第213話 モルノの兵の帰還
エルネスタ・ダマート王女の願ったモルノ王国の兵達の帰還は、すぐに実行された。
ただ釈放されても歩いて帰るしかないし、収容施設に入れられていたうえ食事が少なかったので、外に出て嬉しそうにしてはいるけど、最初から疲労の色が濃い。首都の外れにある収容施設からモルノ王国までは、何日もかかるだろう。怪我人もいるし、徒歩の旅は大変そうだ。
既に重労働に就かされている人達もいて、その人達はこれからいったんこの首都に移送されてくる。石切り場に送られたんだとか。
皇太子のお披露目は、五日後に決まった。衣装を選んだり警備の打ち合わせをしたり、お城の中は慌ただしく活動している。
私達は明日にはここを出て、隣国であるロゼッタの故郷、サンパニルへ向かう予定。
ろくな装備もないモルノの兵達が集団で首都の大通りを歩いているのを、住民がなんだなんだと集まり、衆目を集めている。
反対側からは数台の馬車が連なって、こちらに向かって来た。最後尾に荷馬車も三台くらい付いて来ている。何事かと思っていたら馬車が止まり、早足で降りる人影がある。モルノ王国のエルネスタ・ダマート王女だ。
「あれ、モルノの王女じゃないか?」
「宮殿で贅沢していたっていう……」
「ドレスや宝石を貢がせた悪女だろ」
「何しに来たんだ?」
ルフォントス皇国では、エルネスタ王女は悪く思われてしまっているのね。
第二皇子シャークからの贈り物とはいえ、皇国の税収で贅沢していたんだものね……。本当は国の為だったけど、そこまでは伝わっていない。
「王女殿下」
年配の兵で、他の人より少しいい装備をした男性が進み出た。王女は跪こうとするその人を止めて、両手で男性の手を握る。
「皆に苦労を掛けましたね」
「何を仰います。エルネスタ王女殿下が早く釈放するよう皇帝陛下に働きかけて下さったと、聞き及んでおります」
「そんな大層なことはしていないのよ。それよりドレスや宝石を売って、何台かですけど大きめ馬車を用意したの。モルノまで使って下さい。荷馬車には食料と、少しだけど薬も積んであるわ」
そうか、あの献上の果物。離宮の食糧庫にたくさん運ぶなと思っていたら、モルノの兵達への差し入れだったのね!
王女は足を引き摺ってやっと歩いている男性に肩を貸そうとして、周りがそれは自分がと止めてくれている。
兵に親身になっている王女の様子に、ルフォントスの人達の彼女の印象も変わってきたみたい。
「そうだよな、無理やり連れて来られたんだもんなあ……」
「あの第二皇子から搾り取って、国民に還元しようってのか。大したもんだ」
誰かの言葉に、周囲の人が笑っている。
静観しているだけだった観衆のうちの一人が、怪我をしている人にポーションをそっと差し出した。
「その怪我で帰るのは辛いだろ。飲みなよ」
「い、いや……」
「そうね、ここからモルノ王国は遠いものねえ」
相手が断ろうとすると、近くにいたおばさんも飲みなさいよと強引に勧める。
それを皮切りにして水や食料の差し入れがあったり、ボロボロの靴の代わりをあげる人が現れたりと、親切が皆に伝播していった。モルノ王国の兵達は困惑しながらも、ありがたく受け取っていた。無事にモルノまで着くといいな。
向こうにも解放の知らせは届いている筈なので、今頃迎える準備をしているだろう。怪我よりも、栄養状態が悪いとかで体力がない人が多いから、回復魔法だとそれには効果がないんだよね。各々にあった体の調子を整える魔法薬や、温かい食事があった方がいい。
「イリヤ様、セビリノ!」
おおっと、人ごみに紛れている私に、誰かが声を掛けてくる。背の高いセビリノと、赤と黒で派手なベリアルが一緒だから、目立っているのかしら。
「ヴァルデマル殿!」
セビリノが手を上げた。ルフォントス皇国の元皇室付き魔導師、ヴァルデマルだ。セビリノが友達になったんだよね。私とは、なってくれないんだけど。
「皇帝陛下の病が快癒されたと耳にしてな、先に拝謁して来た。そもそも病に倒れたというのも、ごく最近知ったんだ。一度診療をさせて頂きたいと考えていたんだが、イリヤ様が治療されたそうで。是非そのお話を聞かせて頂きたい!」
あの話を耳にしたのね。出発前に来てくれて良かった。
ちょっとした騒ぎになっている大通りを離れ、路地にある喫茶店へ入った。お客は全然いない。噂話をしながら、窓の外を人が通り過ぎる。
窓際の席に座り、メニューを開く。コーヒーのいい香りが店内を満たしていた。
ベリアルとセビリノ、それからヴァルデマルと私の四人。エクヴァルは殿下と一緒で、ロゼッタ達は皇帝陛下の所へご挨拶に伺っている。
まずはゾンビパウダーの説明をして、治したのは私ではなく、特別なアイテムだったと教えた。それからヴァルデマルに、気になっていたことを尋ねてみた。
「無理に協力させられた人達は、罪に問われそうですか?」
言うならば、彼らも被害者だものね。ヴァルデマルは、どうやら色々とお城で聞いて来ているらしい。
「呪いを使った魔導師は、妹が兄の行方が知れないと領で捜索願いを出していたから、監禁されてやらされたという判断になりました。アデルベルト殿下からロゼッタ様の殺害を命じられたと偽証した護衛騎士については、捕らえられていた恋人が解放され、脅迫されて言うしかなかったのだと立証できましたよ」
