第40話 マジックミラーの中の王

 帰路の途中、テナータイトの町で一泊することにした。

 まだトレント材を全然買っていない。タリスマンにする材料が欲しいけど、彫ることが出来ないんだよね……。

 そうだ、アレシアとキアラのお土産を買おうかな。隊商を紹介してくれた、ビナールにも何か買って行った方がいいだろうか。


 夕方の街を一人で歩く。混乱は収まったらしく、ここを発った日に比べるとだいぶ静かだ。火竜が倒されたので、避難する必要はなくなったし。

 さすがに魔法使いが杖によく使うトレント材が豊富に採れるだけあって、商品には魔法使い向けの道具が多い。トレント製の木札や、何も書かれていないプレートなどを買って、そのうち護符を作ろうと思う。

 夕飯は宿で用意してくれる為、食後のデザートと茶葉を購入。レナントでは売っていないハーブもあったし、満足する買い物ができた。わざわざ買い物に来る魔法使いがたくさんいて、お店でされている会話の内容は魔法や装備についてが多く、漏れてくる話を聞いているだけでも楽しかった。

 たださすがに、初級らしい内容ばかりだけど。


「イリヤ。マジックミラーを用意せよ」

 宿の部屋に戻って買った品物を確認していると、ベリアルがドアも開けずに入って来た。

 この入り方はやめてほしい……。

「どなたかと通信されるんですか?」

「うむ……まあな。信号が送られてきたのだ」

 言い方に歯切れが悪いし、珍しい。どうも配下の方ではないようだ。


 マジックミラー。正式名称は、マジックミラー・トライアングル。

 力ある名前の書かれた三角形の中に鏡を置いた、この世界と異界とを繋ぐ魔法アイテム。魔力で繋ぎ幻影を映し出すものだ。

 繋ぐラインを作るだけに、向こうからの魔力でこちらに影響を及ぼすことも、それなりには可能。ただし、接続を切らずに何かするには高度な魔法操作が必要らしく、簡単ではないようだ。

「私は魔法円マジックサークルを用意した方が良いでしょうか……?」

「いや、それには及ばぬ。我に用があるだけであろうし、そなたは無礼のないようにしておけ」

 わざわざそんな言い方をするなんて、王以上の悪魔であるのは確実だわ。


 マジックミラーをアイテムボックスからシングルルームの小さな机に取り出すと、床に置くよう指示される。ベリアルの座る椅子から向かい合う様に設置して、呪文を唱えて空間を繋げる。

「異界の扉よ、開け。偉大なる御名のもと、この鏡に幻影を映し出したまえ。悪魔よ、地獄より姿を現したまえ」

 するとマジックミラーが一瞬パアっと白く輝いて周囲を照らした。

 消えると同時にチカチカと小さな光が生まれて、どんどん増えて回りながら集まり、人の形を作っていく。


 現れたのは肩より少し長いくらいの銀の髪に水色の透き通る瞳、天使が着るローブのような白い衣装を着た、悪魔とは思えない温和な表情をする、若く美しい男性の映像だった。

 悪魔だと言われても、信じられないかも知れない。しかも、つま先まで映された立体映像。ここまで全て姿を映し出すのも珍しい。


「やあ、ベリアル。いつそちらに行ったんだい?」

「つい最近な。しばらくはこちらにる予定だが……何かあったのかね?」

 ベリアルを呼び捨てにする悪魔は初めてだ。やはり同じ王……?

「何かじゃないよね、私の配下を呼び出したね?」

「……ルキフゲ・ロフォカレかね。我の配下では足りぬ用だったのだよ」

「彼は君と酒を飲み交わしたと喜んでいたけど……、あまり好ましいとは言えない」

 この優しそうな悪魔は、あまり人間が好きではないのかも。配下が召喚されたことへの抗議だろか。

 とはいえ地獄の状況が少し解るかも……! ああ、魔王同志の会話……!

 研究者冥利に尽きるわ!


