三十六話 大規模奇襲
地平線に巨獣の樹海が見え始める。
だが、僕らが向かっているのはその手前にある町だ。
城塞都市グワメスト。ブレバー領で最も栄えている町だ。
巨獣の樹海に挑む冒険者達は必ず立ち寄り準備をする。
なので僕もあの町のことはある程度知っていた。
(どうやらこちらの軍は都市に籠城したようですね)
(数を考えるとそうなるよね。それで状況は?)
(死傷者多数、冒険者達が戦力に加わって抵抗を続けているようですが、それも長くは保ちそうにないといったところでしょうか。敵は樹海の手前で陣を形成し、攻め込むタイミングを見計らっているようです)
イリスに礼を言ってから小太郎の足をさらに早める。
「しかし二万もの兵力を隠していたとは、儂らは魔帝国とやらをまだまだ侮っていたようだな」
「ちゃんと魔族の調査はしているんだよね?」
「当然。諜報活動に長けた
ビルフォリオの声は疲れているようだった。
王宮では賢者らしく自信に満ちあふれた態度で振る舞っていたが、どうも実際の彼は違うようだ。
「隠しても仕方がないので先にバラしておくが、儂は他の賢者とは違って至って平凡な魔術師だ。努力して努力して努力して、やっと賢者の椅子に座った凡人なのだよ」
「あー、だから凡俗の賢人なのか」
「ずいぶんと皮肉が込められた二つ名だろ。だが否定はしない。なぜなら儂もそう思っているからだ」
なんて言うか意外だったかな。
僕がかつて思い描いていた賢者って、とんでもなくすごい人達ってイメージだった。
雲の上で暮らす天使様のような触れられない存在だったんだ。
でも魔界に落ちて僕自身が賢者なんて呼ばれるようになると、それほど大きなものには見えなくなっていた。だからよけいに思うんだ、あの頃の僕は何一つ知らないまま生きていたんだなって。
小太郎が町の近くで地に足を付ける。
立ち止まると、僕とビルフォリオは飛び降りた。
「やはり良いな。この馬を見ていると血管が破れそうなほど心の臓がバクバクするわい」
「そ、そうなんだ……ちょっと倒れないか心配になってくるよ」
僕らは閉じられれた町の扉を叩く。
城塞都市と言うだけあって町を守る外壁は非常に堅牢だ。
外壁の上から顔を出した兵士が僕らに何者かを問う。
「儂は国王陛下の命により派遣された賢者ビルフォリオである。領主であるブレバー卿との面会を願いたい」
「おおおっ、賢者様に来ていただけるとは! 今すぐにお開けいたします!」
ガガガガ、鉄格子が引き上げられ重厚な大きな扉が開かれた。
出迎えるのは血と泥にまみれた兵士達だ。
彼らを分けて前に出てきたのは一人の騎士。
ビルフォリオの前で片膝を突くと頭を垂れた。
「ようこそ賢者ビルフォリオ様。自分はブレバー様にお仕えする騎士の一人でございます。どうか魔族を退けこの町の危機をお救いください」
「それはもちろんだが、まずは状況を知りたい。ブレバー卿への面会を求む」
「かしこまりました。では付いてきてください」
僕らは騎士の後に付いて町の中を歩く。
どこもかしこも負傷者に溢れ、腕をなくした兵士や片目を失った冒険者などの姿が目に入る。
ここが活気に溢れた町だったのをよく覚えている。
イリスと一緒に屋台で串肉を買って食べたし色々な店だって回った。
それが今では悲鳴とすすり泣く声で満たされている。
「悲惨だな。だがこれでもマシな方だ。儂は落とされたエルメダスやバナジャの様子を知っているが、それはもう惨たらしい有様だった。
「負ければここもそうなるってことだね」
「お前の力に少なからず期待をしておるぞ」
まだまだ僕の実力を怪しんでいるか。
魔術を見せてないんだから当然だよね。
騎士はとある家のドアを開けて僕らを招き入れる。
