第2-2話 悲劇
乗り込んだ船はフランクスという、これも古びた輸送船で、積載しているのは鉱物燃料だ。
その鉱物燃料は、宇宙母艦のある惑星で採掘され、母艦と地上をシャトルがひっきりなしに飛び、母艦から各地へと輸送船が運ぶのだ。
輸送船は二隻で、フランクスとアラスカンだった。
乗り込んでみると、乗員はほとんどいない。理由は、最新の操船システムが導入されているためで、船長が操縦士を兼ね、航海士は人工知能が代行する。残りの乗員は機関士だけだ。
つまり、一隻に二人から三人で運用されている、二隻だけの輸送船団だった。
「陸軍かい?」
フランクスの船長であるタース曹長は俺の制服を見て、片方の眉を上げた。
「陸軍だ。階級は少尉だぞ、曹長」
「ここは俺の船ですよ。なんなら、ずっと冷凍睡眠状態でも良いんですよ、少尉殿」
人を食ったようなことを言う。
長距離の宇宙空間での移動のための装置が、冷凍睡眠装置だが、これは過剰に用いると意識障害を起こすのだ。
慣れているのならともかく、陸軍上がりの俺にはハードルが高い。
「席をくれ」
「補助席へどうぞ」
こうして全球モニターの中にある操舵シートのすぐ横に、補助席がせり上がってきて、俺はそこに腰掛けた。
亜空間航法の最中は全球モニターは青空になり、タース曹長はシートをリクライニングさせ、くつろいでいる。補助席にリクライニングする機能はない。
しばらく俺がじっとしていると、ちらっとタース曹長がこちらを向いた。
「お部屋で休まれたらいかがです?」
「曹長はどうする?」
「これからがお楽しみです」
その言葉の直後、空間に小さなノイズ音が響き、モニターの一角に黒い窓が開いた。
音声のみの通信が繋がったのだ。しかも表示を見ると、超遠距離通信である。
「何をするのだ?」
「暇潰しですよ」
取りつく島もないタース曹長は、何かの呪文のようなことを言い出した。
それに応えるように音声が流れ、また船長が唱える。
鈍い俺でもさすがに気づいた。
それは三次元チェスの棋譜なのだ。この曹長は複雑極まる三次元チェスを、実際の盤も駒も使わず、その映像さえ見ずに、頭の中だけで指していることになる。
そうだとわかっても、信じられなかった。
俺も三次元チェスの知識はある。でもとてもそんな真似はできない。
反射的に周囲を確認したほどだ。どこかに盤と駒が表示されているかもしれなかった。
表示なんてない。
結局、タース曹長は二時間ほどそれをやり、相手が投了を宣言した。
驚きはまだ続く。なんと通信はそれで終わらず、タース曹長とどこにいるかもわからない対戦相手は、感想戦を始めたのだ。
いつ終わるかわからなかったそれが終わったのは、対局を始めて四時間ほどが過ぎた頃だった。この四時間で亜空間航法にかかる四時間半がほとんど消費されたことになる。
「宇宙旅行の一つの知恵ですな」
タース曹長がそんなことを言う。疲労の色は少しもない。
やっと俺はタース曹長のことを観察する余裕ができた。
体格はかなりいい。年齢は三十代後半だろうか。
「元は平民か?」
なんとなく、尋ねていた。タース曹長は肩をすくめる。
「輸送船の船長を貴族や華族がやるとも思えませんな」
その通りだな。
「少尉殿は、何故こんなところへ?」
逆に質問され、俺は無言を貫いた。
ただその無言もいつまでもは続かなかった。
その時はまだ良かった。亜空間航法を切り上げて、目的地に到着し、積んでいた鉱物燃料を下ろす。代わりの日用品の荷を積み込んだら、とんぼ返りになる。
ちなみに物資の積み下ろしはほとんど自動化されている。
また亜空間航法が始まり、五時間近い時間がぽっかりとできる。タース曹長が再びリクライニングさせたシートに横たわり、声だけで三次元チェスを始める。
