第240話 暗闇に蠢く人影

「……うっ、うぅぅっ……い、いやっ、助け……助けて……」



 弱々しいながらも、突然うわ言の様につぶやき始める少女。


 すぐそばで、彼女のやつれた顔を見つめていたは、その声を聞いたとたん、彼女の耳元へと顔を寄せた。



「大丈夫か、ミランダ。聞こえるか? ミランダ、ミランダ!」



 その声に呼応するかの様に、次第にその目を開き始める彼女。



「良かった、ようやく気付いた様だな。ミランダ、大丈夫だ、安心しろ。ここは俺達のアジト。もう、安全だ。……あぁ、俺の事は覚えているか? エニアスだ、ルーカスの知り合いのエニアスだよ」



 彼の話し掛ける言葉に、彼女は何の反応も示さない。


 恐らく……いまにも切れそうな記憶の糸を手繰たぐり寄せながら、自身の置かれている状況を、何とか把握しようと試みているのかもしれない。


 今はただ、ゆっくりとそのうつろな瞳を動かしているだけ。


 エニアスが彼女の目の前に顔をのぞかせてみても、その視線は遥か遠くを彷徨さまよっているかの様だ。


 やがて彼女は無表情のまま、自身の右腕へと視線を向ける。


 そこにはひじから先の部分が、完全に欠損している右腕が。


 応急処置なのか、上腕にキツく縛られている布には、赤く血がにじみ出している。


 最初は、ただ茫然ぼうぜんとその様子を眺めていた彼女。


 しかし、次第にその表情にはけわしさが加わり始め、やがてその瞳を大きく見開くまでに。



「……は……は……はっ……はっ、はっ、うぅぅっ、くっ! はぁぁっぁあ!」


 

 突然激しくなる呼吸。


 彼女は両目を見開いたまま、ガタガタと小刻みに震えだし、やがて、その痙攣けいれんが全身へと広がって行く。



「落ち着け、ミランダッ! ゆっくり息をするんだっ! 聞こえるかっ! ミランダ、ミランダッ!」



 全身を硬直させたまま、突然暴れ始めるミランダ。


 エニアスは、そんな彼女を全身で抑え込む様に抱きかかえつつ、自身の左腕を彼女の口元へと無理やり押し込んで行く。



「くっ……!」



 彼女の鋭い歯が、エニアスの左腕に容赦なく食い込み始める。


 あまりの痛みに、思わず顔をしかめるエニアス。



 ――ギリッ



 しかし、永遠に続くかとも思われた彼女の発作も、暫くすると、急激にその力が失われて行く。


 既に体力の限界を超えてしまっている所為せいなのだろう。


 終いには、まるで何事も無かったかの様に、力無く横たわる彼女。



「ミランダ、もう怖がらなくていいんだよ」



 エニアスは、そう優しく声を掛けると、ゆっくりと少女の口元から自身の左腕を抜き取った。



「ふぅぅ。ふぅ……」



 呼吸も落ち着いて来た様だ。


 ようやく正気を取り戻したのだろう。


 ただ、未だ震える彼女の口元からつむぎ出された言葉は、短くも切ないものだった。



「……わたし……死ぬの……?」



 少女のエメラルドグリーンの瞳には、大粒の涙が浮かび始める。



「そんな事無いさ。大丈夫だよ。安心して。私が付いているからね」



 エニアスは優しい笑顔を見せながら、ゆっくりと少女の頬を撫でてあげる。


 ただ、彼は知っていた。


 この怪我では、長くは持たない事を。


 これまで、何人もの仲間を来た経験が、彼にそう告げているのだ。


 もちろん、そんな事はおくびにも出さない。


 何も、これから死に逝く人を、わざわざ不安におとしいれる事はあるまい。


 せめて、静かに見送ってやるべきだ。



 今思えば、とにかく発見が遅すぎた。


 毎日様子を見に来ていたこのアジト。


 しかし、今日に限って、なぜか市中にマロネイア家の兵士が溢れ、なかなかこのアジトへと近付けなかったのだ。


 ようやく日の沈む頃に立ち寄ってみれば、入り口付近で血まみれのミランダが倒れているでは無いか。


 もう少し到着が遅ければ、夜行性のレッサーウルフに、跡形あとかたもなく食われていた事だろう。


 連れていた舎弟を、急ぎ仲間の元へと走らせてはみたものの、未だ助けは来ない。



(……おかしい。何かあったか?)



 少女の頬を撫でながら、思考を重ねるエニアス。


 丁度その時、



 ――バサッ、ガラガラガラッ



 天井付近の洞窟の割れ目から、非常用の縄梯子なわばしごが投げ込まれて来たのだ。



若頭カシラ、お待たせしやした」



 仲間の一人が、手慣れた様子で縄梯子なわばしごを降りて来る。



『どうした? 何があった?』



 無言のまま、いぶかし気に問い正すエニアス。


 マヴリガータのギルドメンバーが得意とする読唇術である。


 ようやく落ち着いてきたミランダ。そんな彼女に配慮しての行動なのだろう。 


 仲間の方も、そこは阿吽あうん呼吸こきゅうである。


 しっかり、唇だけで答えを返して来た。



若頭カシラマズいですぜ。このアジト、監視されてやす』



「……!」



 あまり取り乱した所を、ミランダに見せる訳には行かない。


 エニアスは静かに彼女の傍を離れると、後から降りて来た他の仲間にミランダを任せ、最初に降りて来た男を連れて、洞窟の入り口の方へと歩いて行く。



「それで、相手は誰だ?」



「兵装からすると、ありゃあ、マロネイア家の野戦兵ですぜ」



「マロネイア家だと? しかも野戦兵とはどう言う事だ?」



「理由は分りやせんが、十人隊コントゥベルニウムですな。しかも、野戦用の完全武装ですわ。ヤツら、本気ですぜ」



 二人は洞窟入り口付近の岩陰から、そっと外の様子を探ってみる。


 時刻は既に真夜中を過ぎ、岩場の多い海岸線は漆黒しっこくの闇が支配していた。


 月が出るまでには、まだ間があるのだろう。


 わずかな星明りだけを頼りに辺りを見回してみると、確かに遠くの岩陰にうごめく何かが……。



「この距離では判別出来んが、確かに誰かいるな」


 相手が何者かは分からない。


 しかし、重傷の少女を抱え、こんな所で騒ぎを起こす訳には行かない。



 ……仕方がない。



 エニアスは、非常口からの脱出を決断。


 その場を離れようとした、ちょうどその時。



「ん? ちょっと待て、何だ、あの声は……」



 暗闇の彼方から、男たちの怒鳴り会う声が聞こえてきたのだ。

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