第302話 私たちも短期留学希望(後編)

「ふぅぅぅ……」



 とまぁ、そんな若者達の一悶着ひともんちゃくなどガッツリ無視スルーし、その頃クロエは静かに深呼吸をしながら蔵の扉へ手をかざそうとしていた。


 乳白色の漆喰しっくいで塗り固められた蔵の扉。


 そこには、取っ手となる部分が一切見受けられない。


 クロエの動作を見る限り、どうやら手をかざす等の操作により、扉が開く仕組みになっているのだろう。


 田舎の蔵にしては出来過ぎの装備であるとも言えるが、そこはやはり異世界へと通じる重要な扉である。


 恐らく幾重にも積み重ねられた魔法により、高度な防護が施されているに違い無い。


 やがて、クロエは扉の前で手をかざしたまま、大きく息を吸い込んだ。



「あーけーてっ!」



 そう扉に向かって声を掛けるクロエ。


 その様子はまるで、小学校の子供が友達を誘いに来た時の様子を連想させる。


 と言うか、こんな短いフレーズにも関わらず、その発音に英語なまりが感じられると言うのも不思議なものだ。



「「!?」」



 彼女の意外な行動に、老人全能神様を除く全員の視線が彼女に集中する。



「……クッ!」



 若者神族たちからの刺す様な視線を感じ、言いようの無い恥ずかしさと緊張感に包まれるクロエ。



(私……何か言い間違えた……の?)


(いやいや、正しいはずよ。もう何度も使っている言葉神語だし)


(それとも発音に問題が?)


(……くっ、問題はやはりソコなのねっ!)



 そう自問自答する彼女


 彼女は日本語神語のヒアリングは十分にこなせるのだが、場数ばかずが少ないせいか、発音の方が今一歩なのである。



(だいたい、取っ手をこちら側にも付ければ良いだけの話なのよっ! 確か、何代か前の大司教様が『この方が美しいから……』と言う理由で取っ手を外してしまったのだと聞いた事があるわ。まぁ、中には何人かの侍女が待機している訳だから、確かにひと声掛ければ済む話なのだけど。でも、よりにもよって、その時の合言葉がまた日本語神語だなんて……)



 彼女は背中に冷たい汗が流れるのを感じながらも、扉が開くのをじっと待つ事にした。



 ――ピー、ヒョロロロロロ……



 冬の澄んだ青空にトンビが。



「……」 



 しかし、扉は一向に開こうとしない。



(どうして? どうして扉が開かないのっ! 偶々たまたま交代の時間と重なったって事? いやいや、そんなはずは無いわ。控えの侍女は二人以上と決まっているもの。誰もいないなんてあり得ない! それじゃあ中の侍女たちが昼寝でもしていると言うの? そんなはず……はっ! もしかして、私の合言葉が聞こえなかったって事? クッ……もう一回言わなきゃダメ? 駄目なの? いま? この状態で? 何しろ、神族の方々が後方で私の事を見つめているのよ。こんな状態で私にもう一度神語を話せと言うの? ……無理っ! ムリムリムリムリ、無理っ! そんな恥ずかしい事は絶対に無理っ! だっ、だけど……このまま神族の方々をお待たせする事も出来ないっ! この寒い中、自分の小さなプライドを守る為、神族の方々に風邪を引かせた……と言う事にでもなろうものなら、敬愛するダニエラ大司教様からどの様なお叱りを……いやいや、お叱りなんかどうでも良い、そんな事よりも、ダニエラ大司教様の侍女である私の失態が、ひいてはダニエラ大司教様の顔に泥を塗る結果となりかねないわっ! くっ! それだけは駄目よっ。たとえ全能神様が許されようとも、ダニエラ大司教様の不名誉になる事だけは断じて許されないのよっ!」



 苦渋の選択に思わず顔をゆがめるクロエ。


 そんな彼女の額には大量の汗が吹き出し、更にその愛らしいあごからしたたり落ちる汗が、ゴスロリ衣装の前掛けエプロンに大きな染みを作り始めた頃。



(ぐぬぬぬ……仕方がないわ、もう一度呼び掛ける事にしましょう。どちらにせよ、扉が開いた暁には、中の侍女たちに、たっぷりと教育的指導をつけてやるわっ!)