四時間ほどはそうやって過ごし、少しの仮眠。亜空間航法が終わり、今度は日用品を下ろし、鉱物燃料を積み込む。
タース曹長は積み下ろしもきっちりと目視で確認し、仕事に真剣だった。
積み込みが終われば、また亜空間航法。三次元チェスが始まる。
タース曹長の律儀さは、きっちりと十四時間の仕事をしたら、八時間は眠るところに表れている。
正確には、彼が指揮する二隻の輸送船の乗員五名は、不測の事態に備えて、少しずつ時間をずらして、休息を取ることも仕事の一部のようにしているのだ。
俺だけがその中で異質で、慣れない環境で、なかなか眠れない日々が続いた。
そんな生活が、この三ヶ月、俺が送った生活だった。
極度の疲労と、長時間、限られた人間としか接しない状況に置かれて、無言や黙秘を続けるのは不可能だ。
自然と俺は自分がここに放り込まれた理由を、タース曹長に、途切れ途切れに話していた。
「酒はいけませんな」
そんな返事だった。
俺は少しずつ慣れてきたのか、タース曹長たちのリズムを飲み込めてきた。
このまま辛抱すれば、また陸軍に戻れるはずだ。
ただし、今の状況は誰にとっても予想外だっただろう。
反乱軍に拿捕されるなんてことは。
その時は、例によって鉱物燃料を大量に積んで、亜空間航法で移動していた。
すでに四時間が過ぎ、解除まで十分ほどだった。
俺は補助席に座って青空の下でうつらうつらし、タース曹長は用を足して戻ってきたところだ。その気配で俺は気を取り戻した。
操舵シートに座り、タース曹長が何かを操作している。
「どうした? 曹長」
「亜空間航法の解除空間に、妙な反応があります」
亜空間航法は厳密な計算のもとで起動される。下手をすると惑星に衝突したりするからだ。
もっと小さな障害物は、特殊なレーダーで確認するのが通例だ。
「妙とは?」
「いえ……消えましたな。解除しますよ」
ぐっとレバーを手前に引っ張ると、周囲の青空が消え、宇宙空間に切り替わった
何かが背後を通り過ぎた気がして、俺は勢いよく振り返った。タース曹長もそうした。
『聞こえるかね、帝国軍の諸君』
呼びかけはノイズまみれだったが、はっきり聞こえた。
すぐ後ろを、機動戦闘艇が飛んでいるのだ。
機体自体は古い。それだけで帝国軍の機動戦闘艇ではないのははっきりしている。
『答えなくてもいいが、まぁ、時間はたっぷりある』
その声と同時に周囲の映像にノイズが走り、無数のウインドウで埋め尽くされた。全部のモニターを高速で文字が流れていく。
「いかん!」
聞いたことのない、タース曹長の慌てた声。彼は手元のパネルを激しく操作するが、すぐに席から立ち上がった。通路へ行こうとしている。
俺にできたことは、眺めているだけだ。
何もわからなかった。
いや、わかっていることはある。
反乱軍の襲撃を受けた。
タース曹長は操舵室を出ることができなかった。通路とを隔てるドアが開かなかったのだ。
その間に、周囲のモニターは全部が元通りになっていた。
逆にそれが不気味に感じた。
『そちらさんは掌握したぜ』
声には全く乱れがなかった、ノイズが消えている。
掌握した、という言葉の意味がやっと理解できた。
次の瞬間、ぐんっと輸送船が進路を変え、どこかに向けて移動を再開する。すぐ横を機動戦闘艇が並んで飛んでいた。
「反乱軍の新兵器かい?」
操舵シートに戻ったタース曹長は冷静だった。俺は唖然としているだけ。
『そちらさんが操船を機械任せにするんでね、逆に都合がいい』
俺は改めて相手の機動戦闘艇を見た。
機体自体は古いが、一箇所だけ、ピカピカの装置がくっついている。小さなアンテナのようなものがあった。
