第25話「閃治郎、弁慶ノ立チ往生ニ困惑ス」

 目論見もくろみ通り、義経ヨシツネさそい出すことに成功した。

 拍子抜ひょうしぬけと思うほどに、あっけなく義経はこちらの計略に乗ってきた。閃治郎センジロウのような用心深い男でも、まさかと思うほどに綺麗に罠にはまったように見える。

 だが、それが違うと今は肌で感じられる。

 義経は、罠に入ってもやぶるだけの自信があって、この場にいるのだ。

 その理由である巨漢の守護神が、薙刀なぎなたを振るい上げてすさんだ。


「閃治郎殿っ! この拙僧せっそうが……武蔵坊弁慶ムサシボウベンケがお相手いたすっ!」


 祭と同時に開催された、天覧武芸祭てんらんぶげいさい……その熱狂と興奮を今、狂気が支配しようとしていた。そして、閃治郎の前にはこの場の雰囲気に似つかわしくない巨体がそびえ立っている。本来なら、理性と知性で場をとりなしてくれるであろう、信頼のおける人物に思えた男だ。

 弁慶は今、義経へと駆け寄ろうとした閃治郎のふさを塞いで立ちはだかる。


「弁慶殿っ! 道をゆずられよ! 貴殿きでん主君しゅくんは人の道をたがえた!」

「されど、主君は主君、我が主君! 殿とのが望む未来を掴むために、我は悪鬼羅刹あっきらせつとならん! それこそが、忠義のあかしなり!」

「ッ……貴殿の忠義、見事っ! しかしながら、道理もなく、正義もなし!」

「なくば作ろう! 作り上げよう! あらゆる全ては、勝者が世に残すものなり!」


 ブン! と巨大な刃が断頭台ギロチンのように落ちてきた。

 居合いあいに構えたまま、閃治郎は見切ってギリギリで避ける。俊敏さを凝縮したミリ単位の動きに、なびいた髪だけが凶刃に細切れになる。

 ギリギリで避けた閃治郎に対して、弁慶は最後薙刀を振り上げた。

 見れば、全く隙は見当たらない。

 目の前に今、完全無欠の仁王像におうぞう憤怒ふんぬ形相ぎょうそうを浮かべていた。

 それでも閃治郎は、居合の呼吸の合間に声を叫ぶ。


「この世になきものを作る、それは《えがた》得難い忠節! しかし……何故なぜ存在ないかを心得よ! それはこの世に不要な人の闇、人には負い切れぬごうではないのか!」


 閃治郎の放つ居合が、弁慶の薙刀を弾き返す。

 実力は互角、に見える。

 だが、完全に守りに入った弁慶の太刀筋は、用意に崩せるものではない。戦場においては、地理的な有利を得た守りに対して、攻め手は何倍もの力を要求されるのだ。

 自然と閃治郎も、弁慶を抜けぬ焦りに心がざわめく。

 ひとたび守勢に転じて守りを固めた弁慶は、まさに人の姿をした城だった。

 そして、その奥で義経と足利の戦いは白熱してゆく。


「へえ? 将軍? 征夷大将軍せいいたいしょうぐんなんだ」

「そうだよー? 君のお兄さん、源頼朝ミナモトノヨリトモと同じ征夷大将軍なんだな、これが」

「……ッ! 不愉快ですね」

「あら、そぉ? ……なら、斬るかい? 今まで惨殺してきた、罪なき者たちのように」


 弁慶と対峙しつつも、閃治郎は見た。

 義経は明らかに、苛立いらだちをつのらせている……目の前の足利に対して、それを隠そうともしない。対して、足利はいつもの自然体で、無防備に歩み寄っていく。


「ここは私と一対一、一騎討ち……どうだい? 義経君」

「いいでしょう。私も全身全霊をもって、お相手させていただきます」

「ありがとねん? でも、信用してないから……君は常に、常道を脱する。私たち武士、侍のなんたるかを無視し、踏みにじり、ないがしろにする。違うかい?」

「……当然です。己にかせを許したまま、誰が全力を震えるというのですか!」


 意外なことに、義経がわずかに表情をゆがめた。

 閃治郎にはそれが、酷く苦しげで悲しい顔に見えた。

 ほんの一瞬、僅かな間だったが、義経は足利の言葉を肯定した。あらがわず飲み込んだからこその悲哀、そして苦悶くもん……そういう雑多な感情が入り混じった、とても複雑な表情を見せた。