 そう心に誓うクロエ。


 彼女は中に控える侍女連中が後で絶対に言い訳出来ぬよう、出来うる限りの大声を出そうと、渾身の力で息を吸い込んだ……その時。



 ――キィィ……



 軽いきしみ音を残し、漆喰しっくいに塗り固められた重厚な扉がゆっくりと開き始めたのである。



『……きっ、今日の当番はいったい誰なのですかっ! 外から呼び掛けた際には、直ぐに扉を開ける様にとあれほど……』



 ようやく開き始めた扉に安堵し、更に小言の一つも言ってやろうかと、開く途中の扉に手を掛けようとするクロエ。


 そんな彼女の視線の先には黒い影が。



『……え?』



『ほほぉ……神界とはもっと春の様に暖かい場所であると聞いておったのだが……はてさて、意外に寒い所じゃのぉ……』



 黒地に金の装飾が施された甲冑。



『ワシが死んだ時には毛皮も一緒に埋めてくれとストラトスに言っておかねばならんのぉ……』



 その右手には、既に青白い光を放つ長槍が握られている。



『ヴァシリオス、ヴァシリオスではないか……なぜお前がここに?』



 老人全能神様は珍しい物でも見つけたかの様に、大きく目を見開いている。



『おぉ、そちらに御座おわすは、全能神様ではござりませぬか。お久しゅうございますなぁ』



 ヴァシリオスは扉より半身を出した所で、老人全能神様に向かって頭を下げて見せた。


 まるで友人にでも接する様なこの馴れ馴れしい態度。


 いやいや、この男。


 いくら剣聖とちまたで持てはやされているとは言え、所詮人間ひとの身。


 片や全世界を統括する全能神なのである。


 人間ひとであれば、神を目の前にした時点で即座に平伏するのが当然。


 にも関わらず、この態度は一体。


 ヴァシリオスと言う男は礼儀作法すら理解しない野蛮人なのだろうか? それとも……。



『いやはや、全能神様にはヤボ用があってな。もそっと早うに神界へと足を運ぶつもりだったのじゃが、意外と時間を食ってしもうてのぉ』



 すこし申し訳無さげに、はにかんだ笑顔を見せるヴァシリオス。



『なんじゃ、ワシに用があると申すか。もうしばらく待っておれば、ワシが下界へと出向いてやったにのぉ。……それにしてもシルビアも何をしておるんじゃ。いくら顔なじみとは言え、プロピュライアを通してしまうとは。ヴァシリオス、どうせお前がシルビアに無理を言ったのであろう。しょうが無いヤツじゃ』



 腕を組み、少し困惑した様子の老人全能神様



『いやいや、全能神様。シルビアの事は悪く言って下さるな。あの女は俺にプロピュライアは通らせんと言っておったでなぁ……』



……とな?』



『あぁ、……じゃ』



 そう言うなり、ヴァシリオスは扉の中から全身を表すと、片手にぶら下げていた老人全能神様の方へと放り投げて寄越した。



 ――ドスッ……ゴロゴロ。



『うぬっ!』



 放り投げられたが故にドロの血にまみれ、残念ながらその表情を伺う事すら叶わない。


 ただ、その髪と特徴的な耳の形から、元の持ち主を容易に特定する事は出来る。



『ヴァシリオスッ! お前ッ!』



 あふれんばかりの怒気により、みるみるうちにその顔を赤黒く変色させて行く老人全能神様



『レッ、レオニダス様っ! この場は私がっ! 早くっ! 早くお逃げ下さいっ!』



 そんな二人の間にクロエが割って入った。



『ほほぉ、護衛はクロエ一人か。不用心じゃのぉ。アルテミシアはどうした? おらんのか? それから後ろに居るのは……神族の様だな。まぁ、お前達はどうでも良い。用があるのは全能神ただ一人だからな』



 そう言いつつも、ヴァシリオスは何気ない足取りでクロエに近づいて行く。



『それ以上近寄るなっ! さもなくば撃つ!』



 クロエは自身の左腕を右手で支え、大きくヴァシリオスへと突き出した。


 すると突然、彼女の左腕が黒いもやの様なもので包まれ始めたでは無いか。



『ほほぉ、ダニエラ直伝の煉獄地獄ヘルファイアか……』



『寄るなっ! 寄るなっ!!』



 そんな脅しすら意に介さず、ヴァシリオスは依然いぜん歩みを止めない。


 その気迫にされたとでも言うのか、二歩、三歩と後退あとずさり始めるクロエ。



『ほれ、どうした? 撃ってみよ。その自慢の煉獄地獄ヘルファイアを撃ってみよと申しておろう』



『うぅっ……くっ!』



 彼女の左手に揺蕩たゆたもやはやがて黒い炎となり、彼女のてのひらの中で漆黒しっこくの玉へとその姿を変え始める。


 しかし、暫くするとその形は崩れ、また元のもやへと逆戻りしてしまうではないか。


 何度も何度も。


 彼女はそのもやを実体化させようと力を込めるのだが、決してそれ以上先へ進む事がない。



 ――ギリッ!



