第18話 妹という概念が存在しない退屈な世界
俺たち二人は叫び声を出すこともなくただただその場に立ち尽くしていた。
パンツを被った上裸の灰咲の姿は何故だか美しく、綺麗だった。
俺は見入って、思わず見つめてしまう。
見ていると心が満たされていくような、そんな感覚にも陥った。
どれくらい見ていたのだろうか。
たった数秒かもしれないし、五分とかそんなだった気もする。
ハッ、と我に返り、お互いがお互いの頭の中を疑問符で埋め尽くす。
鍵をかけていたはずなのに、どうしてこいつは部屋の中に居るんだ?
そして、なぜ頭にパンツを被ってるんだ。
灰咲が立って居るのは七罪が私物をまとめていた場所。
つまりあのパンツは────
いやいやいや、そんな訳ないよな。
俺の中で灰咲は自分のパンツを頭に被って興奮する特殊性癖の持ち主という結論に至った。
と言うかこれってどっちが加害者……?
やばいところを覗いちゃった俺?
それともパンツ被ってる灰咲……?
いやどう考えても後者の方が変態度は勝ってるだろ。
と、とにかく、どうする………。
何も見なかったことにしてスマホだけ持って教室から出るか……。
そうしよう。
そう、頭にパンツを被った上に上半身が裸の灰咲の姿なんて見ていない。
俺は彼女の姿をなるべく視界に入れないように、そーっとスマホを置き忘れた机の中に手を伸ばす。
何も僕は見てませんよー。このまま帰りますから、安心してくださいねー。
するとずっと氷のように固まっていた灰咲が動いた。ブレザーを羽織り、そして────
こっちに向かってきた。
俺は「ひゅっ……」と変な声を発する。
灰咲は俺を押し倒して馬乗りになり、口を抑えた。
ブレザーしか羽織っていないため、胸が見えるようで見えないというか、見えないようで見えるみたいな、そんな感じになっていた。
そこそここいつ胸が大きいからなんか変な気持ちになりそう……ってんなわけあるか。七罪しか俺は好きじゃないんだよ。
「こ、これは違うのよ……!」
灰咲は妖艶に口を開いた。頭にパンツさえ被っていなければ色っぽく見えただろう。
灰咲の身体は震えていた。
殺意の篭もった眼光は見る影もなく、そこにいるのはただのパンツを被った、か弱い少女だった。
「………そ、そう、あの、な、何でも言うこと聞いてあげるから、その……」
俺は自分の持てる最大限の力を引き出して俺の口を抑える手を払い除けた。
「………あ、あのな、ちょっと話を聞け」
俺は跨られたまま灰咲を見つめた。
「何やってたのか知らないが、お前のことを言いふらす気は全くないから安心しろ。言う相手がいないしな。それに俺は七罪しか眼中に無いからお前に命令もしない」
「それよ………」
灰咲は俺の腹の上に乗っかったまま話を続ける。
「あなたはあんなに可愛い妹がいて……。お昼にあなたを迎えに来た七罪ちゃんが妹だと分かった時は本当に驚いたわ。そして殺意が湧いた。あんなに可愛い妹のいるあなたにね」
灰咲の頭にあるパンツ。
その白と水色を基調にしたシンプルなそれは七罪のものだった。
たまたま脱衣所で目に入ったから俺はそれを知っていた。目に焼き付けておいたから印象に残っていたのだ。
「…………」
「私、ずっと妹が欲しかったの。でもそれは叶わなかった。あなたが羨ましい。可愛い妹を持っていてさぞかし幸せでしょうね」
今、わかった。
こいつの俺に対する鋭い目線。
それはかつての俺と同じだったんだ。
妹がいなかった時の俺と。
かつて俺が濃野に向けていた視線と今灰咲が俺に向ける視線は同じだ。
妹のいないシスコンの目だったんだ。
俺は
「灰咲、お前の気持ちは痛いほど分かる。俺もこの前まで妹が居なかったんだ。だが、家庭環境が何やかんやあって七罪っていうくそかわいい義理の妹が出来た」
灰咲はやっと俺と目を合わせた。
「いいか、灰咲。これは受け売りなんだが、人の人生は塞翁が馬、禍福は
「七宮君……」
灰咲が遠くを見るように目をすぼめた。
「私にも妹、出来るかな………」
「ああ、いつかお前にもできる時がくるよ。…………でも頭に被ったパンツは外せよお前。せっかくの真面目な雰囲気が台無しだからな」
灰咲はパンツを頭から取り、俺の首元に置いた。なんで……?
