第58話 公爵閣下の庇護

 ヘルマン・シュールト・ド・アウグスト公爵の邸宅にお邪魔する日だ。

 緊張するな……。ベリアルとエクヴァルも一緒に、三人で伺う。

 王都にある邸宅まで飛行魔法とワイバーンで行くので、迎えの馬車はお断りした。貴族の邸宅が立ち並ぶ一画いっかくでも、一際広く敷地が白い壁に囲まれていて、紋章が刻まれた鉄の門は固く閉ざされている。

 招待状を門番に差し出すとすぐに開けてくれて、そのうちの一人が中へ案内してくれた。

 立派な庭園に幾何学模様の花壇が配置されており、その奥に三階建ての大きな屋敷が鎮座する。通路も馬車が通れるように広く、きれいに手入れされた木や庭、中央にある噴水。まるで一枚の絵画のようだ。

 

 中央の玄関まで連れて行ってくれたところで、例の執事が姿を現した。

「ご足労頂き、ありがとうございます。主人がお待ちかねです」

 頭を下げて案内されたのは、二階にある広い応接間。二十人でも余裕で入れそう!

 長いテーブルに椅子がたくさん並んでいて、中央にはローソクがあり、やはり長いテーブルクロスが敷いてある。

 正面にいる、執事より少し年下の、五十歳前後くらいの男性が公爵なんだろう。

 入室時に礼をしたエクヴァルに続いて、同じようにお辞儀をして入っていく。

「ようこそ、イリヤさんと仰ったかな?」

「はい、イリヤでございます。この度はご招待頂き、恐悦至極に存じます」

「硬くならなくていいですよ、私は魔法や召喚術の話が好きなんだよ。そちらの男性が、悪魔の方かな?」

 公爵はベリアルを興味深そうな瞳で、まじまじと眺める。

 まるで、楽しいことを発見した子供のよう。


「私が契約している悪魔で、ベリアル殿と申します。そして……」

 エクヴァルも紹介しようとすると、彼はニコッと笑って前に進み出た。そしてひざまずいて頭を下げ、口上を開始する。

「私は彼女の護衛をしている者です。不躾ながら、公爵閣下にお願いしたき儀がございます。可能であれば、彼女の庇護を頂きたいのです」


「……庇護? 金銭的支援が欲しいのなら、腕を披露してくれれば、それに見合うだけするが?」

 突然のエクヴァルの申し出に公爵は一瞬眉をひそめたが、ある程度は慣れているのだろう。不快感を表すことはなく、そのまま会話を続けた。

「いえ、彼女を貴族や王族、他国の干渉からお守り頂けるのはこの国において公爵閣下しか在らせられないと、愚考致しました。金銭的な援助は一切必要ありません」

 お金は要らないということは、昨日話し合っておいた。この辺の交渉は全てエクヴァルに任せていいらしい。


「……先日の魔法付与からも優れた術師とは思うが、それほどかね? 他国の干渉とは、そもどういうことだ?」

 公爵の問いかけを待ってましたと言わんばかりに、エクヴァルは自慢の剣を出した。そして跪いたまま両手で前に差し出し、鞘の紋章を見せる。

「私はエグドアルム王国皇太子殿下の親衛隊に所属する、エクヴァル・クロアス・カールスロアと申します。彼女は我がエグドアルム王国の、宮廷魔導師見習いをしていました。しかし庶民であることから貴族である宮廷魔導師達に酷く冷遇され、この国に密かに亡命しているのです」


「なんと、エグドアルム!? 本当ならばこちらから迎えたいほどだ!」

 国を出て解ったんだけど、魔法大国エグドアルムの名はかなり知れ渡っていて、しかも皆とてもすごい国という印象を持っているようだ。他と比べたことがないから、私にはそこまでの実感はないわ。


「彼女は我が国のとある不正事件の生き証人でもあります。犯人の手が及ぶ可能性もあるので、私が護衛として遣わされているのです」

 不正事件の生き証人……、その自覚はないなあ。確か、エリクサーを提出したのに秘密にしたからだっけ。それだけで宮廷魔導師長を罷免できるとか。

 権力にこだわりそうな人だから、許せないのかな……。だったら隠さなければいいのに。庶民だって作れたんだから仕方ない。


「ふむ……なるほど、話は分かった。まずはその、宮廷に仕えていた程の腕前を証明してもらおう。私は才気あふれた者に援助をするのは、一切惜しまない。それこそ、王家を敵に回しても守ると約束しよう」

 ……ん? 何をもって証明するんだろう……??