 彼女の奥歯が悔しさにきしむ。


 こんな事は、生まれて初めての出来事であった。


 小さい頃から天才と呼ばれ、神官学校時代に見様見真似みようみまねでダニエラの代名詞とも言うべき煉獄地獄ヘルファイアを発現させた程の逸材である。


 そんな彼女にして魔法を思う様に扱えないなど、これまで一度として経験した事が無かったのである。



『仕方が無いのぉ。お前が来ぬのであれば、俺の方から……』



 まだヴァシリオスが話している途中にも係わらず、彼女の目の前を青白い光が横切って行く。



 ――バシュッ! 



『行かねばのぉ……』



 ――ボトッ!



 ヴァシリオスの最後の言葉と同時に、彼女の左腕が垂直に落下した。



『うっ! うぅ……くっ!』



 気丈にも、彼女は切断された左腕をものともせず、尚もヴァシリオスの前へ立ち塞がろうとする。


 しかし。



『もう良い。もう良いのじゃ、クロエ』



 そう言いながら、老人全能神様は彼女の前へと歩み出て来た。



『お前は若者たちを連れて、美穂の元へと行け』



『しかしっ! 全能神様っ!』



『いや、これは命令じゃ。よもや、神の指示に従わぬなどと言う事はあるまいな?』



『はっ……はい』



 全てを受け入れ、自らの切断された腕を抱きかかえながら、悔し気に唇を噛みしめるクロエ。


 老人全能神様はその様子を確認すると、今度はヴァシリオスの方へと向き直った。



『なぁ、ヴァシリオスよ。お前の目的はワシだけなのだろう? クロエや他の神族については、はこのまま放っておいてもらえるかのぉ』



『あぁ、構わんさ。何しろ全能神様からの直々の頼みとあらば断れまい? と言うか、用件さえ済めば俺はこのまま立ち去るつもりだ。長居をする気は無い』



 さも当然の事とでも言わんばかりのヴァシリオス。



『ふふ、つまらん物言いをするな、ヴァシリオスよ』



 老人全能神様はヴァシリオスに正対したままの格好で、背後にクロエ達の気配が無くなるのを静かに待った。


 やがて……。



『待たせたな、ヴァシリオス。それにしても、お前はシルビアをどうやって抜いて来た? それに、神殿には他にも司教が大勢おったはずじゃが?』



『そうさな。聞きたくば教えて進ぜよう。……おいっエヴァ、姿を見せよ』



 その声に合わせ、真紅しんくのローブをまとった女性たちの集団が、忽然こつぜんとその姿を現したのだ。



『紅の騎士くれない団か……』



『そうだ。紅の騎士くれない団さ。確かにシルビアの全解除オールキャンセラの力は絶大だ。太陽神殿最大戦力と言っても過言では無かろう。俺も昔、あの力に何度救われた事かわからんぐらいだ。しかしな、全解除オールキャンセラは魔法にはめっぽう強いが物理攻撃フィジカルアタックには無力だ』



『じゃが太陽神殿には神殿騎士団が、そう、テュデウスがったじゃろう?』



『あぁ、そうだな。神殿騎士団がな。今頃ヤツらは、エレトリアで戦争ごっこに興じている頃だろう』



『なるほど、そうか。用意周到、準備万端と言う所じゃのぉ。……うぅぅむ。紅の騎士くれない団まで動員するとはなぁ……お前に指図さしずしたのはアレクシアか?』



『いいや、皇子アレクサンドロス様の方じゃ。全能神が死ねば、皇位は継承権第一位の皇子アレクサンドロス様に移る事となる。人の世も、神の世も全く同じ、世知辛いのぉ。所詮しょせん権力争いの前では、親子の情も無意味と言う訳じゃなぁ』



 ヴァシリオスは口角を上げ、不敵な笑みを浮かべて見せる。



『さて、無駄話はここまでとしよう。どうじゃ、全能神様。得意の極大魔法でも披露なさるか?』



『……ふっ、嫌みな事を言うヤツじゃのぉ。後ろにそれだけの紅の騎士くれない団を引き連れて来おってからに。どうりで大精霊サクラが返事をせんわけじゃ』



『それはそうだろう。全ての神を束ねる太陽神を相手にしようと言うのだ。この程度の準備は……』



『ヴァシリオス様っ!』



 そんなヴァシリオスの言葉を遮る様に、突然エヴァが後ろから声を掛ける。



『ん? どうした、エヴァ?』



 ヴァシリオスが振り向くと、そこでは紅の騎士くれない団、そのおよそ半数が地に伏せており、残りの者達すら既に息も絶え絶えの状態では無いか。



『ヴァシリオス様、お急ぎ下さいっ! 大精霊サクラ様にかんづかれました』



『ほほぉ……流石は太陽神、無駄話も時間稼ぎであったとはな。危うく騙される所であったわっ!』



 ――フォン!



