第315話 ケイガとカニさん
ルシフェルがアスタロトとベルフェゴールに会いに海へ行き、エンカルナは船の手配でノルドルンド家の軍港へ向かった。ベリアルは孤島の調査。悪魔好きクレーメンスはベリアルに付きまとうのを諦め、港に船の状況などの確認に向かった。それから船員も確保する。
私の他に残っているのは殿下とロゼッタ、エクヴァルとリニ、そして王妃。
アナベルとジュレマイアは、王都で今回の事件の後始末をしている。大量殺人と宮殿襲撃、大きな事件が二つも一気に起きたので大変だ。
「とりあえず、魚を海へ連れて行きましょう。交渉しないといけないわ」
「殿下、我々で行って参ります。何が起こるか分からないから、リニはお留守番ね」
「……うん。気をつけてね」
リニは心配そうに頷いた。
「じゃあイリヤさんと、よろしくね。護衛は必要かい?」
「どう思う、イリヤ嬢? 悪天候だし、観光客を狙った犯罪者なんかは少ない筈だよ」
海での状況を思い描いてみる。荒れた海と龍神族。
もし龍神族が出てきてくれた場合を考えて、交渉中に誰も入れないよう見張りがいた方がいい。
「そうね、できれば立ち入り禁止にしてもらって……」
それなりの人数が必要かな。考えていると、ロゼッタが声を上げた。
「私も参加したいですわ」
「諦めて、ロゼッタ。荒れた海に次期王妃を連れて行かれないよ」
殿下が宥めている。立場があるものねえ……。現王妃なら同行しても、問題ない気がするのは不思議。
「交渉が済み次第、成果を報告に戻ります。海賊退治の準備をしていてくださいね」
「……そうですわね! 知らない種族が気になりましたが、大仕事が待っていますわ。私には飛ぶ手段がありませんもの、足手まといにならないようにしなければ……!」
ロゼッタに気合いが入る。侍女のロイネは諦めたようなため息をついた。
「お嬢様がどんどん淑女とかけ離れていきます……。侯爵様申し訳ありません、私には方向転換をさせるのは無理でした……」
「航路をしっかり確認して、襲撃場所を予測しないとね」
王妃が海図の前に座る。襲撃してくるのを待って、逆に叩きのめす作戦だ。
王妃がこれで皇太子妃が大人しい淑女になるのは、無理があるよね。
「さすが女海賊さん、頼りになるお方です。必要なら私も竜宮城に帰って、兵を引き連れて応援にきますよ」
「龍神族が戦うんですか!?」
もしかして、予想以上に偉い魚だったりする?
「まさか。兵です、魚やカニです。エビも二匹います」
「美味しそうな出兵ですね……」
「竜宮の兵は食料ではありませんよ。なんと恐ろしい人間でしょう」
海の幸な兵なんだもの、どうしても美味しそうに感じてしまうのだ。
「ところで、その龍神族というのは、話し合いをしてくださるんですの?」
ロゼッタの質問に私が答えようとしたら、先に魚が口を開いた。
「アオシュン陛下は慈悲深いお方ですからね、交渉に応じてくれるでしょう。私も海に戻りたいものです。この狭い水槽にずっといるなんて、とてもじゃないですが窮屈で、魚の生活とは思えませんよ。砂の一粒も水草の一本もない、隠れる場所すらない単なる入れもので過ごせなんてね。人はとんでもない
魚は水槽が不満だったようだ。確かに生態にそぐわないな。
「商店街で買ったんですが、食べますかね」
エクヴァルが魚の水槽に、パラパラと乾燥した餌を散らした。
「おや、美味しい。やはり食事はこうでなくてはいけません、生きる楽しみですからね」
ちょっと機嫌が良くなった魚の水槽をエクヴァルの部下が大事に持ち、私達は馬車で海岸へ向かった。護衛は十人。周囲の人払いをしてもらう。
海辺には観光客や、海の様子を見にきた漁師がいた。人数は多くない。
海へは入れないので海岸から呼び掛けるしかできないが、供物を流してもらったし、あちらも私達の動きを気にしているだろう。