中ではベッドに横になった中年の男性がいた。
「ブレバー様、賢者様がお見えになられました」
「そうか、起きるとしよう」
上半身を包帯で巻いた男性が、騎士の手を借りて身体を起こす。
ベッドの端に座ると一礼した。
「このような状態でご挨拶するのをお許しください。御覧の通り魔族に手傷を負わされ、今は満足に身体を動かせない状態なのです」
「構わぬ。それで状況は?」
「敵の数は二万。大部分を占めているのは歩兵のようで、比較的魔術師の数は少ないように思われます。ただ、桁違いに強い魔族を確認しているとのことです」
「桁違いに強いとはどの程度だ」
「恐ろしいことにたった一人で兵の半数近くがやられてしまったのです」
ビルフォリオは「かなり厳しいな……」と眉間に皺を寄せる。
たぶん副参謀が言っていた罪人ブリークなのだろう。
彼はブリークがいることでかなりの自信を抱いているように見えた。
二万の兵力に強力な戦士。だとすれば指揮官も優秀に違いない。
本気で王国を倒しに来ているのが分かる。
僕らは領主に挨拶を終えて、ひとまず敵の様子を見ることにする。
騎士に案内されて登った外壁の上から、樹海側に広がる草原を一望した。
ずらりと並ぶ魔族の兵士。
それらはぴしりと複数の長方形に作られており、無言の圧をもって空気を押し返している。
あの巨大な壁の前では城塞都市はあまりに頼りなく思える。
「やれるか?」
賢者は暗に『無理なら早く言え』と言っていた。
「問題ないよ。想像していたよりも下だったみたいだ」
「それは朗報ではあるが、逆にいかなる戦力を想像していたのか気になるところだ」
「もちろん大部分が魔術師で構成された戦略型攻撃部隊だよ。飛空部隊もないみたいだしこれならぜんぜん余裕だね」
「センリャクガタ? ヒクウブタイ??」
いやー、ちょっぴりだけど不安はあったんだよねぇ。
他の賢者達があまりにも馬鹿にするから、魔界並みの戦争が人間界でも繰り広げられているのかと思ったんだ。だってほら、魔族だって
「ご主人様、お着きになられたのなら一声かけてください」
「ごめん。そろそろ呼ぼうとは思っていたんだ」
リルルに乗ったイリスが外壁の上で着地する。
いきなり現れた大きな獣に、兵士達は悲鳴をあげて腰を抜かしていた。
飛び降りたイリスはリルルに小太郎のところで待つようにと指示する。
すると白銀の狼はその場から一瞬にして姿を消した。
さて、そろそろ始めようかな。
僕は
どこからともなく杖が現れたことに、ビルフォリオは目玉が飛び出るほど目を見開く。
「ど、どこから杖を!? 待て! なぜ儂を抱える!?」
「ちゃんと見届けてもらわないといけないからね。大丈夫、君の手を煩わせるようなことにはならないから。それじゃあ行こうか」
「ひぎゃぁぁあああああああ!?」
僕とイリスは外壁から町の外へ飛び降りる。
高さは二十メートルほどかな。
風の魔術でクッションを作ると、そこから超低空飛行で加速する。
ほどほどの距離で停止するとビルフォリオを地面に下ろした。
「死ぬかと思った……死ぬかと思った!!」
「大げさだな。ちょっと高いところから飛び降りたくらいじゃないか」
すごい汗なので僕は水筒を取り出して彼に渡す。
がぶがぶと水を飲み干した彼は、ようやく落ち着いたのか深く息を吐いた。
「疑っていたわけではないが、やはりお前は魔術師なのだな」
「あれ? ちゃんとそう言ったよね?」
「術を使っている姿を見ていなかったからな。それにお前は杖も持っていなかった」
「なるほどね。言われてみればそうだよね」
杖は魔術師のトレードマークみたいな物だ。
常に肌身離さず持っているのが普通だから、彼がそう言いたくなるのも理解はできる。
