第404話 ゲッシュ
「キュイイィン!」
キュイの鳴き声が響く。エクヴァルが生徒を二人乗せて支え、上空を一周して降りてくる。よほど楽しいのか、もう一度とせがむ子もいて、キュイは何度も飛んだり降りたりを繰り返していた。
「先生、ワイバーンがさっきからこの辺りを飛んでるって……」
「皆、無事か!??」
男性が数人、棒や武器を持って駆け付けてきた。どうやらキュイに襲われていると、勘違いしたみたい。
「おお、すまんな。あれは臨時講師の方のワイバーンで、子供達を乗せてくれているんじゃ」
「ワイバーンに? そりゃすごいが、危ないんじゃ?」
「いやいや、よく懐いているワイバーンでな、子供達に大人気じゃよ」
キュイが旋回して戻ってくるのを、全員で見上げている。キュイは敷地の外の草原に降りた。生徒は集会所の敷地内で手を振って迎える。着地の時に近くにいると危ないから、駆け寄れないようにしないとね。
「キュイ~」
「キュイ、疲れた? もう一回、飛べるかなあ……」
エクヴァルが先に軽く飛んで地面に着地して、キュイの背中で降りにくそうにしている子供を、下から支えて降ろした。
キュイはリニに頭を寄せて撫でてもらっている。疲れて甘えているみたい。
「お腹が空いたんじゃない? クッキーは食べないよねえ」
「キャベツ食べますかね? そこの畑、知り合いのだからもらってきます」
「食べますよ、助かります」
大きな草刈り鎌を持って来た男性が奥の畑に入り、鎌で器用にキャベツを収穫した。持ってきた二個をリニに渡すと、リニの手からキュイがキャベツをまるごと食べる。
「キュイ、美味しい?」
「ウキュ~」
「まあまあみたいだね。肉が好きだから仕方ないね」
キュイはバリバリと、あっという間にキャベツ二個を食べ終えた。生徒はキュイの食事シーンも喜んで眺めていた。そして飛行の続き。二回目を希望の生徒を乗せる。
後で頑張ったキュイに好物をあげよう。ワイバーンって牛を食べるから、牧場の人に嫌われているのよね。牛をあげたら喜ぶのかしら。生きた牛を一頭って、どこで買えるんだろう……。
「しかしこれは良くありませんな」
「どうしたの、セビリノ?」
リニを介してキュイと遊んでいる生徒達を見詰めながら、セビリノが呟いた。一見すると険しい表情だが、単に真顔でろくなことを考えているのだろう。
「せっかく師からご指導を賜れるチャンスですのに。全くもって、勿体ない」
「皆がキュイに乗り終わったら、セビリノが指導してあげてもいいんじゃないの。宮廷魔導師じゃない」
「いえ、宮廷魔導師は努力をすればある程度、誰にでもなれます。しかし我が師匠、世界一の魔導師は一人だけです!」
普通に宮廷魔導師の指導の方が、嬉しいと思うな。
ムキになって反論されそうだから、口には出さなかった。大声で自分を称賛させる人になってしまうわ。
「おや、先生方、お揃いで。今日の授業はお休みですか?」
キュイが戻ってくるのを待っていたら、壮年の男性が歩いてきた。お供が一人と護衛を二人連れ、後ろにはフードを被った人物と、悪魔が続く。悪魔は下位貴族かな。ベリアルに気付いていて、ひきつった笑顔を作っている。
「……先生のお知り合いが、生徒達に特別授業をしに来てくれている。お前こそ何の用だ」
嫌悪感を隠しもしない声色で、男性の一人が答えた。仲が悪い人なのかな。
「ご挨拶だな、従業員を連れに来たんだよ。ホラ行くぞ」
呼ばれたのは、十五歳くらいの女の子。金色の髪に緑色の瞳で、とても可愛い子だった。
「塾を辞めてからの約束だったはずです。……今年で卒業して、それからだって」
「貴様、先生の生徒にまで何かしたのか!??」
胸ぐらを掴みそうな勢いだったけど、護衛がガードしていて近付けない。“にまで”ってことは、以前も誰かと揉めたんだろうか。