ベリアルが出発する前に、呼んできてもらえば良かったなあ。さすがにクレーメンスが気持ち悪くて、逃げるように飛び立ってしまったわ。
「で、イリヤ嬢。龍神族の方が交渉の席に着いてくれる、秘策はあるの?」
「やればできるの精神よ!」
「……君はとても頼もしいね」
「? ありがとう」
とりあえずお礼を言っておいた。期待されている分、しっかり成果を上げたいね。馬車から降りて石段を下り、海岸の砂を踏みしめる。
海は相変わらず荒れていて、海岸に大波が打ち寄せる。高い波がしぶきを散らし、水音が響いた。普段は波が届かないような場所まで、砂が濡れている。
四海龍王のうち北海を治めるアオシュン陛下には、国を出る前に一度お会いしている。ベリアルを介して、龍に殺されたと偽装する手伝いをお願いしたのだ。その時に行った海底の竜宮城で、アオシュン陛下は水鏡を通して海の様子をご覧になっていた。
どの程度の範囲まで見えるのかは分からないが、少なくとも海岸線は映されていると思う。
深呼吸をして、魔法の詠唱のように魔力を籠めて呼び掛ける。
「北の海を支配するお方、北海龍王アオシュン陛下に申し上げます。眷属の魚を返しに参りました。もうお一方を救出する為に、海をお鎮めください」
少しの間沈黙が続く。
私のすぐ後ろではエクヴァルが見守っている。海から確認できるように二人が近くで水槽を抱えていて、一人は通れないように階段に立ち、残りの親衛隊員は砂浜にいる無関係の人が近付けないように、私達の左右を囲む。
人影は少ないものの、何事が始まるのかと私達は注目されているよ。
もう一度呼び掛けたら、海が少し穏やかになったような……?
いや、繰り返し寄せた波が緩やかになり、その代わりにゆっくりと海面が盛り上がっている。
「大波だ……大波が来るぞ!!! すぐに海岸から離れるんだ!!!」
護衛の誰かが、周囲に向けて叫んだ。判断が素早いから、海の近くに住んでいたとか、詳しい人かな。
高くなっている道から好奇心で私達を眺めていた人が、すぐに海と反対側へ走り出した。
浜辺にいた人は、慌てて階段を上る。こんな日に浜辺を歩くのは、地元民ではなく危険を知らない観光客だけ。階段を塞いでいた親衛隊員は、道を空けてすぐに避難するよう呼び掛けている。
「カールスロア司令、退却のご命令を!」
必死に叫ぶエクヴァルの部下。さすが親衛隊員、個々の判断で逃げたりはしない。
「イリヤ嬢、どうする?」
「動かないで、近くにまとまって!」
「聞いたね、君達。集まって静かにしていてくれたまえ」
「ひいい……逃げても逃げなくても命がない……!」
なんであの人達、逃げても殺されると心配しているのかしら? 龍神族はどこかの地獄の王じゃあるまいし、わざわざ追い掛けて殺さないわよ。
相談している間にも波は迫り、二階建ての建物ほどになった。私達を飲み込むように押し寄せる。壁が迫るようで、魂まで引き摺られそうな怖さがある。
「うわああぁぁあ、死ぬ!」
「波やべえ……っ」
「司令のヤバさが天元突破!!!」
親衛隊の人の叫び声が波に呑まれた。エクヴァルの悪口が混じっているよ。
波は私達にかかる直前で割れて、左右に分かれた。厚く重なる海水が横を通り過ぎる。細かい水の粒がかかり、服に丸い跡が暗く残った。
波が引いた浜辺の砂は水に濡れて、引き波の速さに自分が動いているような錯覚を覚える。
水が消えた視界に、男性が立っていた。
鱗の鎧を身に付けた武人の男性。細身だが痩せているというほどではなく、うっすらと筋肉が付いている。長い髪は一つに纏められていた。
アオシュン陛下の直属の部下で、龍神族のケイガだ。
「お久しぶりにございます、ケイガ様」
「以前は失礼した。眷属を返してもらおうか」