「相変わらず頭の固いヤツよ。……で、本題は?」

「……そちらこそ相変わらず、自由な男だ。昨今、高位の存在への、人間の世界への召喚が頻繁に行われている。それが気に掛かる」

「我が召喚された時、ティアマトを見掛けたが。アレは還っておるのか?」

「いや、彼女の息子が探しに行くと言っていたね」

「放っておけば良いものを。誰がアレに手出し出来ると思うのだね」

 呆れたように頬杖をつくベリアル。

 ティアマトとは黒竜で、確か“神”の位にあった、竜神族と呼ばれる最上位の竜。

 昔、大陸の南側にあるどこかの国が軍の実験施設で召喚し、ティアマトは怒りのあまり施設も付近の村も吹き飛ばしてしまったとか。多くの犠牲が出た事件として有名だ。

 それ以来、召喚術に対する規制をするべきだとの声は上がっているけど、高位の存在を召喚したい人は多くて、なかなか規制には繋がっていない。

 まだこの世界に居たんだ、ティアマト……。


「バアル(ベルゼブブの事)もそっちに行ったみたいだけど」

「ぬ! バアル閣下が……。あまり会いたくないものよ」

「……君、バアルに対しては態度が違うよね?」

「あの方は苦手なのだよ……」

「はは、退屈していたようだからね。せいぜい遊んであげてくれ」

「……解った! ルキフグスの件は、我が悪かった!!」

 あ、ベリアルが謝った。降参だとばかりに、両手を顔の脇に上げている。珍しいな。やはりベリアル以上の王、なのかな。その割には馴れ馴れしい感じだけど……。

 まだこの会話だけじゃ、二人の関係性が解らない。

 そしてベリアルはバアルという悪魔が苦手らしい。敬称で呼ぶのだしベリアルより上だと思うんだけど、この彼はその更に上なのよね?

 なんでわりと普通に話しているんだろう…??


「ところで、そこの人間の娘」

 ベリアルの態度に満足したように頷いた後、水色の瞳は私の方を向いた。

「は、はい」

 先程までの穏やかな微笑とは打って変わった、厳しい瞳と声色。空気も重苦しいものに一変する。

 片膝をついて頭を下げ、慎重に返事をする。

「……いくら彼の契約者であろうとも、この私を喚ぶ事は許されない」

「心得ております」

「……ふうん?」

 人間など信用できない、とでも言うようだ。ハッキリ伝えておくべきかな。

「僭越ながら、私にはベリアル閣下がいらっしゃいますので、それ以上の力を望むべくもございません」


「……なるほどね。まあ、及第点をあげよう」

 え? 何か試されてたの?

 威圧的だった空気が途端に和らいで、先ほどまでの穏やかな表情に戻っている。

「頭を上げなさい。ベリアルがどうしようもない時は、私に声を掛けて良い。叱ってあげるよ」

「待たんか! それでは、この小娘が我の監視役のようではないかね!?」


 声を荒げたベリアルに、空のように澄んだ双眸は冷ややに細められる。

「……君ね、昔どのように二つの町を滅ぼしたか、忘れてはいないだろうね?」

「アレは単なる実験であって、悪魔であるからに……」

「黙りたまえ」

「…………」

 本当にベリアルが黙った。すごい。

 それにしても、二つの街を滅ぼしたってなんだろう。しかも、この彼には受け入れがたいやり方だったようだ。

「言い訳は見苦しい。あまり品のない真似をしないで欲しいね」

 

 冷たく言い放ったあと、また柔らかい雰囲気に戻って私を振り向く。

「ではね、人間の娘。私はルシフェル」

 名前を教えてくれて、彼は柔らかな光に包まれ始めた。どうやら通信を終わりにするらしい。

「ああそれから、ベリアル」

 徐々に輪郭が滲んてきたルシフェルが、思い出したようにベリアルを呼んだ。

 何故かその表情は、いたずらを思いついた子供のような笑顔な。


「契約者に“閣下”と呼ばせるのは、少々趣味が悪いと思うけど」

「我が言わせているのではないわ!!!」


 マジックミラーからの光は途絶え、完全に接続は遮断された。ベリアルの反論が届いたのかは解らない。

 椅子にもたれているベリアルは、苛立たし気に赤い髪を掻き上げた。

「……茶でも淹れんか」

「紅茶にいたしますか? ハーブティーもありますけど」

「どちらでもよい!」

 最後のは、からかわれたんだよなあ……。なんだか新鮮なものを目撃した。

 シュンシュンと小さなポットがお湯を沸かす音が、部屋に響いている。

 茶葉を取り出しながら、いつになく不貞腐れたようなベリアルの姿が湯気の向こうに映っていた。



★★★★★★★


「二つの町」とは、ソドムとゴモラです。滅びる原因になった邪淫の罪をもたらしたのが、ベリアル閣下という説がありまして。

バアル神が好きなので、バアル=ベルゼブブで通します。バアル・ゼブル。高き館の主とか、気高き王とかそんな意味。そして私のルシフェル様はいかがだったでしょうか。イメージを崩さないといいんですが。

ここでこの章はおわりっ。

明日はこぼればなしとして別の小説にして分けておいた、エクヴァル君の冒険をアップします。

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