 考えているとエクヴァルが、まずはエリクサーでしょと耳打ちしてくる。そっか、エグドアルムの宮廷魔導師っぽいよね。


「これは私が作製したエリクサーでございます」

 私はエリクサーを一つ出した。しかし、実はこれは証明するのが難しいのだ。回復力は測定できるが、エリクサー特有の欠損部分の復元は、やってみなければ立証されない。

「これが、ほう……」

 執事が受け取って公爵と共に見ているが、本物かは区別がつかないと悩んでいるようだ。


「閣下、ハンネスです。ただいま参りました」

「おお、ちょうどいいところに! ハンネス、これが本物のエリクサーか、区別がつくか?」

 扉を開いたのは、深い緑色の髪と同じ色のローブを来た男性。年は三十代といったところかな。公爵は彼を呼び、エリクサーを評価させている。

 ハンネスは真剣な眼差しで瓶を眺め、揺らして輝くルビー色の液体の魔力を確かめていた。

「……そうですね……、私は本物だと思います。凝縮された魔力が感じられるのに、流れ出てこない。よくできていますね。」

「なんと! この若い女性が、本物のエリクサーを作れるとは……!」

「……彼女が、このエリクサーを……?」

 私を確認して、ハンネスはどこかいぶかな表情を浮かべた。さすがにそこまでは信じ難いというような。


 微妙な空気が流れているところに、今度はドカドカと足音を立てて人影が近づく。

「ハンネス!! 悪魔との契約者が来るからと言って、いちいち俺まで呼ぶな! 挨拶なんぞ煩わしい!」

 ハンネスに続いて登場したのは、彼が契約している悪魔だろう。茶色い髪と瞳、金の縁取りのある黒いコートを着た紳士といった雰囲気の、高貴そうな男性の悪魔だ。


「……煩わしい? なるほど煩わしい、とは! よくぞ申したな、キメジェス!!」

「な…っ、あ……! ……べ、ベリアル様!!!」

 ベリアルが声を荒げると、威圧の魔力が風のようにキメジェスに向かって強く吹いた。椅子が二、三個バタバタと倒れ、キメジェスの顔色がみるみる青くなっていく。


「キメジェス……? 侯爵である君が、一体?」

 困惑の色を浮かべるハンネスに、悪魔キメジェスは声を震わせる。

「だ、黙っとれ!! この方は、地獄の……」

「それを口にする権利が、そなたにあるのかね!?」

「……あ、ありません! 大変失礼いたしました!」

 更に険悪になるベリアルの厳しい眼差しに、九十度に腰を曲げたきれいなお辞儀で答える。


 二人のやり取りを見ていたアウグスト公爵と魔導師ハンネスは、唖然としてしばらく言葉も出なかった。

「……そなたら。いつまで我と、我が契約者を立たせておくつもりかね」

 ベリアルの一言で、固まっていたその場が何とか動き出した。

 あれ? エクヴァルはいいの?


 お茶やお菓子が運ばれ、私の前には憧れのアフタヌーンティースタンドが!

 下段にサンドウィッチ数種類とサーモンの乗ったオープンサンド、中段に小麦粉の皮で何かを包んで揚げたものやポテトなどの暖かい料理、上段にはカップに入った焼き菓子や、グラスデザート、小さいケーキ。なんて可愛らしいのかしら!  

