第248話 損な役回りの男

「話は聞かせて頂きました。エニアス、恐らくその獣人はマロネイア様の獣人奴隷です。褒美は私の方から取らせましょう」



 バウルの背後から声を掛けて来たのは、メイド服に身を包む妙齢の女性。


 更にそのうしろには、大岩とも見まごうばかりのたくましい人影が付き従っていた。



「あぁ、これは、これは、イリニ様。わざわざこの様な場所までお越しになられるとは……」



 彼女へ向かって、まるで商人の様に深々とお辞儀をするエニアス。


 メイド家政婦長……と言う役回りではあるけれど、マロネイア家の当主であるアゲロスの側用人そばようにんとして、彼の身の回りの世話を一手に引き受ける彼女である。


 残念ながら、その辺の百人隊長などよりは、よほど影響力があると言っても過言では無い。


 ここでの失礼な態度は、エニアス本人だけに留まらず、ギルドマヴリガータ全体に対しても悪影響を及ぼす事だろう。



「その娘には少々思い入れが御座いましてね。エニアス、それでよろしいですね?」



「はっ、ははっ。イリニ家政婦用様、直々のお話しと言う事であれば、お断りする理由は御座いません」



 有無を言わせぬ、毅然きぜんとした態度。


 彼女にこう言われてしまっては、否と言えるはずもない。



「それではどうでしょう。五千クラン。いいえ、一万クラン出しましょう」



 二人の話をそばで聞いていた兵士達から、軽いどよめきが沸き起こる。


 通常この手の謝礼は、その物の価値の一割程度が相場と言える。


 と言う事は、引き渡しを迫る獣人の娘には、およそ、その十倍。十万クランの価値があると公言している様なものである。


 いくらマロネイア家が大富豪だとは言え、この金額は破格過ぎる。



「それは……まことでございましょうや?」



 恐るおそる。彼女の反応を探る様に確認するエニアス。



「愚問です」



 即答だ。一点の迷いも見受けられない。


 マロネイア家の家政婦長の言葉である。間違い無く真実なのだろう。



「大変失礼致しました。では、今直ぐお支払いを?」



 気持ちを切り替え、早速商談へと移行するエニアス。


 伊達にギルドマヴリガータ若頭カシラを務めている訳では無い。



「いいえ、今は手元に持ち合わせがございません。のちほど、そなた達のギルドへ届けさせると言う事ではどうでしょう?」


「いやいや、それは如何いかがでございやしょう。イリニ様を信用していない訳ではございやせん。ございやせんが、大人だろうが子供だろうが、世の貴賎きせんを問わず、どの様な方でも『表の顔』と『裏の顔』、使い分けるのが『人のさが』と言うものでございやす。私も若頭カシラを務めさせていただいておりやす身。流石に『はい、そうですか』と引き下がっては、子分たちに示しが付きやせん」



 ビジネスはビジネス。


 いくら破格の値段を提示されたとは言え、相手の条件を全て飲んでいては、対等な商売にはならない。


 ここは強気に出る所だろう。



「……そう。そうですね。それではこうしましょう。今ここで、私の命の次に大切な、マロネイア様より頂いた指輪印章シグネットリングをお渡ししましょう。明朝、一万クランを届けさせますので、その際にリングをお返しいただくと言う事では?」



 そう言うなり、自身の指輪を外し始める彼女。


 この指輪印章シグネットリング


 古い映画等で、御覧になった事がある人も多いのでは無いだろうか。


 書類や手紙の封に用いられる封蝋ふうろうに、この指輪印章シグネットリングで刻印する事で、その内容の正当性と、誰が承認した物なのか……を、明らかにする事が出来るのである。


 つまり、この指輪印章シグネットリングさえあれば、イリニ家政婦長本人になりすまし、彼女の権限下で実行可能な、全ての事を指示出来てしまうと言う代物だ。


 そう言う意味では、この指輪印章シグネットリングの持つ価値は計り知れない。



「イリニ様、この様な渡世人風情とせいにんふぜいに、その様に大切な物をお渡しになっても、よろしいのですか?」



「えぇ、構いませんよ」



「私がその指輪印章シグネットリングを持ち逃げするかもしれやせんよ?」



「いいえ、私はエニアスを信用しておりますので」



「……」



 全て即答。全く言葉にブレもよどみも感じられない。


 自分を信用してくれているのは、非常にありがたいし、嬉しい事ではある。


 しかし、本当にそれだけなのか?


 彼女の獣娘に対する想いが、実はそれだけ強い……と言う事なのだろうか?


 物が物だけに、余りにも空恐ろしい。



「はぁ……イリニ様には敵いやせんな。度胸勝負で負けるのは、渡世人にとっちゃあ我慢ならねぇ。そんな大切な指輪、お預かりする訳にゃ参りやせん。私もイリニ様を信用させて頂く事に致しやしょう。それでは、今から娘を連れて来やす。少々お待ちください」



 これ以上の交渉は時間の無駄。


 本来はここで時間を稼ぎ、頃合いを見て娘を非常口から逃がす算段ではあった。


 しかし、娘の容態が思いのほか、悪いのも事実だ。


 このまま逃げても、長く持たない事は分り切っている。


 それであればいっその事、ここで彼女を引き渡し、マロネイア家の方で適切な処置を施してもらった方が、万が一にも命だけは助かるかもしれない。


 ルーカスには悪いが、娘を無駄死にさせるよりはである。


 そう判断したエニアス。


 彼は、イリニ家政婦長に対して一礼の後、洞窟の奥へと一人舞い戻って行った。



「イイイ、イリニ様。あああ、あの様な者に、そそ、その様なお約束を。よよよ、よろしいのですか?」



 イリニ家政婦長の背後より、大岩の様なシルエットを持つヨルゴスが、野太い声で話し掛ける。


 少々吃音きつおんの気がある事から、部下への指示はもっぱらバウルに任せ、自身はイリニ家政婦長の警護けいご接待アテンドを担当していた。


 その口下手な所から、全く出世の見込みも立たなかった彼ではあったが、先日の魔獣騒ぎでの活躍が認められ、欠員となった十人隊長の地位に抜擢ばってきされたのである。


 身長二メートルを超える体格と、下級とは言え貴族家の出自を持ち、これでも帝国の士官学校を卒業している秀才なのだ。



「えぇ構いませんよ。あの娘が手に入るのであれば、一万クランぐらい、安いものです」



「そそそ、そうでございますか。それでは……」



 彼はゆっくりバウルの方へ歩み寄ると、その大きな体を丸めながら、なにやら、バウルに耳打ちを始めたのである。


 そして、暫くすると、軽く項垂うなだれている様子のバウルを残し、ゆっくりとイリニ家政婦長の元へと帰って来た。



「イイイ、イリニ様、こここ、ここは、少々危のうございます。こここ、こちらの方で、おおお、お待ちください」



 ヨルゴスは彼女をエスコートする様に、洞窟を取り囲む兵士達の後方へと、イリニ家政婦長をいざなって行く。


 イリニ家政婦長はその実力はともかく、非戦闘員であり、何か発生した場合、第一にその身の安全を確保する必要がある。


 彼が後方へと彼女を誘導する事自体、不思議な事では無いだろう。


 そして、洞窟の前。


 後に残された、副隊長のバウルは両腕を組み、天を仰ぐかの様にして溜息を付いた。



「ふぅぅぅ……」


「最近ツイてねぇなぁ……損な役回りは、いっつも俺だぜっ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る