三章 レナントの寒い冬

第248話 エグドアルム御一行の道行き(殿下の視点)

 ここは花の国ルサレス。

 花や観光が主な産業で、大きな劇場や広い公園などの施設があり、歓楽街や商店は活気にあふれていた。文化面での視察も兼ねて、この国で少し滞在する。せっかくなので、レディ・ロゼッタをオペラに誘った。

 母上はまだ同じ行程を辿っている。先に帰ってくれないかな。

 立派な国立劇場の、二階のボックス席を予約してもらった。壁で仕切られているし、これで気兼ねなく観覧できる。一階席はほとんど満席だ。

 ようやくエンジ色のカーテンが開かれる。重厚感のある生演奏で、ルサレスで流行りの恋愛を題材に書かれたオペラの開幕だ。


 興味深い……はずなんだけど、隣でレディ・ロゼッタは寝ている……。馬車での移動が多いから、疲れたのかな。彼女の専属メイドである、ロイネは嬉しそうに観覧しているね。

 ちなみにジュレマイアも寝ていて、悪魔フェネクス殿はわりと真剣に眺めていた。彼は私の護衛をする為に、一緒に行動してくれている。

「楽しんで頂けているようですね」

「私は人間の芸術にも興味がある。オペラは素晴らしい」

 悪魔も上位貴族になると、芸術に興味を強く持つのかな。イリヤさんの契約者、ベリアル殿は舞いが得意らしいし。


 ああ……、母上はオペラは飽きるとどこか他の場所へいらしているし、ちょうどいいデートだと思ったのに。もっと彼女の好みに合わせるべきだった。

 オペラが終わり、食事をしてから次は公園を散策する。肌寒い季節のせいか、客はさほど多くない。

 散策コースを彩るような、ピンクや黄色、白から紫に変化するシクラメン、わりと色々な色があるハボタン、白いエリカ。この季節にも様々な花が咲いている。丘の上には冬咲きのチェリーブロッサム。

「花ですな。こう……花ですな」

 退屈そうなジュレマイア。劇場も公園も、彼は普段から足を運ばないしね。

「キレイですわね」

 レディ・ロゼッタはオペラよりも気に入ってくれたようだ。ここでもフェネクス殿は関心があるようで、一つ一つの花の特徴を観察していた。


「出発は明後日だよ。どこか行きたい場所はある?」

「そうですわね。せっかくですから、もっとスカッとする劇が観たいですわ! 悪人を倒すような演目もあるのでしょう?」

「賛成っ! 俺もそういうのがいいと思いますよ、殿下」

 こういう時は意見の合う二人だな。近侍に明日の演目を調べ、該当するものがあれば席を取っておくよう指示する。公園内のカフェでお茶をして、宿へ戻った。

 彼女はジュレマイアに指導してもらい、移動中も毎日格闘の訓練を続けている。時々母上も混じっているようだ……。

 この人達は何を目指しているんだろう。


 次の日は国立劇場より狭い、大衆劇場での観劇。

 悪い商人と結託した地方領主を、主人公である将軍が懲らしめるというもの。

 物語は、税が払えず鉱山での労役をさせられていた男が逃げ出して、偶然通りかかった主人公に助けられる場面から始まる。

 将軍は男の訴えを聞いて、労役につく者の多さに疑問を持った。男が働いていた鉱山の採掘場を突き止め、遠目に確認する。そこで労働環境の悪さに眉をしかめた。

 多額の税金を課して連れて行き、鞭で打って民を働かせているのだ。

 そこから悪徳領主と、鉱山で産出された鉱物を不正に売って儲け、領主に献金している悪徳商人の関係を探り出す。

 そしてクライマックス。

 悪事が露見し、証拠を突き付けた将軍に部下どもを襲い掛からせるのだ。

 将軍は側近とともに剣で応戦し、バッタバッタと軽快に倒していく。


「やれー! そこだっ!!」

「かっこいいぞ、将軍!」

 派手な殺陣たてに、観客は大盛り上がり。もちろん、隣にいる女性二人も。

「アレは受け身がキレイだから、見栄えがいいのさ」

「あの方の、剣を飛び越えて一回りするような飛び受け身、カッコイイですわ!」

 ……受け身で喜んでいるの、君達は?

 まあ、楽しんでくれているからいいけど……。

「ほら殿下も声を出しませんと! がんばれー!」

 ジュレマイアも今回は、活き活きとしているね。

「声を掛けるのも作法か。よし、……とどめを刺せ!」

「フェネクス殿、無理に合わせなくていいんですよ」

 真面目な性格なので、戸惑いつつも本当に声援を送っているよ。


 剣を合わせる音や舞台を叩く音が響き、観客の応援が飛び交う。

 敵の部下は全て倒され、ついに残りは黒幕の領主だけ。ここで気合を入れ直すように将軍がこちらに顔を向けて、剣を構えて動きを止めた。視線を集めるんだね。

 大きな動きで、悪徳領主と何度か剣戟けんげきを交える。盛り上がりは最高潮だ。

 相手は大げさに武器を落とし、将軍の剣が首元に当てられる。完全に戦意喪失した領主に将軍であることを明らかにし、ようやく悪人どもは観念した。

 拍手喝采に包まれ、大団円で幕は下ろされた。

 

「楽しかったですわ! エグドアルムには、このような演目はありませんの?」

「あ~、地方領主を成敗だからなあ。エグドアルムでやったら強固な貴族主義のヤツらから、貴族をないがしろにしたと、不敬罪に問われそうですね」

「まあ。みんな物語と現実は違うと、理解していましてよ」

 意識の問題だから仕方ないね。現在特に厄介なのは、マルムグレーン侯爵家かな。エクヴァルのカールスロア侯爵家と同じく三大侯爵家に数えられる名家で、この二家の仲は良くない。


