第210話 老人ルーカス

「おーい、今帰ったぞぉ!」



 突然、屋敷中にひびき渡る大きな声。



「お前達っ! 装備の点検、終わってんだろうなぁ。さっさとヤレよぉ。後でチェックするからなぁ! ……それから、例のの件だけど、『捜索願そうさくねがい』は出てねぇらしい。問題無さそうだから、そのまま神殿しんでん孤児院こじいんで引き取ってもらえ。あとは、午後の見回りの件だけどなぁ……」



 待機していた兵士達に対して、矢継やつぎばやに指示を出す十人隊長。


 見ての通り、豪放磊落ごうほうらいらくな性格なのだろう。


 ただ、彼の辞書には、『機密保持』や『プライバシー』と言う単語は抜け落ちているに違い無い。



「ほほっ、良かったのぉ。どうやら、君のご主人様は太っ腹の様じゃ。それとも『捜索願そうさくねがい』を理由があるのやもしれぬがのぉ。まぁ、これでおは自由の身と言う事じゃなぁ」



 話す内容とは裏腹うらはらに、屈託くったくの無い笑顔を少女へと向ける老人。


 彼女の方も、彼から『自由の身』になれる……と言ってもらえて何だか一安心ひとあんしんの様子だ。



「あぁ、そうそう。ダモン爺さんによろしく伝えておくれ。ワシの名前はルーカス。……湾岸砦のルーカス、と言ってもらえれば分かるじゃろうて」



「あはっ! おじいちゃんのお名前って、『ルーカス』って言うの?」



 老人の名前を聞いて、思わず吹き出しそうになる少女ミランダ



「ん~? そんなに可笑おかしな名前かのぉ。特にめずらしい名前と言う訳でも無いがのぉ。まぁ、おは知らないかもしれんが、意外と立派な名前なんじゃぞぉ」



「ふふっ、ごめんなさい。ちょっと知り合いの男の子と同じ名前だったから」



「うんうん。そうか、そうか。それでは、その男の子と仲良くするんじゃぞぉ。それに、お姉ちゃんも早く病気が治ると良いのぉ」



 老人はそれだけを告げると、食器を片手に水場の方へ立ち去ろうとする。


 ちょうどその時、例の『大声』が、廊下の向こう側からやって来た。



「おぉ、爺さん。こんな所で何してんだぁ?」



「ほいほい。いや、何。ワシは朝食の食器を取りに来ただけじゃよ」



 さも、当然の事とでも言わんばかりの老人。彼はそのまま十人隊長の横を通って水場の方へ行こうとする。


 しかし、十人隊長はそんな老人の首根っこを捕まえたと思ったら、そのまま彼の耳元で話し始めたのである。


「おいおい、爺さん。良い所に居たなぁ。爺さんも神殿しんでん孤児院こじいんの場所ぐらいは知ってるだろう? 今、人手ひとでが足りねぇからよぉ。ちょっと用事を頼まれてくれや」



「あいや、分かり申した、分かり申した。ただ、この手は放しては下さいませぬかのぉ? それに、ワシは足腰あしこしは弱ってはおりまするが、耳だけは十分達者たっしゃ。そんな大きな声で話されないでも、十分聞こえておりますじゃ」



 一応、十人隊長は雇い主ではあるので、多少の礼儀はわきまえつつも、とにかく迷惑そうな老人。


 しかし、十人隊長はそんな事など、全く気にも留めない。



「よしよしっ! 頼まれてくれるか。それでは早速頼んだぞぉ。だはははははっ」



 まるで嵐の様な男である。


 その後、テキパキと指示を与えると、そのまま待機部屋の方へと帰って行ってしまった。


 まぁ、多分にこの程度の太い神経の持ち主でなければ、十人隊長の重責じゅうせきは務まらないのかもしれない。


 要するに彼からの指示は、人手が足りないので、この少年を神殿しんでん孤児院こじいんまで連れて行って欲しい……と言う事らしい。



「ふぅ。やれやれ。ほんにせわしない男じゃのぉ」



 半ばあきらめ顔で、そうつぶやく老人。



 ――ガチャ、ガチャガチャ!