「俺は親切にしただけだぜ? すぐに金が必要だって言うから貸してやって、代わりに俺のトコで働く約束なんだ」
他の生徒も心配そうに、女の子の背中を撫でて慰める。
女の子は小さな声で、ぽつりぽつりと途切れなから事情を説明した。
彼女の父親が怪我をして、それは薬で早くに治ったものの、仕事が納期に間に合わず契約を切られた。生活が苦しくなったが、新たな取引先が見付からない。母親も裁縫の仕事がなくなってしまったという。
困っていたところを、この男性……、金貸しらしい。彼がお金を貸し、女の子が金貸しのお店で働きながら返済すると決まったそうだ。
「お前が雇いたい人間がいる家は、いつも不幸が起きるんだな」
「そうだったのか? 偶然ってのは恐ろしいね!」
どうもこれはきな臭いお話だ。マトモな金貸しではない気がする。こんな人が魔法塾に通っていた女の子を雇って、どんな仕事をさせる気なのかしら。
「まあまあ、お二人とも。いきなり職場から迎えに来られたら、相手も困るでしょう。まずは契約書を出してください、勤めの時期などを確認しましょう」
「あ~……契約書は交わしてないんだよな。文字も読めねえのもいるし、わざわざ用意してなくてな」
後からどうとでも出来るヤツだ。怪しさ倍増だわ。エクヴァルは“私は無害です”というような笑みを浮かべているので、計画があるに違いない。
「ならばこれから契約書を作りましょう。仕事の開始日も、明日にするにしても明後日にするにしてもここで決定して、仕事内容も先生方に見て頂くのはどうです?」
「……そうだな、揉めても面倒だしな。明後日、出資者と打ち合わせがある。その時に同席させたい。可愛い子がいると話が弾むだろ?」
にやっと笑って、女の子に視線を送った。女の子はビクッと肩を震わせる。
接待をさせる気なのね。わざわざ迎えに来るなんて、相手がこの子が好みだ、とか指名したのかしら。
「どんなことをされるか、分かったもんじゃない。行かせられるか!」
「給金は先払いしてあるんだぜ? ごねて損をするのは、そっちじゃないのか? ……なんなら力尽くでもいいんだぜ」
手慣れていそうな男性だ。連れてきた悪魔を動かそうとしたが、悪魔は引きつった笑顔でベリアルを盗み見ていた。ベリアルは我関せずと、腕を組んで立っているだけ。
「まあまあ、給金だけもらって、仕事をしないわけにはいかないですからね。ところで、我々はここの生徒達に技術を披露していまして。いい機会なので、ゲッシュをやろうと思うんですが、どうでしょう」
「ゲッシュ……?」
「たしか、北方で行われている、誓いの儀式ではなかったか……?」
金貸しが訝しげに繰り返した言葉に、先生が答える。
エグドアルム近辺ではわりと有名だけど、こちらではあまり知られてないみたい。
「ええ、騎士が己に誓いを立てたのが始まりです。現在は魔法の儀式として確立され、重要な契約時などに行われたりしますね。
エクヴァルが金貸しに視線を流した。後ろ暗いところのある金貸しは、動揺を隠そうと口を引き結ぶ。
「兄ちゃん、誓いってどんなの?」
冒険者を目指す男の子が質問する。
「宴の誘いを断わらない、犬を食べない……、ご婦人からの申し出を断わらないというゲッシュを自分に課して、酷い目に遭った騎士もいたね」
「うえ~、誰にも負けないとか、弱い人を絶対に助けるとか、カッコイイのじゃなかった……」
男の子には残念だったよう。ゲッシュの内容が厳しいものではなかったので、金貸しは少し安心していた。
「つまり、己へ誓いを立てていたものを、お互いに誓う契約にしたのが現在我が国で行われるゲッシュ。やり方も簡単で契約書を普通に交わし、仲介人を立てて宣言するだけです」
我が国で行われるというほど、やる人はいなかったと思う。普通に契約書を交わすだけでいいし、ペナルティは事情を考慮せず強制的に発生するから。
「……仲介をしてもらって契約を交わすんなら、その方がいい」
