第93話 萌絵の弱点(萌絵5泊目)

 萌絵が作った野菜炒めをご馳走になり、食器などの片づけを終えて、お互いにシャワーも浴び終え、今は二つの布団を敷いて、萌絵と他愛もない話をしていた。


 話が途切れたところで、ふとテレビの後ろの壁にある掛け時計を見ると、時刻は夜の12時を回ろうとしていた。


 萌絵が俺の視線に気が付き、時計をチラっと見た後、再び俺の方へと向き直る。


「そろそろ寝よっか」

「おう、そうだな」


 俺と萌絵は、そう頷き合い、寝る準備を始めた。

 歯を磨き、トイレを済ませて自分の布団の中へと入る。遅れて萌絵も俺に続くように、来客用のもう一つの布団の中へと入った。


「じゃあ、お休み」

「うん、お休み」


 お互いに一言言葉を交わして、萌絵は寝っ転がった。

 俺は目覚ましのタイマーをセットして、机に置いてある電気のリモコンに手を伸ばして取り上げ、枕元に持ってきて寝っ転がってからポチっと消灯ボタンを押した。

 部屋が一気に真っ暗となり、深夜の静けさがやってきた。


 俺はゆっくりと毛布の中に体を肩の辺りまで入れて、萌絵の方を向いて横になった。

 微かに暗闇の中で確認できる萌絵のシュルエットを見る限り、どうやら俺とは反対側を向いているようだ。


 俺はしばらく目を開けたまま、呼吸をしながら萌絵の方をボケっと眺めて眠気がやってくるのを待っていた。

 すると、萌絵がモソモソと動き出して寝がえりを打ったかと思えば、こちらを向いて俺を見つめてきた。

 先ほどよりも暗闇に目が慣れ、はっきりと萌絵の顔の表情が伺えるようになっていた。

 萌絵も同じように、俺の顔の表情が見えているようで、じぃっとお互いに見つめ合う。


「ねぇ、大地くん」


 すると、萌絵が声を掛けてきた。


「ん? 何?」


 問い返すと、表情一つ変えずに萌絵は言い放った。


「そっち行ってもいい?」

「えっ……」


 俺はこの時、正直混乱していた。前回は萌絵が色々と気持ちの整理がついているかどうかあまり分からない状態の時に言われたので、一時の感情に流された結果、俺の布団に入って来たと思っていた。だが、今回の萌絵は至って正常な状態だ。全く感情的でもなく、自己判断が出来るにもかかわらず「俺の布団に入っていいか?」と聞いてきたのだ。


 どうしようかと悩んでいたが、チラっと萌絵の方を再び見ると、萌絵の表情は真剣そのもので、むしろ前回の時よりも何か物欲しそうな感じにも見えた。


「ダメ……かな……?」


 横になりながらキョトンとして首を傾げて萌絵が聞いてくる。あぁ~!もうだからその甘えたような声で聞いてくるの反則だってば!


「はぁ~」


 俺はわざと萌絵に聞こえるような大きなため息をついた後、諦めたようにボソっと言い放った。


「いいよ、来いよ」

「うん、ありがとう」


 俺が許可を出すと、萌絵は体を一度起き上がらせ、自分が寝ていた布団から出ると、そのまま四足歩行で俺の方へと近づいてきた。


 それを見て、俺は萌絵側の毛布を捲り、萌絵が入るスペースを開けるため、身体を後ろにずらす。


「ありがと、お邪魔します」


 萌絵はゆっくりと俺が捲った布団を掴んで、足の方から順にゆっくりと身体を入れてきた。

 俺は萌絵が布団に入ってくるのを途中まで見届けて、そのまま仰向けになり萌絵の姿を見ないようにした。正直今日の萌絵を近くでまじまじと見てしまうと、俺が色々と耐えられない、そんな気がしたからだ。今だって、隣にいるであろう萌絵の熱気や気配を感じているだけで、緊張してドクンドクンと胸の鼓動が高まっているのを感じている。


「ねぇ……大地くん」

「なっ、何?」

「こっち向いて」


 しかし、俺の希望とは裏腹に、萌絵からそう要求される。

 俺は一瞬ためらったものの、一度息を吐いてから萌絵の方をゆっくりと向いた。

 すると、萌絵は先ほどの真剣な表情とは打って変わって、落ち着きのない様子で目を泳がせてアワアワとしていた。


「そのさ……」


 何かを言おうとしているみたいだが、萌絵は切羽詰まった感じである。先ほどまでの、余裕さえ感じられた姿はどこへ行ってしまったのやら……

 そんなことを思っていると、萌絵が覚悟を決めたように、俺の方を真っ直ぐ見つめた。


「その! この間みたいにギュっと私のこと抱き占めてくれない……かな?」


 最初は勢いがあったが、最後は恥じらったのか、ボゾボゾと聞き取れるか聞き取れないかくらいの声に沈んでしまっていた。


 俺はその萌絵のお願いに対してどうしようかと考えた。今日の萌絵を抱きしめてしまうと、色々と我慢できる自信がなかった。今でさえ、身体全体がボワッと熱くなっていくのを自分でも感じているのだから。


「なんか言ってよ……」


 不安そうに見つめる萌絵に対して、俺は何か言わなければと頭を働かせたものの、何も思い浮かばない。ええい! もうこうなったら適当に言っちゃえ!