 振り向きざま、青白い閃光が横一線に走る。


 しかし。



『くっ、まぼろしか!』



『ほっほっほっ。大精霊サクラはワシの守護者じゃ。ワシを突然見失えば、当然その理由を欲するに決まっておろう』



 老人全能神様はそう言い放ちながらも、既に母屋近くにまで逃げ去っているではないか。



『おのれっ! 太陽神じじぃ、逃げるのかっ!』



『ほっほっほっ。逃げはせんぞぉ』



 老人全能神様はこの辺りが頃合いと見たのだろう。


 やおらその場に立ち止まると、今度は両腕を大空へと突き上げた。



 ――ピシッ! バリバリバリッ!



 雲一つ無い青空に、突然の雷鳴がとどろいた。


 まさに青天の霹靂へきれき



『ほぉれほれ。お望みの極大魔法を見せて進ぜよう』



『エヴァ! シールドは? シールドはどうした!?』



『ヴァシリオス様、もう駄目です。持ちませんっ!』



 あれほどいた紅の騎士くれない団のメンバーも、どうにか立っているのは遂にエヴァ一人だけ。



『ヴァシリオス様っ! お逃げくださいっ!』



『はぁっはっはっは! 所詮人間ひとの分際で全能神に歯向かおうなどとは言語同断ごんごどうだんっ! 死してプロピュライアをくぐれると思うなよぉヴァシリオス!』



『ぐぬぬぬっ!』



『お前にあやめられし全ての者達の無念と共に、冥府の王ゼノンの足下にて永久とわの責め苦を味わうが良いわっ!』



 老人全能神様は鬼のような形相をうかべながら、そっとヴァシリオスの事を指さした。



ねっ!』



 ――ターン

   ……ターン

     ……ターン……ターン……



 田園地帯に木霊こだまする乾いた炸裂音。


 やがて……。



 ――ドサッ……



 急に膝から崩れ落ちるようにして倒れ込む人影。



『……どっ……どう言う事……だ? 何が……あった?』



 そうつぶやくヴァシリオス。


 彼が後ろを振り返ってみると、先程まであれだけ苦しんでいたはずのエヴァ達が、まるでキツネにでもつままれたかの様な顔をしてその場にへたり込んでいるではないか。


 更に周囲を警戒しつつ、ゆっくりと老人全能神様そばへ近づいて行くヴァシリオス。


 そこでは、老人全能神様が地面に突っ伏したまま、ピクリとも動こうとしない。


 そっと首筋に触れてみる。


 脈も感じられない。


 ただ老人全能神様のこめかみには小指一本分程の赤黒い穴が開いており、そこからは止めどなく血液が噴出ふきだしていた。



鉄弓クロスボウ……か?』



 しかし、小さく開いた穴の側面には、なぜか黒く焼け焦げた様なあとが見える。



鉄弓クロスボウでは無さそうだな。だとすると、何らかの魔法……か』



 そうつぶやきながらも、ヴァシリオスは腰に結わえてあった大型のダガーを引き抜くと、躊躇ちゅうちょする事なく老人全能神様の首筋へと振り下ろした。



 ――バシュッ! ゴリッ……。



『それにしても……』



 ヴァシリオスは、もう一度周囲を見渡してみる。


 しかし、ついぞ怪しい人影等を見つける事は出来ない。



『まぁ、神界も一筋縄では行かぬ……と言う事だな』



 ヴァシリオスはあらかじめ用意しておいた麻布を懐から取り出すと、丁寧に老人全能神様の頭蓋を包み始めた。


 

『この首は皇子アレクサンドロス様への手土産とさせてもらおう』



 それだけを言い残し、彼は老人全能神様の頭蓋を小脇に抱えたまま、足早あしばやにその場を後にするのであった。

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プロピュライア祖父が創造主の異世界でとりあえず短期留学希望 神谷将人 @Kamiyamasahito

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