「曹長、あのアンテナだ、あそこを破壊しろ」
俺が声をひそめて言ってみると、タース曹長が申し訳なさそうに言った。
「この船には武装がありません」
……信じられない。
『我々としては無抵抗な帝国軍兵士は進んで解放するから、安心したまえ』
「貴官の姓名と階級は? 所属も知りたい」
笑い混じりのそのタース曹長の発言は、ジョーク以外の何物でもなかった。
実際に相手も笑った。
『名前はリーだ。階級も所属も秘密だよ。そちらさんは?』
「タース曹長」
『そちらの若造は誰だ?』
どうやら向こうにはこちらの様子が筒抜けらしい。
「ローダィ少尉だ」
『少尉? 少尉がいるのに、曹長が船長か。帝国軍は頭がおかしいのか?』
俺の怒りは正当なものだろう。
どこから見ているか知らないが、胸を張って言い返した。
「俺は陸軍少尉だ」
『ますます、帝国軍の正気を疑うよ。まあ、いい。少尉、君もおとなしくしていてくれ』
こうして通信は切れた。
タース曹長は操船の権利を奪還しようとしたが、二時間ほどでそれを諦めた。
その間にも反乱軍は二隻の輸送船の亜空間航法を遠隔操作で起動していた。
三時間の跳躍の後、今、三十分ほど通常航行しているところだ。
『諸君、次の跳躍で、目的地だ。心してくれよ』
操舵室にリーの声が響く。タース曹長は何も言わなかった。
亜空間航法装置が起動し、周囲が真っ暗になり、青空に変わる。
「ちょっと良いかね、リーさんよ」
いつも通りにタース曹長はシートに横になった。
『さっさと寝たいが、何かな?』
「三次元チェスの心得はあるかな」
『うちの大佐を負かしたこともある。あんたらには大佐の実力はわからんだろうがね』
「一局、どうかな」
さすがのリーも黙った。俺だって何も言えなかった。
敵の基地に行くまさにこの時、敵とチェスとは。
恐れ入った。ええ、ええ、恐れ入りましたよ。
『ブラインドでか?』
リーという男も察しがいい。彼も宇宙船の船員でもしていたのかもしれない。
「そうだが、無理かな?」
『ブラインドで三次元チェスか。前はよくやったよ。久しぶりだが、良いだろう』
「亜空間航法の時間は?」
『二時間半だ。悪くないな。さっそくやるか』
どうやらリーは眠るのを取りやめたらしい。
俺はやることもなく、操舵室のシートに腰かけているしかない。
結局、三次元チェスは二時間でタース曹長が勝った。
『良い腕前だな、船長』
感心したようなリーの言葉に、シートを元に戻したタース曹長が応じる。
「図々しいが、私は反乱軍に加わりたいのだが、どうだろう?」
……嘘だろう?
何を言っているのか、全く理解できず、俺はタース曹長を見た。
至って平然とした、真面目な顔をしている。
『構わんよ』
リーも平然と応じている。まるで、「雨が降るらしいが傘がいるかな?」、「いると思うよ」みたいな感じだ。
『もちろん、ある程度は身の上を調べさせてもらうから、しばらくは留置所暮らしに近いが』
「良いさ。少尉はどうするね?」
こちらを見られても、困る。
俺はパクパクと口を開けたり閉じたりして、さぞ、間抜けに見えたことだろう。
裏切り者!
と、怒鳴ることもできた。
腰には小さな無反動拳銃がある。これを突きつけることもできた。
そうしなかったのは、ここで反乱軍の基地だかどこかに潜入し、情報を持って生還すれば英雄だ、などと考えたためだ。
英雄というのは言い過ぎかもしれないが、勲章はもらえるかもしれない。
「良いだろう、曹長。俺も従う」
こうして、事態はやや変化し始めた。
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