 だが、それもほんの少しだった。

 義経は普段通りの能面のうめんのような笑顔で、太刀を手に足利へと向き直る。


「じゃあ、始めましょうか……兄と同じ将軍。ああ、それはいい、とてもいい。殺そうと思える気持ちがっ! こんなにも、たぎるっ!」

「おおっと、怖いね……だが、ここで終わりにするよん?」

「ほざけっ! 私は戦い、戦い続けて、戦い抜ける……戦いで自分を埋め尽くす! それが満たされるということなんですよ!」


 義経の姿が、消えた。

 弁慶と戦う中、閃治郎には消えたように見えた。

 だが、違った。

 義経は抜き放った太刀を、全力で足利に叩き付けていた。その速さ、鋭さが閃治郎の目を置き去りにしたのだ。

 足利はさして驚いた様子もなく、腰の剣を抜いて鍔迫つばぜう。

 静と動、対局にある二人の激突は、パニックに陥った誰も彼もを振り返らせる。民は皆、この恐慌状態の中で、ぶつかり合う究極の力と技に言葉を失っていた。

 足利の泰然たいぜんとした揺るがぬ態度が、この場の混乱を納めてしまったのだ。

 足利と義経、二人は刃を交える中で周囲の空気を凍らせてゆく。あまりにも強い侍同士の戦いは、自然と見る者たちに恐怖も避難も忘れさせていた。


「やるじゃなーい、義経君。流石さすがは、源平合戦で最強の武将……ちょっちやばいかも」

「ふふ、軽口を叩くこの余裕……征夷大将軍なればこそのおごりか」

「いやいや、そんなことないよーん? ギリギリ限界、フルパワーなんですけど」

「ほう? それは手応えのない……ならば、死ねっ! 兄上と同じ将軍なぞ、死にさらせ! 殺してから壊して、壊し殺してくれるっ!」


 僅かに足利が押されているように見える。

 だが、閃治郎は目の前の弁慶だけで手一杯だ。一瞬でも気を抜けば、たちまち閃治郎の首は胴体とおさらばである。さりとて、無理を押しても勝てる相手ではない。

 目の前の弁慶が今、閃治郎には不撓不屈ふとうふくつ金剛力士像こんごうりきしぞうに見えた。

 だが、勝てぬから立ち向かわないという論理は、閃治郎には存在しない。


「押し通るっ! 弁慶殿っ、僕は、僕には! 貴方と戦う理由があるっ!」

「よう言うた! それでこそ新選組零番隊の勇士よ!」

「なっ……何故それを、貴方が。まさか、例の海軍提督の死に、貴方も関わっているのか」

「日ノ本一の侍よ、日ノ本最後の侍よ! さあ、かかってくるがいい!」


 自分の出自を弁慶が知っていることに、閃治郎は動揺した。だが、瞬時に気持ちを切り替える。動揺に揺れて緩む自分を、烈帛れっぱくの意思で奮い立たせる。

 だが、弁慶の太刀筋は言葉の何倍も雄弁だった。

 居合の術は一撃必殺、一度抜き放てば相手は無残に崩れ落ちる。逆を言えば、必殺の一撃を放つまでの間合いとタイミング、なによろ相手の攻撃に漬け込む必要がある。

 抜刀術ばっとうじゅつは、剣を抜くまでが勝負で、厳しい駆け引きの世界だ。

 それを乗り越え剣が鞘走さやばしれば……勝利は当然、相手が斬り伏せられることになる。

 だが、閃治郎は初めて経験していた。

 勝利への方程式が読めぬ、どこまでも続く刃と刃のぶつかり合いを。

 ここまで同等の武人と、閃治郎は初めて相対あいたいしていた。


「閃治郎っ! 我が乱撃、さばききれぬ、避けきれぬっ!」

「そんなことはっ!」

「では何故、貴殿の呼吸は乱れている? 抜き放つ居合は我に届かぬ? 答えは自ずと知れよう! すなわち、うぬは我よりも。弱い!」

「知った風な口を!」


 だが、事実だった。

 東西南北を守る四神、四体の幻獣の力を宿した奥義が弾かれた。青龍、玄武、朱雀、そして白虎……会得えとくした、天然理心流てんねんりしんりゅう零式ゼロしきの剣技が通用しなかった。