「ううううん……ええで」


 最終的にどもった上に、関西弁みたいな言い方になってしまった。


「何で関西弁?」

「いいから、ほら。とっとと、こっち来いよ!」


 萌絵に華麗に突っ込まれたが、恥ずかしかったので、さっさと事を済ませるため、萌絵を催促する。


「まあ、いいやありがと!」


 そう言いつつ、萌絵は俺の方へと近づいてきて、俺の肩の辺りに顔を置いてきた。

 俺はそんな萌絵を迎え入れて両腕を背中に回して抱きしめる。

 柔らかい萌絵の身体の感触と温かいぬくもりが直に伝わってきて、萌絵の髪からはシャンプーの香りと萌絵の甘くていい香りが鼻を刺激する。

 ドクンドクンと鼓動がなっているのを、萌絵に気づかれないようにしながらも、さらに抱きしめる力を強める。


「んん~……」


 すると、萌絵から甘い吐息が漏れてきた。

 ああぁぁもう! そういう声出すの禁止!


 俺は胸の奥底から込み上げてくる何かを必死に抑えながら、今度は萌絵の頭を片方の手で押さえこみ、俺の肩に寄せた。


「んっ……」


 今度は心地よさそうな声を出したので、少しほっとして、息を小さく吐いた瞬間!


「あぁっ……!」


 ブルブルっと、身体を震わせて、萌絵が色っぽい声を発した。

 俺は突然の出来事に驚き、心配して声を掛けた。


「萌絵……大丈夫?」

「あっ! はうっっ……!!」


 しかし、俺の問いかけに対しても、再びビクビクと身体を震わせたままだ。

 俺の腕の中で息を荒げている萌絵を一旦落ち着かせるため、何も言わずに待っていると、ようやく萌絵が言葉を発した。


「大地くん……ダメェェ……!」

「何が?」

「あっ……それぇぇ~もっとぉぉ……」

「え? どっち?」

「あっ……耳……」

「耳?」


 俺は自分の口元を確認すると、確かにそこには萌絵の耳があった。

 どういうことだろうと考えていると、はっ!と思いだす。

 それは、俺が愛梨さんにやられた、耳に息を吹きかけられたあの場面を。

 俺も愛梨さんに息を吹きかけられて、甘美的な声を出して身体をビクビクさせながら悶絶していたことを思いだした。もしかして……


 俺は少し耳元から口を離して、息がかからないようにして萌絵に尋ねた。


「もしかして……耳弱いの?」

「うん、うん」


 萌絵は二回ほど大きく頷いた。

 そんな萌絵の姿を見ていて、とても可愛らしくて、俺の手の中で支配しているようなそんな気分にさせられた。

 俺はフフっと鼻で息を吐き、ニコっと口角を上げ、再び萌絵の耳元へ口を近づける。


「じゃあ、もっと耳に息吹きかけてほしい?」

「あぁぁ……うん……もっとしてぇぇ~」


 俺に頭を抱えられながら、おねだりをしてくる萌絵の姿を見て、もう我慢できなかった。

 俺は萌絵の耳を重点的に責め立てる。


「あっ、あ……あぁっ~! それぇ……それっ……ダメェ~あっ、あぁ~!!」


 こうして俺は満足するまで萌絵に息を吹きかけ続けた。



 ◇



 ピピピ、ピピピ


「……んんっ~」


 朝、目覚ましの音が鳴り、腕を伸ばして目覚ましのアラームを止めた。

 フゥっと、息を吐いてから目を開けると、眼下にはスヤスヤと寝息を立てて眠っている萌絵の姿があった。

 頭が冴え始め、はっ!っとなって俺は思わず萌絵の身体から少し離れる。

 そうだ! 昨日萌絵の新たな一面を発見してしまって、それからというもの……

 俺が満足してそのまま眠ってしまったのをすっかり忘れていた。


 萌絵の様子も気にせず好き放題やってしまったから、起きたら萌絵に怒られるんだろうな……

 そんなことを思っていると、モゾモゾと身体を動かして、萌絵が俺の身体へと再び近づいてきた。

 そして、コツンと頭が俺の胸に当たったところで、萌絵が目を覚ました。


「おはよ、萌絵」


 俺が声を掛けると、萌絵は俺の胸の辺りをしばらくボンヤリと見ていたが、咄嗟に状況を理解したのか、ビクっとなって俺の服を掴みそのまま顔を胸に埋めてしまう。


「萌絵?」

「待って! 今恥ずかしいから……」


 恐らく昨日の出来事を思いだしてしまったのであろう。表情を見せたくないらしい。

 俺はそんな萌絵の姿も可愛らしくて仕方がなく、ついつい腕を回して頭をポンポンと撫でてしまう。

 そして、わざと顔を萌絵の耳元に近づける。


「大丈夫? ふぅ~」

「あっ……もう! バカァ……」


 悶絶しつつ、嫌そうに顔を揺らして俺の魔の手から離れた。

 ようやく窺うことが出来た萌絵の表情は、真っ赤に顔を染めて、恥ずかしそうにしつつも、どこか満更でもない。そんな表情をしていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る