第211話 悲しみの伝言

「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」



 気持ちはくが、体が付いて行かない。


 何度なんども砂浜で足を取られ、幾度いくど転びそうになっても、ひたすら前へ、前へと進んで行く。


 そして、半島の先端せんたんにある浅瀬あさせ岩場いわばづたいに回り込むと、ようやく洞窟どうくつが見えて来た。



「はぁ、はぁ……っはぁ……」



 洞窟どうくつの手前で息を整え、中の様子を伺う彼女。


 朝方あさがたとは言え、既に初夏しょか


 降り注ぐ強い日差しと、洞窟どうくつやみとが、鮮烈せんれつなコントラストをなしている。



「あまり……変わりは無い……様ね……」



 彼女がこの場を離れてから、既に一週間が経過している。


 姉の容態ようたいは? いや、それよりも、姉がこの場所で待ってくれているのだろうか?


 正直、それさえも分からない。


 彼女は大きく息を吸い込んでから、洞窟の闇の中へとその身を投じて行く。



 ――ピチョン……ピチョン。



 洞窟どうくつの天井から数滴すうてきしずくしたたり落ちる。


 前に来た時に比べて、少しジメジメとした雰囲気が感じられる。



「うっ、何? この匂い……」



 鼻に突き刺さる異臭。


 彼女は思わず自分の鼻を両手でおおってしまう。


 生臭い。えた臭い。


 ざっと見渡して見るのだが、その臭いの原因がハッキリしない。



 いや……そうではない。


 そして、ゆっくりと自分の足元を見る。


 彼女の足元に広がる砂地には、明らかに他の場所と違う、赤黒く変色した染みが広がっていた。


 恐るおそる、その臭いを嗅いでみる。



「うっ!」



 紛れもない。それはの血。


 しかも、かなり大量の血がこの一面にばら撒かれたと言う事なのだろう。


 更にその血のあとを目で追う彼女。


 するとその一部は、天井近くの壁面にまでこびり付いているでは無いか。



「おっ、姉ちゃんっ! お姉ちゃーん!」



 少女はたまららず叫び声を上げながら、秘密の横穴へと走り込んで行く。



「姉ちゃんっ! お姉ちゃん!」



 せまい横穴をくぐり抜け、大きく開けた空洞くうどうの部屋へと駆け込んで行く。


 『風の流れ』の関係なのだろうか。


 先程のにおいはうその様に消え失せ、少ししおかおりを含むさわやかな風が、彼女のほほつたう。


 天井の何処どこかに亀裂でもあるのだろうか。


 そこから差し込む太陽の光により、部屋の中は十分な明るさがたもたれていた。


 急ぎ、部屋の中を見回す彼女。


 しかし、愛する姉の姿は、何処どこにも見当たらない。


 ただ、自分が居た時には無かったはずの大きなテーブルが中央に置かれ、そこには木製のトレイに乗せられた黒パンが六つ。


 更には木製のコップ二つが、早く使って欲しそうに、せられていた。


 恐らく自分達姉妹ふたりの為に、エニアスさん達が用意してくれたものなのだろう。



「いない……」



 そう。誰もいない。


 ベッドや、水ガメなど、その様子を確かめてみたけれど、残念ながら使われた形跡すら見受けられない。


 あまりの事に、何も考えられない。


 生まれてから一度も離れ離れになった事の無い姉である。


 今、その姉がいない。


 少女は失意しついのうちに、元来た横穴の方へと、ふらつく足取りで進んで行く。


 やがて、横穴の出口に差し掛かると……。



 ――ビリッ! 



「あっ!」



 入る時には気にもならなかった結界の仕掛け。


 彼女は、足に受けた突然の痛みに驚き、そのまま横穴の外へと倒れ込んでしまったのだ。



いたっ」



 痛む足をさすりながら、そっと上げた視線のその先。


 少し大きめの岩の陰に、何やら光る物が。


 少女はそっと手を伸ばして、その光るを手に取ってみる。



「ピ……ア……ス?」



 それは、ピンク色の石がはめ込まれた小さなピアス。


 しかも、そのピアスには見覚えが。



「お姉ちゃんの……ピアス」

 


 手の中のピアスを眺めながら、そっと自分の耳へ手を伸ばす少女。


 この感触、間違いない。


 自分のピアスとおそろいの、母に貰ったピアスだ。


 彼女はそのピアスが落ちていた岩のふちへとって行く。 


 すると、その岩肌には、何かとがった物で書かれた様な文字が浮かび上がっていた。



「ふぐっ……うぅぅぅ、はぁぁっ」



 その走り書きされた文字は、光の加減によっては全く見つける事ができない程の、はかなくも弱々しいものでしかなかった。


 ただ、その文字が伝える『想い』が、少女の心を大きく揺さぶり始める。



「うわぁぁぁん。お姉ちゃーん……」



 文字の書かれた岩肌を抱き締め、大声で泣き始める少女。



「うわぁぁぁぁぁ……」



 彼女のエメラルドグリーンの瞳から止めどなく流れる大粒の涙。


 単なる悲しさだけではない。


 姉に対する申し訳なさに、自分自身の不甲斐ふがいなさ。


 それらが綯交ないまぜとなり、胸が締め付けられる。


 ――……



 いったどれ程泣きくずれていたのだろう。


 一時間か、二時間か。


 一日なのか、二日なのか。


 もしかしたら、わずか数秒の出来事だったのかもしれない。


 その拷問ごうもんとも呼べる様な悲しみの時間は、このまま永遠えいえんに続くのでは無いかと思われる程に、彼女にとって残酷ざんこくな物であった。



「ふぅ、……ふぅ……」



 しかし、彼女を支配するそんな悲しみのオーラは、ある時点を境に、な変化を見せ始める。


 

「ふぅ、……ふぅ……ふうぅぅぅぅ」



 荒い息遣いとともに、彼女の右腕には薄っすらとした渦とも炎とも取れる黒い縞模様タトゥーが浮かび上がって来たのだ。



「……はぁ、はぁ、……っはぁ、はぁ」



 更にその一呼吸毎に、彼女の腕の模様は、色濃く、鮮やかになって行く。



「殺す……アイツ……コロス……」



 うわ言の様につぶやき始める彼女。


 少女の中の深い悲しみは、着実にいかりとにくしみに変換。


 更に、決意とものろいとも取れるその言霊ことだまは、加速度的かそくどてきに、憎悪ぞうおの気持ちを増殖ぞうしょくさせて行く。



「シャァァァァッ!」



 盛大に威嚇音いかくおんを発するミランダ。


 復讐ふくしゅうと言う名の悪魔あくまあやつられたけものが今、エレトリアの街へと放たれた瞬間であった。

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