1-7話 走り出す事態

     ◆



「肝が冷えましたよ、公爵」

 通路に出て、開口一番、大佐が言ったので、わずかにボビーは笑みを返した。

「これでどうなるのですか?」

「それは彼女が知っているだけです」

 第三軍団司令官は、公爵を情報ネットワークに無制限で接続させる、と決定した。これはボビーが公爵から依頼されたことが、そっくりそのまま通ることを意味した。

「彼女が陰謀を巡らさないことを祈るのみです」

 気を紛らわすようにボビーと大佐は少しだけ三次元チェスの定跡に関して話してから、大佐は艦橋へ、ボビーは自分のオフィスへ向かうため、別の道を選んだ。

 オフィスに入ると、女性が待ち構えていた。

 ミライ准尉。ボビーは彼女を見て、初めて今が昼食の時間だと理解した。反乱軍は全体として危地に立っているが、娯楽課はいつも通りというのが、どこか可笑しかった。

「今日は三次元チェスはできないよ、ミライくん」

「知ってます、主任。お戻りになったら、私も仕事へ戻るつもりでした。これが今日のお昼です。では、また」

 彼女はぶっきらぼうにそう言って部屋を出ようとする。やっとボビーも彼女の感情に気づいた。心配してるのだろう。

「わざわざありがとう。心配はいらない」

「心配していません!」

 大声を残して、ミライは出て行ってしまった。まったく、女心という奴はわからない。

 椅子を引っ張ってきて座り、ミライが置いていったトレーの上のカレーライスの皿を持ち上げる。

「公爵、私たちのやりとりをモニタリングしていたね?」

『はい。主任の指示の通りに』

「第三軍団司令官の野心に気づいたかい?」

 スプーンを取り、カレーをすくった。冷めてはいないが、熱くもない。ちょうど良い温度だ。さっさと食べよう。

『人間の野心というものを、私は正確には把握していません。それは生命よりも大事なものですか? 自身の生命、もしくは戦友の生命よりも?』

「時と場合によっては、ね。野心というのは、つまり欲だ。目の前にぶら下げられているご馳走とも言える。それしか目に入らなくなると、崖に飛び込む、ということさ。それよりも君は公式に反乱軍の全情報へのアクセス権を得た」

 スプーンをくわえて、空いた手でボビーは端末に複雑で長い数列を打ち込んだ。最後まで打つと、実行するか、確認する表示が出る。

 ここで実行を命じれば、世界で最高レベルの人工知能を解き放つことになる。

 それがどう転ぶかは不明だが、今はその必要がある、とボビーは自分に言い聞かせた。

 そして実行を命令した。

 スプーンを手に取り、カレーをすくって口へ運ぶ。不自然なほど公爵が喋らなくなったのを、まぁ、世界の大きさに打ちのめされたのだろう、とボビーは考え、これなら私は詩人になれるな、とも思った。コンピュータは詩人にはなれないだろう。

 カレーを食べ終わり、トレーに空いた皿を置く。帰りがけに片付けるとしよう。

「感想は?」

 端末で音声入力が可能になっていることを確認し、声をかけてみる。

 返事がない。

「公爵? 聞こえないのか?」

『聞こえています。とてもよく聞こえます』

「なら良かった」

 ボビーは椅子を引き寄せて、端末の前に陣取った。

「ではいきなりで悪いが、第四軍団を助けるとしよう」

『申し訳ないのですが』本当に申し訳なさそうな音声。『状況の把握に時間が必要です』

「どれくらい?」

『十八時間、急いでも、十二時間です』

 なるほどね。それはまた、長いな。

「三次元チェスの最高峰のタイトル戦、知っている?」

『重要な情報ですか? この状況で?』

「いや、くだらない冗談だよ。最高峰のタイトルは、賢人杯で、持ち時間はそれぞれ八時間。ふとそれを思い出した」

 短い沈黙の後、人工知能が短く返事をした。

『時間の無駄ですね』

 ボビーは思わず笑いつつ、思った。

 どうやらこの人工知能は無駄を理解したようだ。


     ◆


「帝星に行く? 俺が?」

 ソファにだらしなく座っている男が、伝説的な諜報員にして工作員とは、とてもドグムントには見えなかった。だがカーツラフは真面目だし、そうなのだろうと思うしかなかった。

「帝星に行って、何をする?」

「帝国軍の後方撹乱をして欲しい。いや、それは控えめに言って、だな。実際には君は重要な役目を負うだろう」

 ふーん、とポーンは軽い調子で言って立ち上がると、執務室の隅にあるウォーターサーバーでグラスに水を注ぎ始める。

「いつから預言者になったんだ?」

 グラスを傾けつつ、そう言われたカーツラフが控えめに笑う。

「もし、どうしても反乱軍が消滅するという事になったら、帝国に一矢報いてから、死にたい。そう思わないか?」

「剛毅な爺さんだな」呆れた様子の後、即座にポーンが不敵に笑う。「俺は反乱軍どうこう以前に、帝国が大嫌いでね。奴らを困らせることができるなら、なんだってやるさ」

「では、帝星に行ってくれ。その前に、寄り道してもらう必要があるが、それは楽な仕事だろう。資料はこれだ」

 急にカーツラフが懐からメモリーカードを取り出して、それをポーンに投げ渡す。グラスの水を飲み干し、その空のグラスでカードを受け取る。

 理解不能な行動にドグムントが目を白黒させている前で、ポーンは指先でちょっとだけカードに触れると、頷いた。なんだ? 何がわかったんだ?