たとえるなら剣を持たずに剣士だと名乗っているような感じかな。
うん、割と恥ずかしいかも。
僕は
刻印された『V-04』の文字が四番目に制作されたことを知らせる。
杖を地面に突き刺すと、銃から弾丸を抜き取る。
前回の鏡鳥に使ったから弾丸の中は空っぽだ。
なので
ちなみにこの銃はショットガンと呼ばれるタイプだ。
込める弾丸は一つだけだが、その代わり威力の大きい術を発動させることができる。
反対に多くの弾を込めることができるハンドガンだと威力は小さいが、その分多くの種類の術を撃つことができるそうだ。
「ずいぶんと珍しい物を使っているのだな」
「
「儂も見るのは三回目くらいか。かつて使役していた
「じゃあその
魔界で遠距離兵器なんて流行らない。
なのにあえて持っているのはそのデザインや機能性に惚れ込んだからだ。
そして、僕もその一人なんだ。
僕は銃口を二万の大軍に向ける。
「一万で足りるかな?」
「問題ないと思います。あの程度なら一発で三、四人は吹き飛ぶでしょうし」
セーフティを二回解除する。
この銃には二段階の安全装置が付いている。
一段目は発砲を防ぐもの。
二段目は威力を抑制するものだ。
銃口をそのまま上に向けると、僕は引き金を引いた。
ドォォォオオン。
雷鳴のごとく術が放たれ、赤い閃光がまっすぐ天へと向かう。
光は高い位置で数え切れない小さな光へと分かれると、ぐにゃりと下降軌道に変わり流星雨のごとく地上に降り注いだ。
その数は一万。
魔族の軍がいた場所では、息を継ぐ間もなく連続して爆発が起きる。
爆炎が立ち昇り、土が柱のように舞い上がって、黒煙がもうもうと広範囲を覆い隠した。爆音と衝撃は空気を震わせ地面を揺らし続ける。
そう言えば誰かが絨毯爆撃なんて言ってたな。
なかなか上手いたとえだ。
「あああ……わ、儂は一体なにを見ておるのだ……」
ビルフォリオは目の前の光景が受け入れられないのか、ぼーっと赤い爆発を瞬きすらせずに見ていた。
「全滅するかな?」
「それはなさそうですね。数は少ないですが攻撃に耐えている者達がいるようです」
「どれくらいるか分かるかな」
「そうですね……ざっと二千人前後でしょうか」
一割にまで減らすことができたのなら上出来だよね。
こっちは事前に込めていた弾丸の魔力を使っただけだし。
たった数分で一万発の魔術は尽きる。
残されたのは散乱した肉片と、むき出しとなった地面に刻まれた無数の爆発痕。
黒煙は未だ漂っており、肉の焦げた臭いがこちらにまで届いた。
その中で部位欠損にダメージを抑えた者達がいた。
火傷を負ってはいるが戦えないほどではない者も見受けられる。
さらに三名は無傷だった。
「なんて攻撃だ。対魔障壁を張ってもらわなければ我々も危なかった」
「無事なようねジュスティーヌ」
「ああ、よくぞ私達を守ってくれた。礼を言う」
白いロングヘアーの女性と、それを守るように槍を構えるグリーンのショートヘアーの女性。
そして、近くには涼しげな顔で眺めている、白の長髪に丸眼鏡をかけた細身の男がいた。いずれも先ほどの攻撃ではダメージを与えられなかった相手だ。
「ふはははっ、ずいぶんとまぁ派手にやられてしまったなぁ。ここまでくると逆に気持ちがいいものだ。この肉の焼ける臭い、あー、実に心落ち着く香りだ」
「五月蠅い! お前は早く術を放った者を探し出し始末してこい! さもなくば再び監獄へと押し込むぞ!」
「承知しているジュスティーヌ。俺もあそこに戻されたくはないのでね」
男はこちらに視線を向けつつ、腰に帯びている双剣をすらりと抜いた。
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