SS第14話 最高の知性

第14-1話 輝かしき才能

 私、ボビー・ハニュウの名前は、おそらく帝国の九十九パーセントから忘れ去られているだろう。残りの一パーセントは、私のライバルであり、友人だ。

 生活している宇宙母艦の部屋で目覚め、顔を洗い歯を磨き、背広を身につける。革靴は手入れが行き届いている。

 自動巻の腕時計を左手首に。

 小さなカバンを手に、部屋を出る。

 通路ですれ違う人と目線で挨拶をして、エレベータで目的の階へ。短い通路の先は、もうオフィスだ。

 そのオフィスに通じる扉には、「娯楽科」と書いてある。

 中に入ると半分の男女は背広を着ており、半分の男女は、反乱軍の制服を着ている。

 私は部屋の奥へ進み、別の個室に入る。

 完全なる沈黙。

 部屋の明かりが自動でついて、狭い部屋には机と肘掛け椅子、そして端末とそれにつながる記憶装置。

 椅子に座ると自動で端末が起動した。

『おはようございます、主任』

 端末のモニターに音声の出力を意味する、震える輪が描かれる。声は女性のそれだ。

「おはよう。何もトラブルはなかったかな?」

 我ながら、まるで娘に話しかけるようだ。息子はいたが、もう何十年も会っていない。妻とも連絡は取っていなかった。

 いや、私が家族を顧みたことは、ついぞなかったわけで、家庭を持ったことが、今になってみれば、悪手だったかもしれない。

『主任がお休みの間に、百回ほどの対局がありました』

「勝ったかい?」

『負けませんでした』

 なんとなく頷きつつ、私は椅子に座って、端末を操作する。

 部屋いっぱいに、立体映像が浮かび上がる。格子でできた正六面体が、八つほどだ。

 その正六面体の中で、無数の駒が移動する。

 全てが三次元チェスの棋譜だった。

「さすがは公爵、といったところだな」

 私がそういうと、即座に返事があった。

『本物の公爵はあなたです、主任』

「どうかな、それは」

 私は棋譜をチェックしつつ、今、私と対話している人工知能の、その棋力に舌を巻いていた。

 間違いなく、宇宙最強の三次元チェスプレイヤー。

 私の弟子。そう、最後の弟子だ。

 かれこれ四十年近く前に、三次元チェスの棋士の中で、話題になったアカウントが存在した。

 三次元チェスは実際に面と向かって立体映像を操作することもできるが、もっぱら情報ネットワークを介して行われた。

 帝国三次元チェス協会が、公式の組織で、協会がほとんど全てのプレイヤーにレベルを与えていた。

 話題になったアカウントは、本名を公開せず、公爵、と名乗った。

 最初、このアカウントのレベルは十三だった。プロ棋士のレベルは三桁であることを考えれば、素人同然どころか、何も知らない子どもだ。

 その素人が、ちょうど開催された三次元チェスのアマチュアの大きな大会、彗星杯三次元チェストーナメントで、突然、大きな輝きを放った。公爵は通信参加と呼ばれる形で参加し、情報空間で対局を重ねた末、トーナメント形式の一次予選を勝ち抜き、二次予選のリーグ戦も抜き、決勝トーナメントを駆け上がり、優勝したのだ。