「ワシも立ち会おう」
女の子を連れて行かせないと息巻いていた男性も、少し譲歩を見せた。先生は生徒を守りたいものの、金銭問題に口を挟めずにいたが、ちゃんとした契約をするのなら、と頷いた。
「イリヤ嬢、仲介人として儀式の進行をしてもらえる?」
「いいわよ。私もゲッシュなら出来るし」
「じゃあ、オーソドックスな形で頼むよ」
「それでいいのね、分かったわ」
ふむほむ、なるほど。まずは契約書を作らねばならない。建物の中に入り、紙とペンを用意する。
生徒達は少し離れたところで丸く囲んで見守り、問題の女の子は契約書の確認の為、先生と一緒に中央に座った。エクヴァルが主導で契約書を作成、私はゲッシュで読み上げてもらう文章を用意した。
「では明後日の午前中から、期間は二年。一月の給金のうち、借金の返済分がこのくらい……」
仕事の時間や時期を決め、次は内容。ちなみに時間に関しては、一日の労働時間は休憩を除き九時間以内でなければならない、という程度の決め方。
仕事内容は計算や書類作成、人手が足りない時の受け付け。そして客が暴れた時、防御魔法で従業員を守る。
さすがに仕事内容が金貸しなので、問題は毎日のように起こるそうだ。怪我や暴言で辞めていく従業員もいるとか。身体及び精神への攻撃から、守る義務があるとも明文化されている。
接待は性的な目的は含まない、も入れた。これには相手が渋い表情をしたが、この国では禁止されている為、飲まざるを得なかった。ハッキリ書かなければ、やらせそう!
お互い内容に納得したら、誓いの言葉を告げる。
「では誓約の言葉を」
私は渡した紙を読み上げるように促した。女の子と金貸しが同じ言葉を唱える。
「「我らの魂にこの誓いを立てる。この誓い破りし時は、空よ落ちて我らを砕け。地よ裂けて我らを飲み込め。海よ、我らを巻き込め。世界にこの魂がある限り、誓いを守るなり」」
パアッと契約書が光った。ゲッシュが完成!
「よし、明後日からだぞ」
「……はい」
「はい、双方納得がいったようで何より。違反したら死ぬから、注意してね」
「「死……!?」」
気持ちを切り替えるようにパンっと大きく手を打ったエクヴァルを、皆が振り返る。
「いやだなあ、最初にペナルティがあると説明したし、契約書に書いてあるでしょ。誓いを破ったら物理的に死ぬのが、オーソドックスな形なんだよね」
そうか、わざと説明しなかったんだわ。
ゲッシュを破ったら、死かそれに近いペナルティがある。
あまりにも当然すぎて気にしてなかった。契約書には口頭で確認した以外にも、色々と書かれている。内容は普通の仕事の取り決めだけなので、双方の不利になる条件はない。
不正や虐待行為が出来ないだけで。
「騙したな! こんな誓いは無効だ、取り消せ!!!」
「無理だ、大人しく帰ろう」
命令された召喚師と悪魔は、大袈裟に首を横に振る。こういう時の為に連れてきたんだろうが、こちらにも悪魔の切り札があるのだ!
「くそおおぉ! わざわざ手を回した成果がこれか!」
「……騒がしいわ」
ベリアルが不機嫌に眉を吊り上げると、悪魔はヒイッと小さな悲鳴を上げて、金貸しの口を手で塞いだ。
「黙れ、帰るぞ! 命が惜しくないのか」
脅えるような悪魔の態度に、護衛が顔を見合わせる。
「帰りましょう、引いた方が良さそうです」
「とんでない方がいらっしゃる、二度とここには来ないからな! 失礼しまーす!」
やたら高い猫なで声でベリアルに挨拶すると、まだごねている金貸しを抱えて一目散に逃げ去った。
残された男性や生徒達は事情が飲み込めず、ポカンとしていた。
※ゲッシュ……ケルトの騎士の誓いだね!もうちょっと文章を変えようかと思ったんですが、変えようがないですね。
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