 そろそろ退出しようと、通路を確認した。観客が感想を喋りながら出口に押し寄せているので、混雑してしまっている。もっと空いてからにしよう。

 少し待っていると、主演の役者が顔を覗かせた。

「失礼します。最後までご覧くださり、ありがとうございました」

 挨拶に来てくれたのか。庶民的な場所だから、ないだろうと油断していたよ。

「お疲れっ! いい演技だったよ、アンタ!」

 母上のねぎらいが、とても王族には思えない……。

「ええ、とても楽しませて頂きました」

 続くレディ・ロゼッタは、貴族らしい仕草だ。心から満足している二人に、役者はホッと安堵あんどのため息を落とした。


「安心しました。貴族のお客様がいらっしゃったと伺いまして、もしやご気分を害されるのではないかと……。必要なら団長と謝罪しなければと、相談していたんです」

「内容を確認して席を予約しているからね。心配には及ばないよ」

 やはりこの国でも多少はあるのか。彼の近くに私の護衛が立っているから、威圧感を与えてしまっているかな。

「芝居に腹を立てるなど、無粋ですわ。むしろ今まで観た中で、一番の傑作でしたわよ!」

「コレで言い掛かりを付けるようなのは、後ろ暗い連中だけさ」

 ロゼッタも母上も、気にする必要はないと役者を励ます。

「あ~だけどな、剣で斬る前に相手をしっかり向いた方がいい。次はこっちだって、客にも分かりやすい」

 ジュレマイアは何故アドバイスをしているんだ。演出なら、あちらがプロだろうに。

「男ばっかり戦ってたね。せっかくだし女も活躍させなよ」


「なるほど……、参考になります。元々我が国で役者になるのは男性だけだったので、女性の役者は少ないんです。女性が戦うというのもいいアイデアですね。女性の冒険者も兵士も戦います、劇では男性ばかりというのは逆に不自然でした」

 やたら熱を帯びた話し合いになっているなあ。

 我々はスポンサーでも、なんでもないからね。母上が体を動かし、この場面はこういうのはどうだなどと提案し、役者も真剣に頷いている。

 やはり内容は乱闘シーンについて。

 いつの間にか客は全て退場していて、劇団の人間はセットの片づけをしている。

 私達もずっとここにいては、邪魔になってしまうね。母上達を促して、外へ出た。

 せっかくだし腕を組もうとレディ・ロゼッタに肘を出したんだけど、彼女は母上との会話に夢中で気づいてもらえなかった……。メイドのロイネがオロオロとしている。


「これはロゼッタ・バルバート侯爵令嬢!」

 反対側から来る壮年の男性が、レディ・ロゼッタの名を親し気に呼んだ。

「これは、カジミール・マチス様。トビアス様、モルノ王国の農業を支援している商会の方ですわ。食料品を主に扱っていますのよ」

「ですにゃ! ご主人は、りっぱな商人なの」

 男性の腕に抱かれた白い猫が、髭をピンとさせて自慢する。あれは確か、ケットシーという種族だったかな。戦えない、癒しの喋る猫。

「まあフェベ。久しぶりね」

「おじょーさま、元気? 心配だったの。ぴにゃ!!!」

 突然瞳孔を細くして、毛を逆立てた。フェベの視線の先には、フェネクス殿が。


「ああ、護衛をしてくれている悪魔で、フェネクス殿だよ。穏やかな方だから、大丈夫」

 私が優しく語り掛けると、フェベは髭をピクピクと動かす。

「にゃにゃ~、最近は怖い悪魔を連れた人がたくさん……」

 イリヤさんと会ったらしいから、ベリアル殿だろうな。顔つきも魔力の印象も、ベリアル殿の方が怖いよね。

「脅かせてしまったようだな……、離れた方がいいだろうか」

「イジメにゃいなら、だいじょぶ」

「そうか」

 フェベを見詰めるフェネクスの視線が、いつになく柔らかいような。

「もしかして、猫が好きだったりしますか?」

「は? あ、いや別に!! ただ私は小動物に避けられやすいから、まあ嫌いではないんだが柔らかそうだな、という感想があってだな」

 好きなんだな。明らかに挙動不審だ。レディ・ロゼッタも笑っている。


「どうぞ、撫でますか?」

 マチス殿が近づくと、フェベが大人しく頭を向けた。恐る恐る、フェネクス殿が指先で優しく頭に触れる。

「あああああ、フワフワする……。……ね……こ…………」

「むにゃ~~」

 本当に幸せそうだね。こんなに動物好きだとは思わなった。フェベは目を閉じて撫でられている。

「ところでマチス様は、どうしてこちらにいらっしゃいますの?」

「モルノの品を売りに来たのです。ここで仕入れをして、ルフォントス皇国へ向かいます。それはそうと、この度はご婚約、おめでとうございます! 誰か、アレを」

 マチス殿が指示をすると近くにいた従業員がすぐに移動し、木の箱を持って現れた。会話が再開されたので、フェネクス殿は我を取り戻したのか、手を引っ込めた。


「リンゴです。道中、皆様でお召し上がりください」

「ありがたく頂戴します」

 侍従が受け取り、私達の馬車に運ぶ。護衛が二人、付いて行った。さすがに箱いっぱいのリンゴ、重そうだね。

「では、失礼します。お気をつけて」

 マチス殿は頭を下げて背中を向けた。

「そちらも」

「それじゃね~~」

 ひょこっと身を乗り出して、前足と尻尾を振るフェベ。マチス殿は護衛の冒険者らしき武装した人達と、合流している。

 フェネクス殿が感動で肩を震わせながら、小さく手を振り返していた。

 

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