第9話

 遠目に見ても、その建物は古びていて、壊れていて、みすぼらしかった。

 屋根の上にはマズルカ教のシンボルがあるので、ここがセシリアが所属する教会で間違いないのだろう。

 教会は街に入ってすぐの、城壁近くに存在していた。


「これはまた、随分とくたびれちゃってるね」


 五千年前、マズルカ教は最大勢力を誇る宗教だったが、見る影もない状況だ。


「その、お見苦しいところで、申し訳ありません」

「マズルカってもしかしてマイナー?」

「はい……少なくともこの街にはここしかありません」


 この街はかなり大きく、十万人ほどが暮らしている。

 なので、一つしかない教会など無きに等しい状態だ。


「ちなみに最もメジャーなのは?」

「イグルド教ですね。イグルド神は、マズルカ神の化身ですのに、なぜこうも差ができてしまったのでしょうか……」


 だが、イグルド教徒に言わせれば、イグルド神こそが本体であり、マズルカはその化身ということになる。

 同じ神の別側面を信奉しているという認識はお互いにあるため表だっては争うことはないが、それぞれ我こそが正統だと主張しているのだった。


「あれ? だとするとホワイトローズのやつら、マズルカに改宗しろって言われて、意味わかってたのかな?」

「……改宗はわかったでしょうけど、マズルカ教ってなんだろう? と思われているかもしれませんね……」

「そんな知名度かー。悪いことしたかなー」


 そんな話をしながら教会に近づいて行くと、入り口あたりで何者かが騒いでいるのが見えてきた。


「で、あれは何やってんのかな?」

「……その、借金取りの方々です……」

「それで、ポータル壊して一儲けって思ったんだ。じゃあさっさと返しちゃえば?」

「その、おそらくあれだけでは足りないかと……換金してないのでわかりませんけど」

「ふむ」


 ニルマはちらりとザマーを見た。


「……もしかして僕を売って借金の足しに。とか考えてませんよね?」

「いや、でもマズルカ教徒としては助けてあげたいなって思うでしょ?」

「僕はマズルカ教徒ではありませんけどね!」

「じゃあ、セシリアはここにいてね」

「ニルマ様。どうするつもりなんですか?」

「私らが教会にいくぶんには、無関係の第三者だから問題ないかなって」

「……ただの勘ですけど、絶対問題になりますよね?」


 ニルマは入り口に近づいて行く。ザマーも実に嫌そうな顔をしながらついてきた。

 借金取りは三人。大柄な男と小柄な男と中背の男だ。

 彼らは、平身低頭の老婦人に絡んでいた。


「すみません。せめて裏口に回っていただけないでしょうか……。ここですと礼拝にこられる方に御迷惑が……」

「あぁ? 俺らが迷惑とはどういう了見だこらぁ!」

「迷惑かけてんのは金返さねぇてめぇだろ」

「裏口にいかせようってなめてんのか!」


 中背の男が兄貴分なのだろう。部下の二人に凄ませて、自分は高みの見物という様子だ。


「はーい、ちょっとどいてねー。中に入りたいからさ」


 教会の入り口にやってきたニルマは、騒いでいる男たちに声をかけた。


「なんだ、てめえ!」

「なんだって言われても、ここは教会なんだから一般信徒様が礼拝にやってきたんですけど」

「よそいけや、こら!」

「人の話聞いてた? 礼拝に来たって言ってんだけど?」

「嬢ちゃん。今、取り込み中なんだ」

「パジャマでのんきにやってきてんじゃねーぞ、こら!」

「そっちはそっちでお婆ちゃんとお話してればいいじゃん。私は中に入る。それだけのことでしょ?」

「ごちゃごちゃうっせえな!」


 大柄の男がニルマを突き飛ばした。

 ニルマはそれをあえて受け、よろめきながら後ずさった。


「ちょっとわざとらしくないですかね?」


 ザマーが呆れたように言う。


「あー、痛ったーい! か弱い私のたおやかな肩の骨が折れちゃったかもー。ってことで、慰謝料と治療代おいてけや」