 インタビューは拒否され、後日、簡単なメッセージが発表された。

 ここではまだ、謎のプレイヤーがいる、という程度の、ごくマニアックな範囲の噂だった。

 それからが大激変だった。

 アマチュアの主要大会は十二あり、彗星杯もそのうちの一つだが、公爵は負けなしで一つずつ、アマチュアタイトルを手に入れていった。

 彗星杯、黎明杯、海王杯、一刀杯、天球杯、と五つが瞬く間に公爵のものになった。

 さすがにここまでくれば、マスコミも騒ぎ始める。

 だが、公爵は決して姿を現さなかった。

 インタビューもなし、映像どころか音声さえも公開しない。

 アマチュアのプレイヤーたちは、この突然に現れた天才は、実はプロプレイヤーではないか、と言い出した。

 六つ目のタイトル、曙光杯も手に入れて、アマチュアのタイトルの半分が公爵の手に落ちた時、次に控えていたタイトル、白銀杯は、公爵の参加を拒否する事態になった。

 この時に初めて、公爵は音声をマスコミに流した。

「私はプロ棋士ではありません。一人の、三次元チェス愛好家です」

 それだけの短い言葉だった。

 その声は、まだ若い、少年のそれだと誰もが気づいた。

 白銀杯の次に行われるタイトル戦である、桜花杯の運営委員は協議の結果、公爵が実際に対局場へ来るのなら参加を認める、とした。交通費は運営側が持つという。

 これを公爵が受け入れ、会場にはマスコミが少なくない数、詰めかけた。

 そうして現れた公爵は、十代の少年だった。伏し目がちに席に着き、そして対戦相手を次々と撃破し、桜花杯は彼のものになった。

 公爵がプロ棋士ではないのは明らかだった。

 それから八つ目のタイトルの雪花杯、九つ目のタイトルの賢者杯を手に入れ、さらにもう一つ、大鷲杯を手に入れた。

 最後のアマチュアタイトルの春秋杯は決勝で敗れて逃したのが、この年の公爵の唯一の黒星となった。もちろんマスコミは公爵の初黒星を大々的に報じたが、それは逆に、公爵という名の少年が、三次元チェスのアマチュアでは、史上初の十冠を手にした天才プレイヤーだと知らしめることになった。

 公爵の情報は次々と暴かれ、帝国の中心に近い惑星で生活する、普通の家庭の普通の中学生だった。

 彼の家は連日、マスコミに張り付かれ、中学校へ通うことにさえ、苦労することになる。

 帝国三次元チェス協会は、公爵に連絡を取り、すぐにプロ棋士との記念対局が計画された。

 もちろん、実際に現地で対局するのだ。

 この時、公爵のレベルは百三十二。もちろん、史上最速でレベルを上昇させていて、最年少でもある。

 相手になったプロ棋士は、ディックという若手で、レベルは二百九十五。

 対局場所は、帝国三次元チェス協会が所有する宇宙客船で行われた。

 対局は朝から始まり、昼を過ぎても形勢ははっきりしない。

 お互いに持ち時間は削られていき、ほとんど互角だった。

 時刻は夕方になり、持ち時間はお互いになくなった時に、公爵が伝説の一手を指した。

 キングを一つ移動させるだけのその手は、どう見ても悪手だった。ディックは対局が終わってから、こんなことを言った。

「あの手は、悪手にしか見えないが、彼にはその先が見えていた」

 防御が薄くなったところへ、ディックは攻勢をかけた。それに対して、公爵は攻め合いを選択。激しい殴り合いのような応酬が終わった時、結論は出た。

 お互いに、手番なら勝つ。

 手番は、公爵だった。

 キングを一つ動かす、その一つの座標の分だけ、ディックの攻めは及ばなかった。

「もちろん、公爵があの展開を読んでいたかは、わからない。しかしあの早逃げは、よく考えられていた」

 あるプロ棋士は、感嘆混じりに、そう言った。

 こうして公爵は、初対戦にしてプロ棋士を破った。

 帝国三次元チェス協会は公爵を、プロの養成機関である、予備学校へ入学するように勧めたが、公爵はこれを断り、彼は決してプロになろうとはしなかった。

 その次の年はアマチュアタイトルで十一冠、その翌年は全十二冠を独占し、これは史上初である。

 そのアマチュア大会の間にも様々な場所で戦い、プロとも対局した。

 レベル三百を超えるプロと五回対局し、二勝三敗。

 これはとんでもない事態だった。

 高校生になっていたが、十代のアマチュアがトッププロと互角なのだ。

 この高校生はいつの間にか堂々と前を向いて、毅然とした顔で生活するようになった。

 それでもマスコミには少しも興味を示さなかった。



(続く)

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