 そのままポーンはグラスをウォーターサーバーに向け、カードが入ったままのグラスにお湯を注いでいる。グラスを置き去りにしてドアに向かう彼に、さすがにドグムントも声をかけようとしたが、カーツラフが身振りでそれを止めるので、ぐっと我慢した。

「いい結果を見せるようにするよ、じゃあな」

 ポーンは出て行ってしまったので、ドグムントは苛立ちを向ける先を失い、例のグラスを取りに行った。お湯を払って、メモリーカードを見るが、果たして機能するだろうか。

「説明していただきたいのですが、中将」

 強い視線を向けたドグムントに、カーツラフは真面目な顔になる。

「餅は餅屋、という言葉を知っているか?」

「ポーン・クリファス、その名前は私も知っています。餅は餅屋、という言葉を加味すると、彼に我々の内部に紛れている諜報員を探らせるのですか? どうして彼なのです? 諜報部門を動員すればいいでしょう」

「彼が適任だ。秘密裏に動きたいのでね。この動きは自由評議会も知らない、私の独断だ」

 さすがにドグムントも黙るしかない。黙るしかないと思ったが、興味だけは押さえきれなかった。

「ポーン・クリファスはどこの所属ですか? 諜報部門ではないようですね」

「彼はどこにも所属していない」

 していない? ドグムントの訝しげな視線に、カーツラフは強く頷いた。

「彼には誰もが命令できるわけではないのだ」

「評議員だから命令できる、という意味でしょうか?」

「違う。私と彼は友人だ」

 腑に落ちるような、落ちないような、曖昧な感情のまま、ドグムントはカーツラフを見た。

 友人か。反乱軍は仲良し集団ではないが、確かにドグムントにも友人だと思う相手はいる。

 カーツラフにも、ポーンにも、それぞれに事情はあるのだろう。

 その時、執務室のドアがノックされ、情報管理担当官が入ってくる。カーツラフの秘書の一人だ。

「この戦況予測なのですが」カーツラフの前に進み出た担当官が、書類を差し出す。「興味深いと思って、お持ちしました」

 カーツラフが読み始めるそれと同じものを、担当官はもう一部、用意していて、それがドグムントにも渡された。

 しばらく無言で読んだが、そこに記されていることは、ドグムントの視点からすれば、カーツラフの発想に非常に近いものだった。カーツラフにしても、納得のいくものだろう。

 では、誰が書いたのか、と二人はその署名を見た。

 署名は「公爵」となっている。公爵?

「発信元は第三軍団です。送り先は総司令部、統合指揮所と、全軍の大佐以上です。機密レベルはレッドです」

 カーツラフがもう一度、一から読み直したので、ドグムントもそれに倣った。

 その戦況予測は、第四軍団はこのままでは通信手段を絶たれたまま、帝国軍に各個撃破される、ということが様々な補足も交えて書かれている。しかも帝国軍の攻撃は通信妨害ではなく、通信破壊とでも呼ぶもので、通信手段や通信方式が全面的に敵に、極めて詳細に認識されている、ともあった。

 つまり、第四軍団が崩壊するのは第一段階で、帝国軍は反乱軍の全体像を正確に把握していることを強みに、他の軍団を同様の手段、もしくはより効率的な手法により、壊滅させるだろう、と最後は結ばれている。

「第三軍団、公爵か……」

 カーツラフが書類をたたんで、懐に入れた。

「君たちは三次元チェスをやるかね?」

 急に何の話をしているのか、ドルグムントも担当官も計り兼ねた。カーツラフはわずかに顔をしかめて、つぶやいた。

「最近の若者の娯楽はよくわからない」

 何のことだろう? 理解できない二人が顔を見合わせているうちに、カーツラフは車椅子を自力で動かし始める。即座にドグムントが書類をしまって、車椅子を押し始めた。

「通信室へ行く。自由評議会が再開されるだろう。ああ、二人に頼みがある」担当官が進み出る。「戦略戦術部門の中でも頭が切れそうなものを二、三人、見繕って待機させておいてくれ」

 ドグムントと担当官が返事をする。担当官はそのまま自分のオフィスで人事ファイルを確認すると断って、駆け出していった。

「忙しくなってきたな」

 どこか楽しそうにそういう上官のことが、いよいよドグムントには偉大に見え始めた。

 まだ自分は、この事態を何も知らないのではないか、という不安に駆られたが、腹に力を入れるように、ドグムントは堪えることができた。

 この中将を信じていれば、なんとかなる。

 なんとかなる、はずだ。




(続く)

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