第26話 突然の・・・(萌絵1泊目)

 木曜日、今日は授業の後、明日提出の課題を大学で終わらせたため、帰りがかなり遅くなってしまった。

 最寄りの駅に到着した時には、時刻は既に夜の10時を回っていた。

 課題を終えて健太達と夕食を食べることにしたのだが、頼んだメニューが中々来なくて、30分も待たされてしまい、結果こんなに遅い時間になってしまったのだ。

 明日も朝早いのになぁ……思わずため息が零れる。

 

 すると、後ろの方から一台の自転車が近づいてくる音が聞こえた。


「やっほ、南くん!」


 夜道で思いっきり背中を叩かれて、俺は飛び跳ねて驚きながら、体ごと振り向いた。

 そこには、自転車にまたがって、黄色いリュックサックを背負った吉川さんがいた。


「おわっと、びっくりした……なんだ吉川さんか」


 心臓の鼓動が一気に早くなり、身体全身に血流がドバァっと流れている感覚が伝わる。


「ごめん、驚かせちゃった?」


 吉川さんが悪気のない笑みを浮かべながら尋ねてきた。


「夜道でいきなり自転車で近づかれたら、そりゃ驚きますって」


 俺はため息をついてから、ようやく肩の力を抜いた。


「あはは……ごめんごめん」


 頭を掻きながら、吉川さんはケラケラと笑っていた。


「それで、こんな遅い時間までどうしたの? 今帰宅?」

「はい、大学で明日提出の課題やってたら遅くなって」

「そうなんだ」

「吉川さんはバイト終わりですか?」

「そうそう、10時上がりで今帰ろうとしてたところ。そしたら、見たことある後姿を見つけたから」


 吉川さんがにこにこしながら俺の疑問に答えた。


「そうだったんですね。家こっちの方なんですか?」

「うん、ここの道もう少し進んで左に曲がったところ。」

「そうなんですね、じゃあ、結構近いですね」

「本当に? じゃあ、途中まで一緒に帰ろうよ」


 吉川さんは自転車のサドルから降りて、俺の横へ並び一緒に歩く体制に入った。


「はい、いいですけど、時間大丈夫ですか?」

「え? あぁ、うん、全然平気だよ。むしろ、この時間帯は男の子が一緒にいてくれた方が心強いし!」

 

 可愛らしい小さな顔を傾けてニコっと上目づかいで見てきた、一瞬ドキっとしてしまう。さらには、胸元の緩いトレーナーを身につけていたので、胸元が見えそうになっていた。

 俺はとっさに目線を逸らして、一度咳こんでから歩き出す。

 吉川さんもニコニコとしながら、一緒に隣に並んで自転車を手で押して歩き出した。



 ◇



 しばし無言で、二人とも会話をすることなく歩いていると、スマホのバイブレーションが鳴った。


「ちょっとごめんね」


 吉川さんは足を止め、ポケットからスマホを取りだした。スマホの画面を開いて届いたメッセージを見た瞬間、吉川さん表情が一気に暗くなった。


 吉川さんはスマホの画面を閉じて、大きなため息をついた。そして、俺の方に改めて向き直る。


「ごめん、親に今日は帰ってくるな。って言われちゃった。折角一緒に帰ろって誘ったのにごめんね」


 吉川さんは申し訳なさそうに俺に謝ってきた。


「帰ってくるなって、自分の家なのにどういうことですか?」


 ついつい気になって質問した。


「いつもこんな感じなのよ。父親がいない木曜日に、いつも母親が他の男の人家に連れ込んで、私は外で待機。まあ、もう慣れたんだけどね」

 

 吉川さんは自転車に再び跨りながら話してくれた。その表情はどこか遠くを見ているかのようだった。


「吉川さんはこれからどうするんですか?」

「ん? うーん、まあ友達に連絡して泊めてもらうか。最悪満喫で一泊かなぁ……」

 

 吉川さんの口元の笑っていない、悲しそうな表情を見て俺は、


「あの……よかったらうちに泊まっていきませんか?」

 

 と、気が付いた時にはそう口走っていた。


 吉川さんはポカンと口を開けて驚きの表情を浮かべていた。

 俺は自分が口走ったことを思い返してはっ!っと我に返り、とっさに言い訳をした。


「あ、いや。吉川さんが嫌なら別に断っていいですし。その俺たちほとんどプライベートなこと知らないのにこんなこと言っちゃってごめんなさいというか」

「いいの?」

「そうですよね、いいのってことは、うちに泊まって……え?」

 

 俺は我に返って吉川さんを見る。

 吉川さんは頬を少し赤らめながら、期待のこもった表情をしていた。


「泊めてくれるの……?」


 目をうるうるとさせながら、羨望の眼差しで見つめてきた吉川さんを見て、俺は。


「は、はい……」


 と答えることしか出来なかった。



 ◇



 こうして、アパートの前に到着して玄関のドアを開けた。


「どうぞ、何もないですけど」

「お、お邪魔します」


 ペコペコとしながら吉川さんは、恐る恐る玄関へ足を踏み入れた。

 俺は部屋の明かりをつけて、吉川さんを迎え入れた。


「適当に荷物置いちゃってください」

「うん、ありがとう……」


 吉川さんは脱いだ靴を綺麗に並べてから、机の方へ向かってきた。

 キョロキョロと眺めながら「ほえー」っと声を出していた。


「その……狭くて申し訳ないですが」

「いやいや、泊めてくれるだけも本当に感謝というかなんというか……本当にありがとう!」


 深々と吉川さんは俺に向かって頭を下げた。


「まあ、色々事情があるみたいですし、別にいいですよ。とりあえず、先にシャワー浴びてくるので、テレビとか見てて時間潰しててください」

「あ、うん。わかった」


 そう言い残して、俺はお風呂場へと向かった。



 ◇



 シャワーを浴びて部屋へ戻ると、吉川さんは荷物を整理しているところだった。

 黄色いリュックサックの中には、寝巻きや歯ブラシなどの泊り用具がすでに入っていたようで、机の上に並べられている。どうやら、いつでも宿泊できるように準備をしていたらしい。


「上がったので、次どうぞ」

「あぁ、ごめんね。ありがとう」


 吉川さんは寝間着を持って立ち上がり、シャワーの方へ向かって行く。


 俺は吉川さんがシャワーを浴びている間に、来客用の布団と自分の布団を敷いて、就寝の準備を整えた。



 ◇



 しばらくすると、オレンジ色のバスタオルで髪を拭きながら吉川さんがお風呂から出てきた。


「お風呂ありがとう!」

「いえいえ。狭くてすいま……せ……」


 俺は吉川さんを見て驚いた。化粧を落としてすっぴんになった吉川さんは、いつもの大人の雰囲気は微塵もなく。小顔の丸い顔に綺麗な鼻筋に、唇がプリっとした可愛らしい顔だちへと変貌を遂げていた。今まで見た中で一番変化が大きいかもしれなかった。


「いやいや、全然平気平気!ってどうしたの?そんな驚いた顔して?」

 

 あどけない表情で吉川さんがキョトンと俺を見ていた。その表情からは俺よりも年上の女性とは到底思えなかった。


「あの、大変失礼なこと聞いたら申し訳ないんですけど」


 俺は敬語になりながら恐る恐る質問をしてみた。


「吉川さんっていくつなんですか?」


 俺が質問をすると吉川さんは「あ~」と声を漏らした。


「えっとね、18」

「え!? 18!? 同い年?」

「あ、もしかして年上だと思ってた?」


 吉川さんはにやりとした表情を浮かべながら髪の毛を拭いていた。


「いやだって、ドラックストアで会った時はすごい大人びてて、てっきり年上かと……」

「あはは、よく言われるんだよね。私大人っぽいメイクしてるから年相応にみられなくてさ」


 髪の毛をぐしゃぐしゃとタオルで乾かしながら、吉川さんはのんきにそう言った。だが、困ったぞ。


「ということは……俺はどう喋れば……」

「普通にため口でいいよ! それに、吉川さんって他人行儀な呼び方も辞めてさ、フランクな感じでいいって!」


 髪を乾かし終えて、バスタオルを首に巻いて、ニコニコしながら吉川さんは言ってきた。


「え、じゃあ。吉川?」

「ぶっ、なんで疑問形なの?」


 俺の呼び方がおかしかったのか、クスクスと笑われた。


「普通に萌絵でいいよ。私も大地って呼ぶし」


 仲のいい友達と喋っているかのような感覚で、吉川さんはフランクな口調で俺を呼んだ。


「わかった。じゃあ、改めてよろしく。萌絵」

「うん、よろしくね、大地!」


 あどけなさが残る表情で、ニコっと笑った彼女は、どこか優しさに包まれるような、そんな笑顔だった。


 こうして、同い年だとわかった萌絵と友達のようにすぐに仲良くなっていき、何事もなく萌絵は俺の部屋に泊まって帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る