第19-4話 後ろ姿
あれからさらに三年が過ぎた。
ワーリィは小学校に進み、元気に生活している。勉強の出来はほどほどで、運動が好きらしい。すでに他の同級生に比べると長身で、その辺りはワサの遺伝子だな、と感じる。
僕とワサはそれぞれに働いて、近いうちに家を一軒、手に入れようと話している。ワーリィが転校しないでいいようにしたい、と二人とも思っていて、そこが大きなハードルではある。
警官はあれ以来、僕の元へは来ない。
結局、リキゾーの両親は失踪した。
検挙されたわけではない、と親戚がまるで見てきたように教えてくれたのは、去年の年末年始だ。
夜逃げをした、とも言っていた。リキゾーの家は両親と年の離れた妹がいて、その三人は鮮やかに姿を眩ませたらしい。
僕もそれほど深くは問い詰めないが、これで真相ははっきりした。
リキゾーはやっぱり、反乱軍に参加したのだ。
僕のところへ来た警官の存在で、僕の中でリキゾーの決断は、三年前からはっきりしていたわけだけど。
あの時、警官はリキゾーからの連絡がないか、尋ねてきたが、僕には身に覚えがなかった。
そんな態度の僕をかなり締め上げたものの、警官たちも確証はなかったらしく、最後には解放してくれた。締め上げるといっても、飛行車両の中で話しただけで、暴力も恐喝もなかった。
オクテットの警官は良心的だな、と、今でも思い出す。
三十歳になろうとしている僕は、一度だけ、ワサにものすごい剣幕で迫られた時があった。
それは、メトリーからのメールに返事をしたことを知った時だ。
僕が何気なくその話をすると、彼女はほとんど絶叫して、二度とメールをしないでほしい、と伝えてきた。
それ以来、僕はメトリーとも連絡を取っていない。
どうしてワサがそこまで神経質になるのかは、わからない。今までなかったことで、彼女が本来的に持っていた性質なのか、それとも年を重ねて、生活を重ねて、変化したのか、それも曖昧だった。
なので、メトリーのことも、よくわからない。
まさに僕が返事をしたメールで、僕の知らない惑星の高級ホテルのレストランで、料理人をやっている、ということがわかっているだけで、あまりにぼんやりしすぎている。
彼女からの返事があれば、詳細を聞けたはずが、その前にワサの怒りが爆発し、もう望みはない。彼女はメトリーからのメールを受信拒否するように命令、まさに命令してきて、僕は無抵抗に受け入れた。
僕もまだ二十代なのに、疲れ切ったように、ワサに抵抗できないのが、情けないような、そんな気もする。
ある時、ワサが会社で旅行に行くために、家を空けた時があった。僕はワーリィを連れて、エトラントへ行き、実家で過ごすことにした。
両親の頼みを聞いて、荷物を僕の部屋へどんどん移した。ついに部屋の八割方が、荷物に占領されることになった。
その時、たまたま、その小包が目に入った。
何年も前に送られてきた本だ。
天啓と言ってもいいだろう。
あの本は、いつだったか、僕がリキゾーに渡した本じゃないか? メトリーが買って、僕が届けた。卒業式の前日。
雪崩のように記憶がよみがえり、もう一度、本を検めた。
ページの隙間から、一枚のメモが落ちた。
そこには長い数列があり、どうやら座標らしい。
反射的に携帯端末で、星海図を調べそうになったが、本能の警告がそれを思いとどまらせた。
僕のことを警察は忘れていないだろう。
この座標には何があるのか。
改めて、そのメモをチェックした。
何かシミのようなものがあることに気づいたのは、その紙が何年も本の間で眠っていたからで、もし初めて小包を手にした時に紙に気づいても、そのシミはなかったはずだ。
背筋が冷えた。
声が震えるのを抑えつつ、家族に頼んでライターを借りて、こっそり、紙をあぶってみた。
紙が変色するが、その変色がまだらになった、と思ったら、そのまだらが文字の一部だとわかった。そのうちに、まだらは一つの文に変わった。
「メトリー、会いたい、愛している」
そう書いてあった。
どうやらリキゾーは僕が本をメトリーに渡す展開を想定したらしい。
しかしもうそれから、長い時間が過ぎている。
僕はどうするべきか、迷った。
結局、その紙は燃やし尽くして、灰になって消えた。
でも座標は僕の頭の中に残っている。
オルテットに戻り、ワサとワーリィとの三人の生活がまた始まった。
でも僕はどこか心あらずで、日々を送ることになった。
その決断は、だから、迷った末の、窮余の策とも言えた。
仕事は長期休暇を取り、一人で旅行に行くとどうにかワサを説き伏せ、いつだったかメトリーがくれたメールにあった惑星に向かった。
辺境の惑星で、でもホテルはちゃんとあった。
だけど、僕は目的を果たせなかった。
メトリーはすでに退職しており、どこかの惑星に引っ越したらしい。
この旅に出た時、僕はメトリーのアドレスやアカウントに対して、連絡を取ろうとしたが、全くの音信不通で、会えないという可能性は、ちょっとだけ、頭にあった。
わずかな落胆を感じつつ、僕はオルテットに戻り、結局、元のままの三人の生活に収まるしかなかった。
自分が何をしたかったのは、わからない。
メトリーと会って、あの紙にあった座標を伝える?
それが誰のためになるだろう?
メトリーのため? リキゾーのため?
少なくとも、ワサのためにも、きっとワーレィのためにも、ならないだろう。
僕はやっぱり平凡な存在で、特別な、水際だったことは、無理なのだ。
例の座標のことはそれ以来、思い出さないように意識して、また長い時間が流れた。
高校卒業から十五年目に、同級会があった。
すでにみんな、三十三歳だ。
僕とワサは一緒に出席し、懐かしい面々が冷やかしたり、感心したりした。
その会場で、僕は小柄な女性に気づき、ワサの目を盗んで、彼女に近づいた。
「メトリー?」
彼女が振り向くと、間違いなく、メトリーだった。
「トーリー? 懐かしいわね」
彼女は前と全く変わらない雰囲気で、微笑んだ。
「彼女と結婚したらしいわね。幸せそうで羨ましいわ」
僕は何も言えなかった。
考えていたのだ。
例の座標を彼女に伝えるべきか。しかしその座標も僕の頭の中で霧散しつつあり、曖昧な数列になっていた。
「私、結婚したのよ」
そう言って、メトリーが指輪を見せてくる。
「どこかの軍人と結婚しなくてよかったわ。今の主人は、普通の会社員でね、落ち着くわ」
僕はどう答えていいかわからず、無意識に口を開閉し、どうにか、呟くように言った。
「リキゾーが、君と会いたがっていると思う」
「どうかしらね」
彼女の目に冷たい色が覗いた。
「なら、正々堂々とここへ来るでしょう?」
僕は何も言えなかった。
「会えてよかったわ、トーリー。またね」
そっけなくそういうと、メトリーは僕に背を向けて離れていった。どうやら会場をそのまま出て行くらしい。
僕は視線を感じて、そちらを見た。
少し離れた人の輪の中から、ワサがこちらを見ていた。
僕はもう一度、メトリーの背中を見た。
会場を出たところで、背広の男性が彼女の横に並ぶ。メトリーの顔に笑みが広がる。
ドアが閉まりそれきり彼女は見えなくなった。
僕はしばらく、そのドアを見ていた。
喧騒が、僕から距離を置いているように、感じられた。
(第19話 了)
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