「微塵も興味無いんだが、参考程度に聞いておく。なんでそれ被ってたんだ?」
「七罪ちゃんを直に感じるためよ」
「最低じゃねぇか!」
「七罪ちゃんの温もりを感じるためよ」
「なんで二回言った!?」
「それにしても七宮君、私のこの姿を見て興奮しないとか、病気なの?」
「頭にパンツを被ってた人に言われたくねえ!」
「可哀想に病気なのね……」
「頭腐ってんのか!?」
「ちなみに上を脱いでたのは七罪ちゃんのブラを付けるためよ」
「普通に変態だそれ!」
「完全変態生物のあなたに言われたくないわ」
「いや意味わかんねぇよ!」
やばい。
どんどん灰咲のやばさが露呈していく。
こいつ、変態だ。
「………というかお前吹っ切れておかしくなってるだろ」
「……分かる?」
「そりゃそうだろ。さっきまで見てたお前と何もかもが違い過ぎる」
「流石に頭にパンツ被った姿を人に見られたらおかしくもなるわ」
「でしょうね!」
でも何処か灰咲には親近感が湧いてしまった。妹のいないシスコンの気持ちは死ぬほど分かるんだ。
こいつと俺は似てる。
でも流石に人の妹のパンツを被りはしない。断じてしない。
……といっても、する可能性はゼロではないか。
もし七罪がいなかったら濃野の妹の六華ちゃんにしてたかもしれな───いやいやいや何言ってんだ俺。こいつに毒され過ぎだ。
灰咲はとんでもない変態だが、とんでもないほど俺とよく似ている。
「まあ、お前のことは前より印象が良くなったよ。妹のいないシスコンは皆家族同然だ」
「七宮君………」
灰咲は一瞬、とろんとした女々しい表情になったがすぐに真顔に戻った。
「あなたと私がいつ結婚したのよ。死んで?」
「文脈を読み取れ!」
「動脈を掻き切れ? 分かったわ」
「耳腐ってんのか!」
「あら、静脈の方だったかしらごめんなさい」
「違う違う痛いから! そこそこ痛いからそれ!」
灰咲は俺の手首を
灰咲はがくりと肩を落として、俺の頭の両脇に手を置いた。
「はぁ………何やってんだろ………私」
「ほんとだよ……」
灰咲は無表情をやめて急に女の子らしい顔になった。
今にも泣きそうな表情だ。
「ちょっと聞いてくれる?」
「あ、ああ」
「……私ね………男の子より女の子が好きなの」
灰咲は俺の目を見ないで話す。
「あのね、でも別に男の子が嫌いってわけじゃなく、もちろんお話したいんだけど………その、怖くって………」
「お、おう」
「男の子と話すと緊張して、さっき七宮君にやったみたいに変な会話になっちゃうの」
ま、マジか。
さっきの変態的な会話はパンツ被ってるとこ見られたからじゃなくて男と話したからか。
それは流石に生きづらいだろ。なんだか可哀想になってきた。
「だから極力男の子と話さないようにしてるんだ、私」
確かに今日俺と灰咲は会話らしい会話をしてなかったのは確かだ。
「ごめんね、今何か私おかしいのかも」
正解です。
好きな人のパンツを頭に被るのはおかしいです。
「あとねあとね妹っていうジャンルというか枠組みが好きなんだ、私」
分かる。すっごいわかる。
「だからね、こんなことしちゃったんだと思う」
「うん」
「初めてなんだよ、こんなこと。七罪ちゃんがかわいいから………」
「………まぁな」
かなり飛躍した結末だけどまぁ、仕方ない。
七罪はめちゃくちゃかわいいからな。魔性の女だぜ、俺の妹は。
だけど俺はパンツ被りたいっていう発想には至らなかったな。
俺もまだまだだったようだ。負けたよ、灰咲。
「………許してくれる?」
「……妹のいないシスコンに悪はいないからな。その名に免じて許すよ」
「七罪ちゃんのパンツくれる?」
「あげねぇよ!」
隙あらば七罪のパンツを狙いやがって。
「まあ、その、なんだ………とにかく、誰にも言わないからさ。えっと、あと同じ誤ちは犯すなよ」
俺は灰咲を押し退けて立ち上がった。
灰咲は床に座り込んで俯いている。
俺は七罪のパンツを自分のバッグの中にしまい込み、スマホをしっかりと手に持って灰咲を背にした。
「また明日な」
灰咲の返事はなかった。
俺は七罪の元へ歩いて行く。
あいつ……やばいな。
控えめに言ってやばい。
やばさで言ったら軽く俺を凌駕しているレベルだ。
語彙力の無くなるやばさだ、ほんと。
昇降口ではスマホを眺めている七罪の姿が見えた。
「ごめん、待たせた」
「遅かったですね。何かあったんですか?」
「いや、特になんもないよ。暗いから探すのに手間取っちゃって」
「なるほどです。それじゃ帰りましょうか」
「おう」
七罪に言えるわけがない。
口にしても信じてくれないだろう。
灰咲がお前のパンツを被ってたなんて、口が裂けても言えない。
七罪のことは俺が護るから、大丈夫だ。
大丈夫。
自分の欲求に従って七罪のパンツを被った少女。
俺が彼女に抱いた感情は憤りでも優越感でも、ましてや憐れみでもなかった。
彼女は
妹を欲するその姿と瞳は俺そのものだった。
今日初めて会話した仲なのに、前世で知り合いだったかのような心地良さを感じた。
自分と同じ波長を感じざるを得なかった。
何とか、救けてやりたい。
俺の妹の七罪をあげることは出来ないけど、妹のいないシスコンを俺は救ってやりたいんだ。
俺は
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