 驚きに動揺しながらも、油断なく閃治郎は剣を鞘へと戻して身構える。

 居合の太刀筋を読まれても、その更に裏、そして裏の裏を狙う。

 ここで負けるものかと思えたし、負けてはならないと感じた。

 負けてでも掴みたい明日が、閃治郎にはおぼろげながら見えていた。


「閃治郎とやら! 先日の一件もある、お主を斬りたくはない。せめて、お主が――」

「言葉は無用! 遠慮も無用にございますれば! 我らは互いに、主君や信念のために、刃を手に取り力を振るう! なれば、そこにやはり言葉は無用!」

「で、あったな。だが、拙僧は……俺は、ここでは死ねん。心せよ、我があるじは戦いのために戦いを呼ぶ修羅しゅら! なればこそ……悪鬼羅刹あっきらせつとなりてかかってくるがいい!」


 閃治郎は戦いの緊張感に焦れた。

 弁慶が立ち塞がる向こうでは、今まさに足利が義経と戦おうとしてる。義経は、人のソウルアーツを奪い取る力を持っている。それこそが恐らく、彼のソウルアーツなのだろう。

 だが、それに対して足利はあまりにも無防備に見えたのだった。

 だが、すぐに閃治郎は己の認識を改める光景を目にする。

 足利は両手を広げて、声高に己の力を叫んだ。


「では、行くよ……我がソウルアーツ! 『千本桜足利せんぼんざくらあしかが』!」


 周囲の空気が一変するのを、閃治郎も感じ取った。

 そして、舞台の中央に一本の太刀が浮かび上がる。そこに芽吹めぶいた新芽しんめのように、天を仰ぐ植物にも似た剣が生えてきた。

 すかさず義経が、地を蹴り舞台の上を疾駆する。


「足利将軍っ! それが貴方のソウルアーツか……貰い受けます!」


 舞台の床より生えてきた太刀の、そのつかを義経が駆け寄り握る。

 だが、抜けない……根を張り巡らせた樹木のように、ピクリともしない。そして、そんな義経を囲むように、数え切れぬ数の太刀が発芽した。まるで、春の朝を迎える植物のように、次々と剣があちことに生えた。その数は百をくだらず、無限に増え続ける。


「これぞ、『千本桜足利せんぼんざくらあしかが』……一本くらいならあげるけどね。だがっ! その代価として命、貰い受けるっ!」


 義経は、手にした太刀を床から引き抜こうとしている。

 だが、彼の握る剣はびくともしない。

 そして、駆け出す足利は難なく周囲の剣を抜いて手に取る。さながら、羽撃はばたく鳥が水面の海に飛沫しぶきをあげるがごとく……斬撃によって発する衝撃波を義経にぶつけながら、足利は無数の剣を抜いては振るい、捨てては振るった。

 あっという間に義経は破壊の激震に飲み込まれてゆく。

 舞台すら破壊しながら、あっと今に土煙つちけむりの中に狂気の武者は消えていった。

 足利は並ぶ剣の数だけ、義経を容赦なく斬り刻んで、沈黙させたのだった。


「ふう、まあ……こんなものでしょう。されど、油断めさるな。この地にエインヘリアルとして招かれながら、座につくことを拒んだ者……なにもかもが前例のないことです。殺すつもりで戦いましたが、もし生きてるのなら――」


 だが、足利の心配を他所に義経は立ち上がった。その側に、閃治郎を蹴飛ばすなり弁慶が駆け寄る。

 そしてその時、閃治郎は耳を疑うような言葉に絶句した。


「あいたた……やられたなあ。でも、今の一撃で殺せなかったね? なら、私は足利とやらのソウルアーツをいただいたよ。それと、弁慶の仕事の陽動にもなりました」

「しかし、殿との。この弁慶、仮にも源氏げんじの家臣ともあろう自分が、あんな――」

「おやおや、なにを言うんですか……弁慶。貴方は源氏の手駒てごまではなく、私の手駒でしょう? 勘違いしてるのなら、今すぐに目を覚ましなさい。私の意思は今まさに、ここに具現化してるのですから」


 それだけ言うと、義経の姿は消えた。

 空中で義経は、将門から奪った力で軍馬を呼ぶと、それにまたがり去ってゆく。

 そして……追おうとした足利は、空への道を塞ぐ弁慶の刃によって、引き下がる。間一髪で避けたと思われた足利は、次の瞬間には血を吐いて倒れた。

 立ち去る弁慶の最後の一撃は、狙い違わず足利に深い一撃を刻んでいたのだった。

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