どうやら、無理やり協力させられた人たちはお咎めなしで済みそうだ。こっちは安心。次は、と。
「ヴァルデマル殿。第二皇子や公爵などは、どうなるか御存知か」
セビリノの問い掛けに、ヴァルデマルが頷く。
頼んでいた飲み物が運ばれてきたので、飲みながら話を聞いた。
「ああ、第二皇子は一生幽閉だろう。陛下が命だけは助けたいと、切に願っていてな。タルレス公爵が一連の責任を被り、審議会を開くまでもなく爵位をはく奪の上、処刑。子息は現在、公爵がもう一つ保有していた子爵を継いでいる。領地は召し上げられ、子爵位だけが残るんだろうな」
高位の貴族の中には、複数の爵位を持ってる人がいる。とはいえ、領地がないと税収はなくなってしまう。子爵の領地も少しはあるのかな、それとも宮仕えしてる人なのかしら。お城に仕えてたら、むしろ辛いかも。
あと気になるのは、マクシミリアンのその後だわ。
「ゾンビパウダーを調合した魔導師には面会して来ました。どうすべきか、意見を求められまして」
ヴァルデマルはルフォントスの魔導師達の信頼が厚いね。今は一般人だと言っても、相談をされている。でも彼をどうしたらいいかは、難しい。
「処刑は免れたと聞きましたが、人格に問題がありますからね。どんな罰がいいのやら……」
「確かに彼の人格は問題ですがね。しかし自分で働いて稼ぐ分、シャーク殿下よりマシでしょう」
シャーク皇子はあの下! けっこう辛辣。
「それで、何とお答えしたんですか?」
「俺の助手として引き受けたいと、考えていまして。最初の一年は、罰として無償で奉仕させるのはどうかと提案してきました。薬を製作する心得がある者が欲しかったから、ちょうどいい」
あのマクシミリアンを使おうとは。さすがヴァルデマル。でも相手はこずるい魔導師だもの、油断は禁物。ベリアルが傍にいると大人しいから忘れがちだけど、防衛都市でも扱いに苦慮していたのだ。
「逃げようと、しないですかね……?」
「はっははは、逃げたら今度こそ処刑です。無償奉仕の後も、使えるようなら俺の助手をしてもらいたいですね。有能な人材を遊ばせては勿体ない」
どうやら彼を預かるのは決定事項らしい。少しは矯正されるといいな。
「逃げたらば、我に知らせよ。アレは狩りのいい獲物になるであろう」
「そりゃあいいですな! 必ずお知らせします」
うん、ベリアルが乗り気だから、彼は絶対に逃げないね。
「私達は明日、ロゼッタさんを連れてサンパニルへ出発します。会いに来て下さって、感謝いたします」
「イリヤ様、敬語など必要ありません。よく来たな、くらいでいいんですよ」
いやそれ、私がする言葉遣いじゃないでしょ。
「ヴァルデマル殿、またお会いしよう。我々はレナントという町に居を構えている」
「ああ。元気でな、セビリノ」
「貴殿も」
なんだろう、この疎外感。二人だけ仲良しでズルい。
ヴァルデマルはマクシミリアンを引き取る為の正式な手続きをしに、再び城へ向かった。こき使ってやると、楽しそう。有益な情報を持っていたら、私達にも教えてくれる。色々と研究してそうだもんね、面白い新事実でもあるといいな。
……毒とかばかりだったりするかしら。
大通りに戻ると既にモルノ王国の兵達の後ろ姿は遠く小さくなっており、集まっていた人達も三々五々に散っていた。エルネスタ王女はずっと見送っていて、隣にはロゼッタ達が一緒に立っている。アデルベルト皇子とエグドアルムのトビアス殿下も、合流していた。
「イリヤさん。アデルベルト殿下が国境の視察に行くそうだから、明日はそこまで一緒に向かうと決まったんだ。よろしくね」
「父である皇帝陛下を治療して下さって、ありがとう。この恩は忘れない」
アデルベルト皇子が手を差し出してきた。握手かな。
私も手を伸ばしたところで、何故か皇子の手を、トビアス殿下の隣にいたエクヴァルが握る。あれ。エクヴァルって実は、クローセルの契約者であるクリスティンみたいに、握手好き?
「お代はしっかりと請求しますから、お気になさらず」
やたらいい笑顔のエクヴァル。とはいえ台無しだなあ。とりあえず私も、手を出してみた。
「……どしたの、イリヤ嬢」
「握手し損ねたから」
今度こそアデルベルト皇子と、と思ったのに、何故かエクヴァルが私の手を握った。違うよ。
「師匠、では私も」
「じゃあ私も、イリヤさんと握手しようかな」
セビリノとトビアス殿下まで加わり、面白がったエクヴァルの同僚ジュレマイアと、ルフォントスの魔導師ヘイルトとも握手してしまった。何だったんだろう。
「……握手」
「リニは私とする?」
「うん」
何故かリニとエクヴァルが握手。ジュレマイアが俺もと元気に名乗り出て、リニに逃げられている。リニはジュレマイアを、他の人よりも警戒しているような。
「イリヤさん、人気者ですわね。ついでに私も!」
ロゼッタも加わり、流れでメイドのロイネとも握手。気が弱く輪に入れなかったアデルベルト皇子とは、せずに終わった。
皇子はしょんぼりと自分の手の平を眺めていた。
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