 今度は背後で大きな物音。

 

 その音に振り返ってみれば、牢の中の少女が満面まんめんみを浮かべながら、両手で鉄格子をガタガタと揺らしているではないか。



「おじいちゃん、おじいちゃん! 出られるの? 私、出られるの?」



「ほほほっ。こっちはこっちで、せわしないのぉ。まぁ待て待て。とりあえずこの食器を片付けて来るからのぉ。出るのはそれからじゃ」



 老人はゆっくりうなずきながら、食器を片手に水場の方へと行ってしまった。



 ◆◇◆◇◆◇



 程なくして、海岸線の大通りを歩く老人との二人。


 結果的に今回の事件万引きについては、子供のイタズラ……と言う事で処理されたらしい。


 そのおかげで、彼女自身、鞭打むちうちなどの刑罰けいばつせられる事も無く、無罪放免むざいほうめんとなったのである。


 ただ、もし鞭打むちうちになっていた場合は、彼女も上半身はだかになる必要があり、それはそれで、もうひと悶着もんちゃくあったであろう事は想像そうぞうかたくない。


 また、なぜこれほど長い間、拘留こうりゅうされねばならなかったのか? と言う点。


 それは、時々発生する奴隷の足抜あしぬけを疑われていたからである。


 奴隷どれい誓約せいやくを行った奴隷が、主人の元を逃げ出すのは、正に命がけの行動となる。


 しかし、まだ成人前の子供の場合、奴隷どれい誓約せいやくによる命の危険がある訳では無く、そのまま遠地へと逃亡を図る事が出来ない訳では無い。


 特に奴隷の子供は奴隷……と定められているので、奴隷である親が、我が子をあわれんで、そっと逃がそうとする事案じあんが後を絶たないのだ。


 当然、主人の方もそれを見過ごす訳には行かない。


 奴隷とは資源であり大切な資産なのである。


 奴隷の逃亡が発覚した場合、主人側ではその捜索そうさくを正規軍の方へと依頼する事が出来る。


 領民の財産を守るのは、領主の務め。


 些事さじの様に思われるかもしれないが、領主と領民、それぞれの関係は、比較的ドライな損得勘定そんとくかんじょうで成り立っているのである。



「ねぇ、おじいちゃん」



「うん? なんじゃ」



 老人の前を行くが、振り向きざまに、俯き加減で話し始める。



「私ね。必ず帰って来る。必ず帰って来るから、ほんの少しだけ、ほんの少しだけで良いの。……あのぉ……ちょっと……お姉ちゃんの所に行って来ても……良い?」



 恐るおそる老人に向かって、そうたずねる


 確かに、やろうと思えば、このまま走って逃げる事は容易たやすい。


 しかし、無罪放免になったとは言え、途中で自分が居なくなっては、この老人に何らかの迷惑が掛かるかもしれないのである。


 それは、彼女なりの気遣きづかいであった。


 しかし、老人の方も、そんな事は百も承知。



「あぁ、構わんよ。ワシの事は気にせず行きなさい。後はワシの方で上手く言っておくから」



 老人はおだやかなみをたたえたままで、その手に持つ小さな麻袋あさぶくろを少女に手渡してくれる。



「この中に黒パンとヤギのチーズがはいっているよ。お姉さんに持って行っておあげ」



「えぇっ……でもぉ……」



 ただでさえ迷惑を掛けるかもしれない人から、この様な物までもらう事はできない。


 押し返そうとするのだけれど、老人は半ば強引に彼女の手へとその麻袋あさぶくろを握らせてしまう。



「おじいちゃん……」



 その老人はなおうなずきながら優しく微笑ほほえむのみ。



「……」



 どうして良いか分からず、麻袋あさぶくろを胸に抱いたままでうつむく少女。



「ほれほれ。何をしておる。早く行かんと、お姉ちゃんが待っとるぞぉ」



「うっ、うん。……おじいちゃん。ありがとっ。本当にありがとっ!」



 ようやく吹っ切れたのだろう。


 少女は感謝の言葉を口にしながら、砂浜の方へと駆け出して行った。


 途中、何度も何度も振り向く少女。


 老人は少女の姿が見えなくなるまで、手を振りながら見送ってくれたのだった。





 やがて……。



「あれは……半島の方じゃなぁ。あの様子だと、がけの向こう側……と言った所かぁ。あんな所に身を隠す様な場所があったかのぉ……」



 そうつぶやきながらも、思案顔しあんがおの老人。



「さぁて、隠れ場所を確かめるのが先か、それとも御館おやかた様へご報告するのが先か……」


「ほほほっ、まぁ、何にせよ、ワシにもようやく『運』が回って来たって事じゃのぉ……」

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