

 気持ちいい。悪魔になれて本当に良かったよ。

 この快感を知ることができたんだから。


 僕はずるずるとピスターチの死体を引きずりながら湖へと戻った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

更新するのを忘れてました。ごめんなさい。


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