第402話 バラハの師匠

 エルフの森を出発し、目指すは西に進んで少し南に下った位置にある、海洋国家グルジス。

 地形に多少の起伏はあるものの、取り立てて高い山はない。遠くに広がる海の輝きが目に入るが、立ち止まっているように細長く広がったまま。なかなか動かない景色に、移動する距離を感じた。

 途中でペガサス便とすれ違い、飛竜がこちらを見て回れ右して去っていった。


 海洋国家グルジスは比較的狭い国で、人口も少ない。軍の規模が小さく警備などは手が回っていない。

 多くの国民が漁業や海産物の販売、観光など、海に関する仕事で生計を立てていて、美味しい海鮮が食べられる国なのだ。ただし、高級なお店はあまりない。

 海岸の近くには露店が幾つも並び、店舗を兼ねた住宅が点在していた。


 まずは定食屋で食事をする。ベリアルがなんとも似合わない店だわ。店員が緊張しながら接客している。噛みつかないので安心してください。

「おさしみ、楽しみ」

 リニはメニューをじっと眺めて目を輝かせていた。私も刺身を食べたい。

「ステーキはないのかね、ステーキは」

「海に来て、なんでステーキなんですか。お魚を食べましょうよ」

 普段からステーキばかりを食べたがるわけでもないのに、どうしてこういう場所で言うのやら。相変わらずのワガママだわ。

 ベリアルの声が聞こえたのか、店員が肩をすくませ、奥からこちらへ小走りでやってきた。


「あの……アワビのステーキなら、あります……が……」

「良かったですね」

 ステーキには変わらないわね。ベリアルが納得したと思って、店員はホッと胸を撫で下ろして笑顔を見せた。奥にいる仲間に親指を立てて大丈夫だったと合図し、そのまま注文を取る。

 私とリニはお刺身定食、エクヴァルは野菜のたくさん入ったオムレツとパスタ、セビリノはイワシの酢漬けとパン。ベリアルは結局、アワビのステーキを頼んだ。サーモンのマリネと、アサリの白ワイン蒸しも、皆で食べるのに注文する。料理はあまり待たずに届いた。


 あー、黄金色でぷるぷるするオムレツ、美味しそうだなあ。オムレツって意外と上手に作るのは難しいよね。私がやると、すぐ焦げ茶色になって形が崩れちゃう。

 お刺身を食べつつ、リニはエクヴァルのお皿のぷるぷるのオムレツが気になって、チラチラと盗み見ている。

「リニも食べる?」

「い、いいの? ……じゃあ、おさしみをあげるね」

「ありがとう、美味しいね」


 相変わらずの仲の良さだ。ベリアルがこちらに視線を向けている。

「……そなたは欲しければ自分で注文せよ」

「いりませんよ」

 何も言っていないのに、分けてやらないと言われた!

 全くもう、なんなの。

「師匠! 私のもので宜しければ、いくらでもお召し上がりください!」

「だからいらないよ」

 セビリノって関係ないところで対抗心を燃やすわよね。何故か断わられたのを不思議そうに、食事を続ける。


「では、ゆっくり食事していてね」

 先に食べ終わったエクヴァルが、立ち上がった。いつもは皆が食べ終わるのを静かに待っているのに。リニが不安そうに見上げる。

「え、……行っちゃうの?」

「冒険者ギルドで、バラハ殿の先生のいる場所を教えてもらってくるよ。会うのも目的でしょ?」

 確かに、やみくもに探すよりも早そう。この町の付近だってことしか聞いていない。

「ギルドで分かるかしら」

「確かギルドから正式に魔法講師として招いているんでしょ、把握しているよ」

 そういえばそんな話だった気がする。私達はここで待っていればいいわけね。


「じゃあ、戻るまでゆっくり食事しましょうね、リニちゃん」

「う、うん。おさしみ、……美味しいね」

 良かった、笑顔になった。

 移動しない方がいいだろうから、食事を終えても座って待っていた。メニューを眺めても、デザートは特にない。うーん、淋しい。

 バラハの先生は子供達が魔法技術に触れて欲しいから、披露して欲しいと言っていたそうだが、どういったものがいいだろうか。待っている間に、セビリノと打ち合わせをしておく。