「君達、突っ立ってても仕方ないでしょ」
魚の水槽を抱えて自分を見失っていた部下の二人に、エクヴァルがすぐに従うよう
「あとお一方は、海賊に捕らえられているとの証言を得ました。海をお鎮め頂ければ、海賊をおびき出して必ずや解放致します」
「……君を信じないとは言わないが、証拠も成功する保証もない」
「ケイガ様、こちらの方々は私を助けてくださった、頼りになる人間です。一度お信じになっても損はなさいませんよ、きっと素晴らしい結果になるでしょう。なんせ海賊の頭領が付いているんです。海賊には詳しい義賊の方々です」
魚は擁護しているつもりかな。むしろケイガの眼差しが怪しいよ。
私が海賊の一味だと疑われたら、ベリアルまで海賊になってしまう。義賊な海賊の地獄の王って、なんだ。
微妙な空気を打破するべく、エクヴァルが提案をした。
「それでしたら、五日や十日など、期限を区切られては如何でしょう。まずは作戦の間だけ、波をお鎮めください」
「なるほど。誠意は示されている、こちらも譲歩しよう。では三日のうちに片を付けるよう、申し付ける」
納得してくれた。嵐は三日後から三日間、収められることになった。
準備期間に二日もらったよ。青い魚も帰して、交渉は成功で終了。
安心しているところにさざなみが押し寄せて、赤い生きものが海の下からひょこひょこやって来た。カニだ。胸当てをしたカニが五匹、横歩き。
「人間ども! よくも我らが同胞を
ハサミをカチカチ鳴らしながら、威嚇するカニ。
向きを間違えて、一匹だけ違う方向へ進んでしまった。慌てて大きく回り、仲間との合流を試みる。
「……もう交渉が終わったのだが」
勢いよく叫ぶカニに、ケイガが小さく呟いた。
「……終わったんですか?」
見ていた皆が頷く。
「……張り切って出てきたのにな~……」
カニは振り上げていたハサミを降ろし、しょんぼりと海へ帰っていった。やっぱりトコトコ横歩きで。
ケイガも海に帰るのを見送ってから、別荘へ戻った。浜辺の道沿いでは目撃した人が不思議な光景に驚き、噂話をしている。
海は再び荒れて、三日後に静かになる予定。ノルドルンドの軍港へ向かった、エンカルナにも伝えないとね。
「よし、じゃあ二日できっかり準備するよ。ロゼッタ、気合を入れな!」
「はい、お義母さま!」
「二人は見学でもいいんだよ……」
盛り上がる王妃とロゼッタを、殿下が力なく制止した。もちろん聞き入れられないのは理解しているから、とりあえず言っておくだけ。
クレーメンスはまだ戻っていない。彼が戻ってから、作戦会議だよ。
次の日、真っ白なカモメがこの別荘を目指して、嵐の中を飛んできた。
「ミャー、ムミャ~」
猫に似た鳴き声で、何かを訴えかけているような。カモメは風に
地面に着くと、カモメは額に一本の角が生えた少年の姿に変わった。元気そうな半ズボンで、大きな黒い瞳をしている。髪の色は青。
「やっほい。ベリアル様のお使いできました!」
盗賊の根城の調査を任せた、ベリアルが寄越したのね。すぐ戻ると思って待っていたのに、またそこら辺の小悪魔に用事を頼むんだから……!
「お疲れ様です、この子は安全です。ベリアル殿の名を借りて勝手な
包囲する兵に下がってもらい、彼を王妃や皆が集まる部屋に案内した。小悪魔を連れている私に、視線が集まる。
「ベリアル殿が使いを寄越しました」
「こんにちは。海賊と契約して、偵察とかの仕事をしてます! 地獄のお偉い方に逆らうわけはないんで、安心して何でも聞いてください。内部事情、詳しいですよ!」
海賊と契約している小悪魔を、使い走りにしているの……!
相変わらずとんでもないわ。でも確かに、海賊について聞くなら一番いいのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます