第20話 特別

 金曜日、3限の授業を終え、5限の授業までの空きコマの時間潰しの場所を探していた。

 俺以外の3人は授業が3限までで、既に帰宅していた。残念ながら俺は、5限に外国語の必修が入っていた。履修している外国語が違うのだ。だから、この空きコマ時間、一人待ちぼうけを食らっていた。

 だが、次の外国語の時間に小テストあったのを思い出したので、大学内に併設しているカフェスペースへと向かい、そこで小テストの勉強をすることにした。

 カフェスペースには、カラフルなイスや机が並べられており、真ん中にコーヒーや紅茶などを販売しているスペースがあり、誰でも使うことが出来る共有スペースとなっていた。日当たりもよく、傾き始めた西日がガラス窓から差し込んで、午後のひとときを演出していた。

 俺は、そのカフェスペースの窓際から少し離れた二人用の机のイスにリュックを置いて、もう片側に腰かけた。


 今の時間帯は、次の授業までの時間を弄ぶ学生たちが半分くらいおり、おしゃべりしたり、本と読んだりと各々の時間を満喫しているようだった。


 俺は早速外国語の授業の教科書を取りだして、小テストの対策を始めた。

 勉強を開始して、20分くらいが経過した頃だろうか。黙々と机に向かって勉強していた俺の視界の端に、俺の方を向いている二本の足があるのに気が付く。

 

 顔を上げてその二本の足の人物を確認すると、そこにはもの珍しそうに外国語の教科書を覗き込んでいる愛梨さんの姿があった。


「へぇ、大地くんの学部ってこんなことも勉強しなきゃいけないんだ、大変だね」

「愛梨さん!? な、何してるんですか」

「やっほー大地くん。暇だからココ座っていい?」


 愛梨さんは、天使のようなあどけなさが残る笑顔を俺に向けながら、リュックが置かれているイスを指さしながら尋ねてきた。


「あぁ、いいですよ」


 俺は荷物をイスの上からどかして、愛梨さんが座るスペースを作ってあげる。

 「ありがとう」と、お礼をいいながら、愛梨さんは俺の向かい側の椅子に座った。


「ごめんね、急に。大地くんが真剣な表情で勉強してたから、何してんのかなってつい気になっちゃって。ごめん、もしかして勉強の邪魔だった?」

「いや、この後の授業の小テスト対策してただけなんで、別に構わないですよ。それに、ちょうど切りもいいところだったので」

「そう? それならよかった。あ、そうそう、今日活動日だけど大地君は来るのかな?」


 活動日というのは、先週俺が新歓に行った『FC RED STAR』の活動日のことである。


「はい、授業が終わったら行く予定でしたけど……」

「そっか、健太くんと?」

「あ、いやっ、あいつは結局サークルには入らないみたいです」

「えぇーどうして?」

「ちょっと雰囲気が合わなかったみたいです……まあ、あいつは漫才研究会の方入るみたいなんで」

「そっかぁ、いい子だったのに残念だなぁ」


 愛梨さんは、両手で肘杖をつきながら、残念そうな表情を浮かべていた。


「まあ、でも仕方ないか、本人の意思が一番大事だもんね!」


 愛梨さんは、両手から顔を離して姿勢を正し、手を机の上に置いた。


「じゃあ、今日授業終わったら一緒にサークルいかない? 私この後授業なくて暇だから、ここで待っててあげる」

 

 愛梨さんからそんな提案をしてきた。俺は少々驚いた表情をしながらも、小声で答える。


「いいですけど……」

「おっけい! それじゃあ、待ってるね」


 愛梨さんは可愛らしいウインクをして見せた。その仕草に、俺はまたも視線が釘付けになってしまうのであった。



 ◇ 



 外国語の授業中も、愛梨さんが俺と一緒に行こうと誘ってくれたことについて、色々と考えていた。ただ、偶然俺を見かけたから誘ってくれたのだろうか? ふと新歓の時に冨澤先輩に言われたことを思い出す。


「愛梨先輩は気を付けたほうがいいぞ。噂によるとサラリーマンの彼氏がいるとか、他のサークルの男子とラブホに行ってやりまくってるとか、謎が多い人だから」


 そんな言葉を思い出して、今日の行動に当てはめてみる。俺以外の人にもこうやって見境なく声を掛けて、一緒に活動に行こうとか誘っているのだろうか……俺はより深まる愛梨先輩の真実が気になり、授業に全く集中できなかった。


 

 ◇



 5限が終了を告げるチャイムが鳴り、先生が号令をして教室から出ていく。

 俺は教科書などをリュックにしまい、教室を後にして、先ほどのカフェスペースへと向かった。


 カフェスペースに到着すると、まばらに残っている生徒たちの中に、スポーツウェア姿の愛梨さんを発見した。

 俺はそんな愛梨さんの元へ、小走りで向かう。


「すいません、遅くなっちゃって」


 愛梨さんがこちらを向いてニコっと微笑んだ。黒のウェアに身をまとい、髪を後ろに結びポニーテールにしている愛梨さんを見て、思わず見とれてしまう。


「おう、来たね! じゃ、早速向かおうか!」


 愛梨さんは、立ち上がって机においてあった荷物を手に持って、活動が行われる、大学近くの中学校へ向かって、一緒に歩き出した。



 ◇


 

 歩いている間、俺はまた冨澤先輩が言っていた噂話を頭の中で思い出していた。愛梨さんに直接聞いてみてもいいのだろうか? いや、でもなぁ……そんなことを考えていたらふいに愛梨さんが首を傾げて口を開く。


「どうかしたの? そんなに真剣な表情で何か考え込んでるけど」

「え? あ、いや……」

「なになに? なんかあった?」


 俺が口ごもったような返答をすると、愛梨さんは、興味津々といったように身体を傾けて、俺の顔を覗き込んでくる。俺はその視線を逸らして、しばし俯いて黙り込んでいたが、意を決して愛梨さんの方を振り向いて話を切り出した。


「その……愛梨さんって他の人にもこうやって一緒に行こうとか誘ったりするんですか?」

「え? 何、急に」


 俺の唐突な質問に対して、愛梨さんはキョトンとした表情を浮かべる。


「いや、その……他の人から聞いた噂なんですけど、愛梨さん社会人の彼氏がいるとか、他のサークルの人たぶらかしてるって言う噂聞いて……」


 俺は段々と心細い声になっていき、弱弱しい感じの返答になってしまう。


「あぁ~そのこと……か。大地くんも聞いちゃったんだ」

「はい、風の噂で……すいません」

「いやいや、いずれ大地くんにもバレちゃうんだろうなぁーとは思ってたから、別にいいんだけど、こんなに早く聞かれるとは、ちょっと予想外だったかな……」


 愛梨さんは哀愁漂う表情を見せていた。そして、一息ため息をついて再び俺の方へ顔を向ける。


「ちょいちょい」


 愛梨さんは、俺に手招きをしてきた。どうやら大きな声では話せないことらしい。

 俺は、おそるおそる愛梨さんの口元へ耳を近づけた。


「実はね……その噂……私が流したデマなの」

「え?」


 俺は愛梨さんの口もとから離れて、驚いた表情で愛梨さんを見つめた。

 愛梨さんは罰が悪そうな表情で、愛想笑いをして見せ、首に手をやりながら口を開いた。


「いやぁ、そのね、大学入ってからいろいろな人にアプローチされちゃってさ。それで私も面倒くさくなってきちゃって、そしたら『彼氏作っちゃえばアプローチもなくなるよ』って友達に言われたの。でも、私だって適当に彼氏は作りたくないし、普通の恋愛がしたいから、『社会人の彼氏が出来た』って他の人に嘘付いたの。そしたらその噂が一気に広まったって感じかな」

「じゃあ、他のサークルの人をたぶらかしてるって言うのは?」

「あぁ、それは私が他の人に、結構愛想よくいつも振るまっちゃうから、『社会人の彼氏がいるくせに』っていう周りの女の子たちからの反感を買っちゃって、噂に上乗せされたみたい」

「なるほど、そういうことだったんですね」


 俺は顎に手を当てながら納得したような表情を見せた。


「あと、このことはサークルの人にも本当のこと言ったことないから。私たちだけの秘密ね」


 愛梨さんは、俺の部屋で見せたあの時と同じく、可愛らしくペロっと舌を出してウインクをしてきた。


「分かりました」


 俺はその可愛さに圧倒されながら頷きを返した。だが、ここで一つ疑問が生まれる。


「どうして俺にだけ本当のことを教えてくれたんですか?」

「え? それは……だって……」


 愛梨さんは俯きながら顔を右往左往しながら困っていた。しばし経って、再び手招きをしてきたので、再び愛梨さんの口元に耳を近づける。


「大地くんのことがだからよ」


 今度は、先ほどよりもさらに耳元の近くで、吐息が聞こえるほどの距離で甘い声を出してそう言った。


「え? それってどういうことですか?」


 俺は、ポカンとした表情を浮かべながら、愛梨さんに聞き返す。


「さぁ、どういうことでしょう?」


 愛梨さんは、あっけらかんとした表情で、トコトコと先を歩いてくのだった。


 俺は、中学校に着くまでずっと、今度は「」という意味について悶々と考る羽目になった。



 しかし、俺はこの時はまだ気付いていなかったのだ。春香や詩織が言っていたように、中村愛梨という女性の本性を……

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