第325話 聖歌で始まる朝
朝から歌声が聞こえている。
天から降ってくるような、美しい歌声だ。曲は
誰が歌っているのか気になって、窓から外を眺めてみた。
人々も足を止め、周囲を見回している。
吟遊詩人が外で歌っているのかと思ったけど、どうやら違うみたいで、それらしい人影はない。
この通りで歌っていたら通行の邪魔だと注意されるが、こんなに素晴らしい歌なら見逃してもらえそう。
曲が終わると、耳を傾けていた人々から誰とも分からない歌い手に向けて拍手が送られる。私も感動を伝える為に、一緒に手を叩く。
次の曲が流れないので、レストランへ向かった。
他の宿泊客も歌を聴いていたらしく、ほぼ同時に何組かが席に着いた。ベリアルもやって来て、向かいの椅子に座る。今日はルシフェルと一緒じゃないのかしら。
少ない宿泊客とはいえ一気に訪れたので、奥にいた店員もメニューを手にして接客に回った。
「クロワッサンと、飲みものは温かい紅茶をください」
「卵料理は何になさいますか」
「チーズオムレツで」
私の注文が終わると、店員はベリアルに視線を移した。
「我も同じものを」
「かしこまりました」
店員が一礼して、他のテーブルにも注文を取りに行く。
「ルシフェル様はご一緒じゃないんですか?」
「来客である。……ほれ」
ホテルからレストランへ直接入る扉に、ルシフェルが翼を生やした天使と一緒に姿を現した。どう見ても、二人とも天使っぽい。
天使はウェーブした金の髪を高い場所で結んでいて、真っ白いローブガウンの襟元は赤で、中央に長く布が垂れている。下の方に紋章の様な模様、胸元には十字架が描かれていた。ガウンの下に、赤い裾が揺れている。
「音楽隊みたいな衣装ですね」
「天の聖歌隊の隊長よ」
「あ、じゃあもしかして、朝の歌声は……!」
やっぱり天使の歌だったのね。納得だわ。
「せっかく訪ねてくれたから、久々に彼の歌が聞きたくてね。騒がせてしまったかな?」
席へ案内するスタッフに、ルシフェルが微笑みかける。
「とんでもないことです、皆あの素晴らしい歌声はどなたのものかと、気になっておりました。ご迷惑でなければ、ここでも一曲披露して頂きたいほどです」
「歌っていいのでしたら、是非この場をお借りしたい」
天使は乗り気。急遽リサイタルが開かれた。
食事をしている人も、聞き入ってしまう。
「天の聖歌隊のリーダー、ヘマンである。選曲はともかく、声は悪くないのではないかね」
さすがに天使が歌うんだから、レパートリーは賛美歌だけよね。ベリアルも天邪鬼な言い方だけど、気に入っているに違いない。
歌い終わると、拍手喝采の中をルシフェルが待つテーブルへと向かった。彼は卵料理を断っていた。
「君はまた、どうしてこの世界に?」
「とある国で、王宮の音楽隊の歌を指導してほしいと召喚されまして。呼ばれたのは聖歌隊の隊員だったんですが、練習中だったので私が来ました。熱意ある者達で、指導にも気合が入りますね」
なるほど、そういうこともあるんだな。
会話に聞き耳を立てながら、食事をした。食後にプリンが付いてる、嬉しいな。
へマンは食事を済ませると、名残惜しそうに去っていった。ルシフェルには天使まで挨拶に訪れるのが、興味深い。
ベリアルには天使は寄って来ない。同じ堕天使の組とはいえ、地獄の王だから、こちらが正しいのかも。
「……なんだね、そなた。何か申したそうな目をしておるな」
「いえいえ、別に。きっと天での素行が悪かったんだろうなとか、言うまでも無いことです」
「口にしておるではないかね!」
「プリン食べましょう、これは固いタイプですよ」
ぷるぷるの柔らかいプリンもいいけれど、しっかりした固さのプリンもいいものだ。
ベリアルも不機嫌そうな表情で、しっかりとプリンを食べていた。
今日はついにチェックアウトをする。お金は全て国が払ってくれるので、私はサインをするだけなのだ。
セビリノとエクヴァル達とは、ロビーで待ち合わせ。ソファーに座って待とうかなと移動したら、ちょうど扉が開いた。
「おはようさん。VIPの登場です」
「所長、おはようございます」
来たのは魔法研究所の所長だった。わざわざ仕事の前に、見送りに来てくれたのね。発言は相変わらず軽いわ。