「……どっちがヤクザかわかりませんね、これ……」

「んだとこらぁ!」

「で、金を払う気はないと。オッケー! じゃあこっからは売られた喧嘩を買うってことで!」

「ニルマ様。わかってるとは思いますが、殺しては駄目ですからね?」

「喧嘩うられたのに?」

「五千年前も、そんな無法は通らなかったですよ?」

「はーい。鋭意努力いたしまーす」

「……だめだ……僕の言うことなんてまるで聞いちゃいない……」


 借金取りたちは武器を手にしてはいないが、ジャケットの内に何かを隠し持っている。

 だが、小娘を相手に初手でそれを使ってくることはまずないだろう。

 ニルマが無造作に間合いを詰めると、先ほど突き飛ばしてきた大柄な男が殴りかかってきた。

 ニルマはそれを躱さなかった。

 顔面を狙う拳を額で受けたのだ。


「ぎゃああああああ!」


 男の拳は、簡単に砕けた。

 ニルマはただ、少し踏み込んで、少々首に力を込めただけだった。


「あー、拳の作り方がなってないなー。手は細かい骨の集合体だからさ。ちょっと気を抜くと簡単に壊れちゃうよ?」

「な、なんなんだよ、こいつ!? ま、まるで鉄の塊みてぇな……」


 拳が砕けた男はうずくまり、怯えた顔でニルマを見つめていた。

 小柄な男は、騒ぐことなく懐から短刀を取り出し、まっすぐに突き出した。

 実力は殴りかかってきた男よりも上だろう。だが、ニルマから見れば大差はない。

 ニルマは短刀を持った手を払いのけた。

 そのまま腕を絡め取り胸に肘を入れようとしたが、男の腕があり得ない方向へと折れ曲がったためニルマは次の手を出すのをやめた。


「ねえ。この時代の人間ってやっぱり脆すぎない?」

「ニルマ様。魔法とか使ってませんよね?」

「無茶苦茶手加減してるよ!? 刺繍をするときぐらいの繊細な力加減でさ!」

「……意外な趣味ですね……」

「昔っからガサツに思われて心外なんだよねぇ。お花とかかわいいものとか、大好きなのに」


 もう一人。

 残っている中背の男は両手を挙げた。


「かかってこないの?」

「俺は最初からそんなつもりはなかったが? 手下が何か勘違いしちまったようで、すまなかったな。礼拝するんだろ? 中に入るといい」

「そう」


 ニルマは掌を上にして、男に突き出した。


「慰謝料と治療代と迷惑料と感謝と誠意」


 男は懐から取り出した財布を、そのままニルマの掌に置いた。

 結構な厚みがある。

 この期に及んでケチくさいことはしないようだ。

 男は傷付いた手下を引き連れて帰っていった。無駄な抵抗はしないようで、その点ではニルマも助かった。

 まだ、本調子ではないので、手加減をあやまる可能性もあったからだ。

 今の法がどうなっているのかはわからないが、普通は街中で人を殺しておとがめなしとはいかないだろう。


「こんなやり方でいいんですかね……」

「売られた喧嘩を買っただけ。ま、この教会にお世話になってる状態だとこれじゃ駄目だろうから、根本原因から解決しないとね」


 詳細はわからないが、借金を踏み倒すわけにもいかない。

 どんな悪辣な契約であったとしても、納得して借りたのなら契約に則って返すべきだとニルマは思っている。


「うーん。通貨単位がわかんないから、どれぐらい入ってんのかわかんないな」


 財布にはかなりの紙幣が入っていた。


「お母さん! 大丈夫!?」

「セシリア……この方たちは、お知り合いなのかしら……?」


 あっけにとられていた老婦人が、セシリアがやってきたことで我を取り戻した。


「えーと……ニルマさんといって、聖女を自称なさっている方です」

「あ、そこの納得はいってないんですね。わかりますよ、その気持ちは」


 ザマーが頷いていた。

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