「安全な回復魔法や防御魔法、アイテム作製をする場所があれば作るのですが、どの程度の設備があるのかも分かりませんな。エリクサーを目にする機会も少ないので、完成品を見せては?」

「そうよね。それにエリクサーの作製なんて、時間がかかりすぎて子供が飽きちゃうもの。完成品がいいわね」

「あと召喚術は……」


「ホイよ~、お待たせ!」

 私達が声を掛けられたのかな? リニが私の斜め後ろを凝視している。視線が低いのをいぶかしく思いながら振り返ると、エクヴァルが戻ったのだった。

 いや、エクヴァルの声じゃなかったわ。もう少し下?

 私も視線を下げると、茶色い猫が二本足で立って、片前足を上げている。ケットシーだ。

「ギルドのお仕事で、案内に来たよ~。先生の塾へ……ぇ……。人違いです、サヨウナラ」

 話の途中でくるりと後ろを向いてしまう。エクヴァルが退路を塞いだ。


「間違ってないから。ベリアル殿は襲ってこないから安心して」

「……怖い悪魔がいると思わなかった……。人違いにさせて……」

 ケットシーは尻尾を隠すように足の間に挟んでいる。

 ところでギルドのお仕事って言ったわ。グルジスでは猫も冒険者ギルドに登録できるのかしら。

「こ、怖くないよ。大丈夫だよ、一緒に行こう……?」

 リニがケットシーを宥めて、黒猫に変身して近寄る。ケットシーは猫仲間だと喜んだ。

「じゃあ案内するねー。行っくよ~」

 何とか持ち直したケットシーの隣を、四本の足で歩く黒猫リニ。ケットシーは二本足で歩いている。なんだかおかしな風景だわ。


 先生の塾は、この町の外れにある。猫に案内されて進む私達を、町の人が笑顔で見送る。

「おやヒュー、お散歩かい?」

「チッチッチ、お仕事に違いない。勤労ケットシーだよ」

「ははは、違いないか!」

 ヒューがこの子の名前なのね。ちょっとした言い間違えも、楽しまれているわ。

「帰りに寄りなよ、ヒュー。小魚を分けてあげるから」

「絶対に寄る! オレの分も残しておいてよね!」

 今度は魚屋のおばさんだわ。人気者ね。

「まあ、可愛い黒猫ちゃんと一緒ね」

「お仕事さ。レディーの案内だよ、危害が入るね!」

「気合いでしょ、危害を加えちゃダメよ」


 こんな感じで、商店街を抜ける前に何度もヒューは声を掛けられていた。たまに“素敵な人がこんな町に”と、ベリアルに憧れの眼差しを向ける女性もいた。

 商店街も終わり、民家がだんだんと減ってきた。キャベツ畑を越えた先に、平屋の建物がある。集会場みたいな感じかな。広い庭は整備されていて、花壇や薬草園、訓練場のような場所もあった。ここが塾なのね。想像していたよりも、大きい。

「ここだよ、到着~。せんせー、お客さーん!」

 ケットシーのヒューが呼び掛けると、建物の中から子供が出てきた。

「ヒューだ! 先生、ヒューだよ。ヒュー、遊べる?」

「オレは勤労ケットシーだよ。子供と遊んでいるヒマなんてないよ」

「きんろうって何? ヒュー、じいさんなの?」

「にゃっ!??」

 勤労の意味を知らなかったみたい。ヒューがビクッと尻尾を動かした。


「勤労とは、頑張って働くことを指す。ギルドで仕事をもらってきたんじゃろ、さ、ヒューの邪魔をしちゃいけないよ」

 後から出てきた七十歳近い男性が、バラハの師匠ね。裾の長い薄手の上着に、シンプルなズボン。村のちょっと偉い人、くらいな印象の服装だ。とても軍の上層部にいた魔導師とは思えない。

「お初にお目に掛かります、イリヤと申します。冒険者をしているトシュテン様より、こちらでバラハ様の先生が魔法塾を開いていて、子供達に魔法技術を披露する人材を求めていると伺いました」


