23-2話 正しい道
◆
その情報は、やっと来たか、という感慨を伴っていた。
「どこの艦?」
報告に来た軍曹が、額の汗を拭ってから、手元の紙を確認する。
「第五軍団所属、機動母艦エンタルです」
俺は端末を操作し、志願兵の精査を並行させつつ、自由軍の情報ネットワークにアクセスした。第五軍団所属のエンタルは……、確かに存在する。
「本当に脱走か? 秘密任務ではなく?」
「はい」
軍曹のはっきりした声を背中で聞きつつ、機動母艦エンタルの情報をチェック。
相当な数の乗組員が登録されているが、もちろん、正規の人数だ。
「何人ほどが逃げたか、わかるか?」
「千名は超えているかと」
……そうか。
背もたれに身を預け、背中を向けたまま「ご苦労だった」とだけ言って、軍曹を下がらせた。
しかし、千名とは。
端末を殴りつけたかったが、どうにかこらえる。
もう一度、端末でエンタルの情報を確認する。規定の乗組員の数は千名に少し足りない。つまり軍人だけではなく、民間人も逃亡したのだろう。
表示によれば機動母艦エンタルの現在地点は不明になっている。きっちりと追跡を振り切るための機械的な処置はしたわけだ。
これでまた自由軍は、自由領域の防衛網、警戒線とパトロール、全てを新しくしないといけない。
それどころか、もっと重要な情報が漏れる可能性もあるのだ。
どうやったらそれを防げるだろう。
ありそうもない手法を考え始めたところで、憲兵から連絡が入り、夕食に誘われた。これは符牒の一つで、帝国軍の諜報員を確保したことを示している。俺は今から打ち合わせに行く、と応じた。
憲兵の詰所に併設されている取調室で、俺はその哀れな諜報員が人間として破壊されていく様を見ていたが、心ここに在らずだった。
「脱走の件を知っているか?」
憲兵の一人が声をかけてくる。同じ階級で、気安い感じで助かる。
「ちょうどそれを考えていたよ」
「これから報告書を上げるが、こいつもどうやら、帝国軍には慈悲の心がある、と喧伝していたらしい」
「で、慈悲の心とやらは実在するのか?」
憲兵が首を横に振った。
「あるわけがない。デタラメさ。例の機動母艦の連中も、そろそろ悲劇の真っ只中にご到着、って感じだろう」
「何か対抗策があるかな」
「情報戦でか? それは無理だ。俺たちがそもそも弱い立場だからな」
思わず彼を見ると、笑みがあった。疲れた笑みだった。
「俺たちはどう転ぼうが、最終的には帝国軍に押しつぶされる、とみんな考えている。誰も、いつかは帝国軍を排除して、帝政を打倒できる、とは思わない。そこに俺たちの弱さ、脱却できない絶対的な立場があるんだ」
「なるほど、至言だな」
「ただの愚痴だよ」
取り調べが目の前で進行し、諜報員はほとんど廃人のような有様になって部屋から連れ出されていった。独房で一泊してもらって、翌日はまた最初からだろう。
「精神スキャンを使わないんだな」
憲兵に尋ねると、今度は渋い表情になる。
「いざとなったら使うが、使用を極力控えるように、という通達があった。例の大騒動の反動だろう」
憲兵が難しい顔になっている。
「大騒動において、精神スキャンは大きな役割を果たした。帝国軍からの通信網への攻撃を無力化するのに、大いに役立ったと聞いている。その結果、もっと多用するようになるかと思ったが、自由軍が自らの潔癖さを再認識したように、使用を控えよ、と来たもんだ」
「まあ、あんたらの仕事がなくならなくてよかったな」
憲兵の肩を叩いて、俺は自分の仕事部屋に戻ろうとした。
が、俺の部屋のドアの前で、トニーが待ち構えていた。俺に気づくと駆け足が近づいてくる。
「こんな情報があるんですが、どう思います?」
開口一番、トニーがそう言って一枚の紙を差し出してくる。赤い判が押される。
機密文書だ。どこで手に入れたのやら。
中身を読み始めて、俺は機密だの何だのと気にする余裕はなくなった。
読み終わった書類を返し、思わず天を仰いでしまう。これはまた、どうなるんだ?
「このことはもう忘れた方がいいぞ。知らなかったことにしておけ」
俺の言葉に、トニーが青い顔で頷き、制服の懐に書類をしまった。
そのまま廊下で別れ、俺は作業の部屋で椅子に座り込み、じっと考えた。
狂っている。
最初に思ったのはその一点だった。
さっき、トニーが俺に見せた書類は、帝国軍が自由軍からの離反者を処刑している、という情報から始まってる。
一人の例外なく、自由軍からの脱走者は帝国軍が処理しているのだ。
そしてもう一つ。その事実を自由軍の上層部は知っていながら、まだ公には発表してない。
上層部の将校たちのやり取りの一部も書類に書かれていた。
彼らは、なんと、帝国軍による非道を、最も効果的なタイミングまで黙殺すると議論しているのだ。
信じられなかった。
即座に公表するべきだ。そうすれば自由軍を脱走することで、ただ殺されるだけの未来しかなくなる人間を、何人かは救えるだろう。
自由軍に蔓延しつつある帝国軍による慈悲の幻影など、ただの妄想だとはっきりさせるべきだった。今すぐ。
自由軍に参加しているもので、無駄に死にたいものなどいないはずなのに。
それとも自由軍の上層部は、自分たちの引き締めのための人身御供とでも考えているのか。
俺は目の前で次々と映像を切り替えていくモニターを見ながら、自分に何ができるかを考えていた。
無力だった。俺に何ができる?
不意に、ついさっきまで目の前で痛めつけられていた諜報員が浮かんだ。
奴を利用して、帝国軍の実態をはっきりさせよう。そしてその報告書を堂々と公表する。
一部の将校か士官しか目にしないだろうが、事実は事実だ。
少しでも彼らに響くと信じるよりない。
いてもたってもいられず、俺は部屋を出て、憲兵の詰所に向かった。通路を歩きながら、もう報告書の文章を考えていた。
詰所に入ると、憲兵二人がカードで遊んでいた。俺を見て目を丸くし、ゆっくりとカードを片付ける。
「いきなりですな、大尉。なんですか?」
「さっきの諜報員の取り調べに、次も同席したい」
憲兵の一人、例の大尉が目を丸くする。
「何か気になることでも?」
どう答えていいかわからないまま、俺は無言で頷いた。
大尉はそんな俺の様子に何かを感じたようで、少し表情を硬くして頷いた。
「急ぎのようなら、予定を早めても良い」
「予定では何時かな」
「翌朝だね」ちらっと時計を見る動き。「十時間ほど後になる」
十時間もあれば、俺もだいぶ気持ちを整理できるだろう。
「予定通りで構わない。またここに来るよ」
「わかりました。待っていますよ。お茶でも飲みます? その、具合が悪そうに見えるが?」
「問題ないよ。では、明日」
俺は部屋を出て、通路を歩き、部屋に戻り、また考えた。
どうにかして、正しい道を探さなくては。
自由軍が絶対に正しい集団とは俺も思っていない。
ただ、今の状況は悲惨というよりない。
こんなことのために、俺たちは集まったわけじゃない。
そのはずだ。
(続く)
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