「出発に間に合って良かった。はいコレ、
「ありがとうございます」
所長がポンと渡してくれたのは、箱に入った上級のマナポーション十本。使っていいってことかしら。お礼を言おうとしたら、封書に入った書状と地図も渡される。
「注文品だから、お届けよろしく」
「餞別じゃないですよね!??」
「餞別はこっちの紙袋ね。チョコレートだよ、イリヤさん好きでしょう」
「むしろお使いのお駄賃では」
他国へ届ける都合があって、わざわざ私が出掛けるのに間に合わせたの……。
お給料ももらっていることだし、引き受けますよ。
「それと……、あ、お連れさんが到着だ。元気でね、ばいなら」
「待ってください、それとの続きが気になるんですが!」
「セビリノ君が知ってるから、彼から聞いてちょ」
宿に到着したエクヴァルとリニの横を通って、扉へ向かう。
「小悪魔のお嬢ちゃんも元気でね」
所長はすれ違いざまにリュックを背負ったリニの頭を撫でて、ポケットから取り出した飴玉を手に握らせて去っていった。
「え……? あ、ありがとう、ございます? エクヴァル、飴をもらったよ」
「魔法研究所の所長だね。イリヤ嬢に、挨拶に来たんじゃないかな。大丈夫、変な人じゃないから。もらっておくといいよ」
「うん???」
唐突だったのでリニはあまり理解できていないまま、再び道に出て朝の雑踏に溶け込む所長を見送った。
「師匠、おはようございます!」
ほどなくセビリノも合流。ソファーで待っていたベリアルとルシフェルも立ち上がり、皆で出発だ。
王都の外に出てから、キュイを呼んでエクヴァルとリニが乗る。
「キュイ、キュイ、チェンカスラーへ帰るよ。遠いけど、頑張ってね」
「キュイイィン」
リニの前に首を伸ばすキュイのゴツゴツした頭を撫でて、エクヴァルに支えられてリニがキュイに乗った。
まずは所長に頼まれたアイテムのお届け。西にある、海に近い国だわ。ここからならあまり遠くない。
「さっき所長が何か言い掛けてやめてね、セビリノから聞いてって言われたの。心当たりはある?」
飛びながら、セビリノに近付いて尋ねた。
「それでしたら、賢者の石の話でしょう。研究で、一人の魔力では足りないことは判明しています。しかし、どの属性の魔力を注いでも白から変化の兆しすら見えない。つまり複数、もしかすると四属性全てに属する魔力を注ぐ必要があるのではないか、という結論でした」
賢者の石を作製しようとしてできる白い粉も、賢者の石の途中段階の可能性があると教えられて、早速実験を進めていたようだ。これまでは、まず石にする研究がされていた。
「なるほど。つまり、賢者の石が作れるような熟練したアイテム職人を、四属性で揃えたいのね。私は水、セビリノは土、所長も土だから」
「所長は体力的な理由から、参加されないそうです。火属性のヴァルデマル殿が国に所属しておられないので、声を掛けて宜しいかと」
そうだった、賢者の石は秘中の秘。エグドアルムでも、よほど相手を信頼できない限り、個々で慎重に研究されていた。
他国の人間は特に用心しないといけないのね。
ヴァルデマルなら信用できる。残るは風属性。
「うーん……、防衛都市のバラハ様は立場上ダメよねえ。エリクサーを作れるレベルで国に仕えてない人って、滅多にいないんじゃないかしら」
「新たな人材を探すしかありませんな」
国同士の共同研究にできるならともかく、先に自分だけの手柄にして発表されたり、完成品を奪われてしまったら元の子もない。
そして同じように魔力を送れる、感度と協調性も重要だ。
「足並みを揃えるというのは、下に合わせることだからね。最低限の腕を持つ者を揃えなければならない」
「イリヤ、良い方法があるぞ。大都市で目につく全ての人の腕や足を、切断するのである。効果の高いエリクサーの制作者を勧誘すれば良い」
「それはそうですが……」
ルシフェルの発言に、ベリアルから随分荒っぽいやり方が提示される。確かにエリクサーの性能は分かる。
「イリヤ嬢、そんなやり方をしたら誰も研究に協力してくれないからね。無関係の人間まで使って人体実験をします、と言っているようなものだよ」
エクヴァルが冷静にツッコんだ。こちらが信用されないやり方は良くない。またベリアルにからかわれたんだ!!!