 私が自己紹介をすると、バラハの師匠は何かに気付いたような表情をして、じっと私を眺めた。

「……イリヤさん? 薄紫の髪、丁寧な物腰……、もしかして、バラハのヤツが手紙に書いていた先生とは、貴女のことですかな?」

「はい、お恥ずかしながら」

 そうだった、バラハが以前言っていたわ。師匠に私を“今の先生”だと説明したって。知らない間に相手に覚えられているって、ビックリするわね。

「貴女のエリクサーは、私が今までの生涯で見た中で、最も優れた品でしたぞ! いいやむしろ、チェンカスラー王国や近辺の国で手に入る品となぞ、比べるまでもない程の抜きん出た逸品でした! 助かりました、本当にありがとう!!!」

 興奮した様子で私の手を握る。

 師匠が怪我をしてエリクサーが必要だった時、Aランク冒険者のカステイスとイヴェットを通して、エリクサーを渡したのだ。


「先生の恩人の方ですか!?」

「きゃあ、あのエリクサーの制作者様!?? どんな方?」

 バラハの師匠の後ろに生徒達が集まった。狭い入り口に、数人がひしめき合って私を見にくる。なんだか照れるわ。

「左様! こちらが偉大なる魔導師、イリヤ様であらせられる!」

 この機を逃すセビリノではなかった。五指を添えて胸を張り、堂々と私を示す。はいはい、始まりましたよ。

「イリヤ様だって、すげー!」

「魔導師様だ、魔導師様だ!」

 生徒達は信じてしまって大騒ぎ。狙い通りの反応に、セビリノが満足げな笑みを浮かべる。

「ねえ、オレはそろそろ帰るよー」

 騒がしい中、ヒューは冷めた声でバラハの師匠を見上げた。


「そうじゃった、お礼をせんとな」

 懐から銅貨を取り出して、一枚あげた。ヒューは笑顔で受けとる。

「どうもー! またね、次は食べものを用意しておいて」

「ここには余分な食べものはないよ」

 食べものは断られたが、ご機嫌で帰っていく。私はリニと一緒に、後ろ姿を見送った。

「ところで、ヒューもギルドに所属しているんですか?」

「いや、あの子は人がギルドで仕事を受けているのを見て、自分もやると押し掛けたんじゃよ。今回みたいなお手伝いを頼んで、小銭や食べものをあげているよ」

 なるほど。さすがに冒険者ではなかったわ。ちょっと残念。


「イリヤ様は最高の魔法使いで、アイテム作製の腕も誰も敵わぬ程、召喚術にも詳しく、最近では盗賊退治などを……」

 先生と話をしている間に、セビリノが得意になって生徒に私の啓蒙活動をしている! 子供達はすげえ、と喜びながら聞いていた。大きな子になると、半信半疑で頷くくらいになる。

「……セビリノがすみません」

 よくセビリノは堂々としていられるわね。私の方が恥ずかしいわ。

「個性的な弟子をお持ちですな。名乗り遅れました、私はグスタフ・アルーン」

「アルーン先生ですね。赤い髪の男性が私が契約している悪魔で、ベリアル殿です」

「悪魔の……高位貴族じゃな。さすがに弟子が自慢するだけある」

 アルーン先生が頷く。弟子の言葉は忘れて欲しい。


「私は彼女の護衛で、エクヴァルです。この子はリニ」

 エクヴァルに紹介されて、リニは黒猫から人の姿に戻った。くるんとした羊の角に尻尾のある、小悪魔の登場だ。エクヴァルの横で、服の裾を掴んでいる。

「リニ……です。よろしく……」

「猫が人になった!!!」

「小悪魔だよ、可愛い!」

 ちょうど変身場面を見た生徒が、興奮気味に騒ぐ。セビリノのお話は中断された。


 わあわあ騒いで収拾がつかなくなり、アルーン先生はパンッと手を一度叩いた。大きな音が響き渡る。

「ほらほら、入り口に集まっていないで中に入りなさい。授業の続きをするぞ!」

「「「はーい」」」

 アルーン先生に言われて、リニに突撃せんばかりの勢いになっていた生徒達が、大人しく一斉に建物の中へ入っていく。


「セビリノ君とやらも、話はまた後じゃ。まずは子供達に紹介せんと」

「うむ」

 よく恥ずかしげもなくいられるわね、セビリノは。

 私達も先生と建物に入った。ここが塾かあ、なんだかわくわくするね。

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