第二十五章 リヴィディア侵攻(ルーカス/ミランダルート)

第258話 軍事戦略の根幹

「だから何度も言ってるでしょ! あんな食事じゃ駄目だって! いくら奴隷だからって、同じ人間でしょ! あんな残り物だけじゃ体が持たないわよ、もぉ、信じらんないっ!」



 部屋の中に響き渡る、うら若き女性の金切り声。


 さして広くも無いその部屋。


 にもかかわらず、これだけ大声を張り上げられたのでは、言われた方もたまったものでは無い。

 


『おい、誰か。コイツの言葉が解るヤツは居ないのか?』



 ブロンドに輝く髪を持つその青年。


 彼は両手で自分の耳をふさぎながら、向かい側に座る壮年の男性へと話し掛けた。



『何を言ってるのかはわかりかねますが、まぁ何にせよ、何かに対して怒っている……と言う事で、間違いは無さそうですなぁ。はっはっはっは』



 半ば呆れた様に、笑い飛ばす壮年の男性。


 そんな彼らのいる場所は、何の飾り気も無い質素な部屋で、部屋の大きさの割には小さめの窓が一つあるだけ。


 窓から見える景色は単調で、地平線の彼方まで続く、広大な小麦畑が広がっているだけだ。


 恐らくこの地域では、今が冬小麦の刈り取りシーズン真っ最中なのだろう。


 もう夕暮れ時にも関わらず、まだ多くの農民たちが働いている様子だ。


 そんな丘陵地帯のど真ん中。ひと際高い丘のいただきに、その建物は建てられていた。 


 無骨なレンガと、簡易セメントにより造り上げられたその建物。


 エレトリア帝国軍がリヴィディア併呑へいどんの際に構築した前哨基地の名残で、未だに補給物資の蓄積所兼、兵士の宿舎として利用されているのだ。

 


『おいおい、冗談ではないぞクロノス。この調子で毎日文句を言われ続けみろ、いくら俺でも体が持たん!』



『はっはっは。閣下は毎度その様に申されますが、あの娘が顔を出すたび、閣下は非常に嬉しそうな顔をしていらっしゃる』



『なっ、何を言うかクロノス!』



『まぁ、満更まんざらでは無いと言う事でございましょう。しかも、あの娘、気付けば他の奴隷達からも慕われている様子。近頃はまるでメイド長の様に振る舞っていると言うでは御座いませぬか」



『そっ、それは、誠か?」



『はい。先程兵士用の食堂に顔を出した際、飯炊きババがその様に申しているのを小耳に挟みましてございます』



『……うぅぅむ』



 そんな二人のやり取りを、未だ厳めしい顔つきで見つめるその女性。



『あぁ、分かった、分ったよ。の話は後で聞いてやる、……分るか? 今は忙しい、後でだ。あ・と・で、聞・い・て・や・る。良いか、分ったな?』



『ワカッタ。アトデ、キケ。ヤクソク。アトデ、キケ。イイナ?』



 黒い瞳を持つその女性。


 彼女はそれだけを言い残すと、さっさとその部屋を立ち去ってしまった。


 帰り際。ドアの前で、全く知らない作法でお辞儀をする彼女。


 その流麗な立ち振る舞いからは、彼女の生まれが、決して低くは無いであろう事が伝わって来るから不思議だ。



『さて、閣下。ここまで順調に駒を進めて参りましたが、流石にここからそう上手くは行きますまい』



 アエティオス准将率いる第十一独立大隊コホルス


 彼らは、ここまで戦闘と呼べる様な戦いをする事も無く、リヴィディア城まであと一日と言う所まで迫っていた。



『クロノス。正直に貴官の意見を聞こう。このいくさ、お前はどう考える?』



 アエティオスはテーブルの上で両手を組むと、いつもの様にその手の上へ自分の顔を乗せた。


 全てを見通す鋭い目が、クロノスを捉えて離さない。


 しかし、クロノスも百戦錬磨。


 そんな彼の視線に動じる事も無く、柔和な笑みを浮かべながら話し始めた。



『一言で申し上げれば奇妙。まるで戦の素人と戦遊びに興じている気分にございます。もしくは……』



 と、そこで言葉を濁すクロノス。



『もしくは……? なんだ。構わん、言ってみろ』



『はっ、もしくは、のシナリオに沿った茶番……では無いかと……』



 促されるままに、そう告げるクロノス。



『ほほぉ。なぜそう思う?』



『はっ。帝国軍の強さの根源は、この前哨基地にございます。そう考えると、この砦はリヴィディア城の喉元に迫るナイフの刃先であると言っても過言では御座いますまい。もし私が三千の兵を率いているのであれば、最初にする事はただ一つ。この砦の確保、もしくは使用不能にする事でしょうな』



 ここで一旦、木製のカップに注がれているワインを口に運ぶクロノス。



『にも関わらず、この砦は無傷のまま。しかも、占拠された跡すら見受けられない……本当にそんな事が御座いましょうや?』



 クロノスの疑問はもっともである。


 帝国軍は確かに強い。


 共和制の頃より、長年他国の侵略に晒され続けて来た帝国市民。


 彼らは自国防衛意識が強く、士気も高い。


 しかし、帝国軍の本当に強さは、そんな精神的な問題だけでは無いのである。


 彼らの本当の強さ。


 それは、科学技術を含む土木技術の高さと、合理性にあるのだ。


 例えば、帝国軍が敵と戦うとしよう。


 その場合、帝国軍は必ずと言って良いほど、敵の近くに前哨基地を構築する。


 しかもそれは、生半可な物では無い。


 わずかか数日の突貫工事で、石垣いしがきすら持つとりでを完成させてしまうのである。


 そして朝、その前哨基地を出立した帝国兵は、思う存分敵とやいばを交わしたかと思うと、夜になれば早々に基地へと帰ってしまう。


 敵兵が雨ざらしで、空腹を耐え忍んでいる中、帝国兵は強固な塀に囲まれた前哨基地に入り、温かい食べ物を食べ、十分な睡眠を取った上で、翌日またその姿を現す訳である。


 敵兵にしてみれば、それは悪夢でしか無い。


 そんな帝国軍の軍事戦略の根幹とも言える前哨基地。


 にも関わらず、その前哨基地に対して、何の措置も講じないと言うのは、疑問を通り越して、笑いが込み上げて来るレベルなのである。 

 


『……そうか。貴官はそう考えるか』



『閣下、そろそろ本当の事をお話し頂く訳には参りませんか?』



 先程までの柔和な笑みは消え、真剣な眼差しのクロノス。



『……』



 そう話を促すクロノスに対し、アエティオスは無言で口角を上げ、妖しい笑みを浮かべるだけであった。

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