 右手側には籠に入ったスコーン、手前に二種類のジャムとクリーム。左手側にはチョコレートとアミューズとスープ、湯気を立てる紅茶。


 私ははやる気持ちを抑え、最初のアミューズとスープを頂く。そしてサンドウィッチをナイフとフォークで切り分けて、少しずつ食べる。

「どうかな、お気に召したかな?」

 公爵が紅茶を手に尋ねた。本人の前には、サンドウィッチとスコーンくらいしか置いていない。あまり甘いものは好きではないらしい。

「とても美味しく頂いております。感謝申し上げます」

「喜んで頂けて良かった。庇護の件は勿論、引き受けよう! いくらでも助力させてもらうよ」

 これで今回の目的は達成かな。公爵はとてもご機嫌だわ。

「大変心強いお言葉、身に余る光栄にございます」

 ベリアルはスコーンを千切る姿すら優雅だし、貴族であるエクヴァルの紅茶を飲む姿勢も上品だ。

 なんだか私が浮いている気もする。斜め前では、ハンネスが少し食べにくそうにしていた。マナー、苦手なのかな。ちょっと親近感がわく。


 キメジェスは、先ほどから全く喋らない。ベリアルの顔色をチラチラと盗み見ている。彼のそんな卑屈にも思える態度に、契約者であるハンネスも困惑を隠せない様子だ。

「……ベリアル殿」

「解っておるわ。我が契約者が庇護を受けるのだ。キメジェス、その方の無礼は不問に付す」

「あ……ありがとうございます!!」

 わりと真面目そうな悪魔だな。大体ベリアルがわざと存在を誤認させる為に、男爵か子爵程度まで魔力を抑えているのが原因だと思うんだけどな。さすがにそれ以下には偽装できないそうだ。

 いっそ気付かれないよう、全て隠ぺいした方が無難じゃないだろうか。


「素晴らしい悪魔と契約されているようだね。確かにそれだけでも、どこの王宮からでも誘いがありそうだ」

「……キメジェスのこのような反応は、初めてです。これは確かに、公爵閣下が庇護をなさる必要があるでしょう。バカな貴族が手を出そうとすれば、首ではなく国が飛びますよ」 

 公爵とハンネスがしみじみと頷く。

「ところで、貴女はどのような活動をしているのかな? なんならこのハンネスのように、我が屋敷に逗留してもらってもいいのだよ?」

「公爵閣下。せっかくのお申し出に大変恐縮なのですが、私はレナントにきょを構え、気ままに魔法アイテム作製をさせて頂いております。今の生活を続けたく存じます。先日もフェン公国に、ガオケレナと竜の素材採取に参りまして……」

 ここまで説明したところで、二人は声を張って私の言葉を遮った。

「フェン公国!? 軍事国家トランチネルの侵攻があったのではないのかね!?」

「竜の……素材採取!??」


 ああ! いつものクセで竜の素材採取と言ってしまった! これは確かに非常識!!

 それにフェン公国ではまさに、戦端が切り開かれるかもという瞬間に立ち会っていたのだった。

「あ、ええ……、ベリアル殿は竜の狩りが趣味ですので! トランチネルは……ええ、ええと……」

 焦ってしどろもどろになる私を、エクヴァルもベリアルも笑って眺めている。ひどい、ここに味方はいないわ!

「墓穴を掘ったね、イリヤ嬢。全部喋っちゃえば? 公爵デュークは事情をご存じだし」

 処置なし、とでもいうように手を振るエクヴァル。しかし彼がこう言うのなら、この公爵に隠す必要はないのだろう。


「……その……、フェン公国が攻められそうだったんで、こっそり地震を起こす広域攻撃魔法と、四つの風の広域攻撃魔法を唱えてみました……。トランチネル軍は撤退したそうです……」

「あの魔法は君が!? 風の魔法に雪が混じったと聞いたが、どういうことだ? あれはそんな魔法では無いはず!」

 ハンネスの大音量が響いた。

「水属性が得意なんで、混ぜたら効果が上がるかな~と。四つの風の魔法は、応用が効きやすいんで楽しいんです」

 ……なぜか私に向けられるのが、呆れる視線のような気がする。なぜ。

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