笑ってるわ、放っておこう。
「どうやって探したらいいかしらねえ」
王妃様の故郷の国を越え、少々南に下ってさらに西を目指す。尾の長い鳥が遠くを飛び、低い場所で天使が移動していた。
途中で一度、魔法剣士らしき人が近付いてきそうになったけど、後ろから魔導師がやってきて慌てて止めていた。
「あの国だ」
エクヴァルが指さすと、キュイが返事のかわりに数回大きく羽ばたく。
平原となだらかな丘が続くだけなので、国境が曖昧だ。大きめの町を囲む塀に、主張するように国旗がいくつも掲げられていた。
「依頼主は、この国の侯爵様ね。地図だと南側だわ」
渡された地図には、この国が大雑把に描かれている。なんとなく町の場所が把握できるかな、程度でしかない。
「適当な町の近くで降りてみよう」
「そうね、依頼主は魔法関係を取り仕切る侯爵様だって。きっとすぐに見つかるわね」
高度を下げると、地上の様子がはっきりと視界に映る。小高い丘陵で、牛と羊が放牧されていた。付近には大きな二つ頭の犬がいて、牧童が犬の脇に座って牛を眺めている。
「バウバウバウ!!!」
ワイバーンを見つけた犬が吠える。あれはガルムかな?
牛を食べるワイバーンは、牧場の敵なのだ。キュイはちゃんと待てができるよ。
「……騒がしいね」
ルシフェルが冷たい視線を送ると、犬は静かに小さくなってしまった。
「このワイバーンは慣れているので牛は襲いません。少しの間近くにいると思いますが、狩らないでください」
「わ、わかりましたー!」
牧童が犬を宥めながら、手を振っている。兵を呼ばれて討伐されたら大変なので、伝えておいた。目的の人物はこの近辺に住んでいる筈だから、キュイには周辺の森で過ごしてもらうので。
牧童ではさすがに侯爵なんかは知らないだろうな。
牧場の建物がある丘を下った先に、町が広がっている。そこで尋ねてみよう。
中心部を川が流れ、馬車ですれ違えるような大きな橋が、二本架けられていた。
門から少し離れた場所で地面に降り、検問待ちの列に並ぶ。旅の魔法使いや、荷馬車が多い。これは正解かも。
「エグドアルムからご注文の品を届けに参りました。マンサール侯爵様がいらっしゃるのは、この町ですか?」
「ご領主様のお客様でしたか。誰か、こちらの方々を領主館にご案内しなさい」
門番の兵の後ろにいた上官が呼び掛けると、手が空いている別の兵が自分が、と前に進んだ。
「お疲れ様です! 今ちょうど、魔法の訓練を視察に、領地に戻られているんですよ。王都に滞在されてることも多いんで、タイミングが良かったですね」
「魔法の訓練。ご迷惑でなければ、見せて頂きたいですね」
どんな訓練なのかしら。領主様が自ら視察されているのなら、きっと気合いが入っているわね。見学したいけど、やっぱり秘密なのかな。
若い兵の案内で、メイン通りから外れた閑散とした道を進む。
魔法関係に力を入れている領主で、町外れにある訓練場の近くに屋敷を構えているとか。後ろから来た荷馬車が、私達を通り越していく。訓練所へ届ける荷物を運んでいる、と兵が説明してくれた。
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