第192話 反省の場所

「いやぁ、兄貴ぃ。だから何度も言ってますけど、俺は本当に見て無いですってぇ」



 その少年は、前を歩くもう一人の少年の裾を引きながら懇願しきりだ。



「黙れっ! ルーカスッ! もういいよっ! そんな言い訳、聞きたかねぇってんだよっ!」



 前を行く少年は後ろを振り返る事すら無く、憤りの気持ちを隠そうともしない。


 時刻は既に午前十時を少しまわった頃か。


 基本、昼頃までしか仕事をしないこの世界の人々にとって、一仕事ひとしごとを終えてちょうど休憩を取る時間帯でもある。


 そんな中、大声で言い争いながら遊歩道を歩く二人。


 遊歩道脇で休憩している庭師の連中も、物珍しそうに二人の事を見やっている様だ。



「大体よぉ、さっき小部屋の中で嬉しそぉぉぉな顔でお前っ、親指立ててたじゃねぇかよぉ、お前っ!」



「いやいやいや、兄貴ぃ。あれはですねぇ、兄貴が『見たのか?』って聞いて来たから、そりゃのはもんだから、『見ました!』って正直に話しただけで、兄貴の言ってる『かどうか?』って言う意味とはちょっと違うんですよぉ」



 ルーカスは何とか兄貴クリスを説得しようと必死だ。



「つまりですねっ! あの時あの女は手水ちょうずの水を柄杓ひしゃくですくってぇ、隣の便座の所から『ちょろちょろちょろぉぉ』って流してただけなんですってぇ。つまりぃ、兄貴を引き留める為に一芝居打っただけだったんっすよぉ!」



「……んんっ?」



 その話を聞いたクリス。 思わず足を止めて後ろを振り返る。



「って事ぁ、ありゃあ……黄金水おうごんすいじゃあ無かったって言うんだなっ?」



「へぇ? えっ……えぇ、まぁ、黄金水おうごんすいが何かは知りませんけど、間違いなく柄杓の水でしたよ」



 ようやくクリスが自分の話を聞いてくれた事で、少し安堵するルーカス少年。



「なぁんだ、そうかぁ……」



 その話を聞いて、顎に手を当て、当時を振り返る様に目をつむるクリス。



「まぁなぁ。俺ぐらいの遊び慣れた大人な男はよぉ。いくら美人たぁ言え、簡単な色仕掛けぐらいじゃあ、直ぐに部屋を出て行っちまうからなぁ。まぁ、あの女も俺を引き留めようと必死だったっつぅ訳だろうな。まぁ、俺が遊び慣れた大人だからよぉぉぉ」



 クリス的にはそっち方向で、自分のプライドを納得させる事にしたらしい。


 まぁ、ルーカスも『見て無い』って事が一番大きな理由ではあるが。



「まぁ俺も後ろを向いてたし、場所が場所だしなぁ。まっ、大人の駆け引きに慣れた小粋な俺様も、すっかり騙されたって訳だなぁ」


「はぁぁあ、怖い、怖いなぁ。やっぱり女性って言うのは怖ぇもんだよなぁ。俺クラスの『遊び慣れた大人の男』ですら騙されちまうんだからよぉ。かぁぁ、だからこそ人生ってヤツは、面白ぇもんなんかもしんねぇけどなぁ……うんうん」



 いつの間にか、人生論まで語り出すクリス少年。


 ちなみに、彼はまだ十四歳である。



「でもよぉ、確か俺が振り返った時、ちょうど便器の一つが明るくなったじゃねぇかぁ。……って事ぁあん時、あの女は座ってた……って事なのか?」



 ふと疑問に思うクリス。



「えぇ、用は足して無かったっすけど、座ってましたねぇ」



 ルーカス即答。



「えっ? 普通に?」



 クリス追い打ち。



「えぇ、普通に」



 ルーカスもう一度即答。



「えっ? 普通ってどんな格好?」



 止めときゃ良いのに、クリス追加質問。



「えっ? 便座に座るって言ったら、普通に……」



 とそこで、遅まきながら話の流れを理解するルーカス。



「おいっ、ルーカス? 正直に答えろ。しっ、尻は……尻は出てたのか?」



 追撃の手を緩めないクリス。その先に幸せは無いのに。



「あっ……あぁぁ。あのっ、……パンツ! そう、パンツ履いてましたっ! そうですっ! パンツ履いてましたっ!」



 重要な事を思い出し、多少食い気味で報告するルーカス。


 しかしその行動がまるで、ルーカスが勝ち誇っているかの様に感じてしまうクリス。



「うきー! 結局見てんじゃねぇかよぉぉ! 美女のパンツで『美女パン』見てンじゃねぇかよぉぉ」



 またもや取り乱し始めるクリス少年。


 

「あっ、兄貴ぃ。『美女パン』って、二文字しか短くなって無いっすよ」



「馬鹿野郎っ! 突っ込み処はそこじゃねぇよぉ! もっと重要な事が他にあるだろぉぉ!」



 いつもは小鳥がさえずり、草木の風に揺れる音が耳に楽しい庭園横の遊歩道。


 そんな中、今日はクリス少年の傍若無人な騒ぎ声が響き渡る。


 と、その時。



「はぁぁぁあ! うるせーっ! ホントの馬鹿野郎はいったいどこのどいつだよっ! お前ら便所で捕まって、これから牢屋にぶち込まれに行く所なんだぞっ! もうちょっと緊張感ってヤツぁ無ぇのか? 緊張感ってヤツぁよぉぉ!」



 ついに堪忍袋の緒が切れる副隊長バウル


 まるで散歩でもするかの様に歩いている二人だが、その前後には屈強の兵士が三名、彼らを連行している真っ最中だ。



「えぇぇ。だって俺達仕事であそこに居ただけなんだぜぇ。他に何にも悪い事してねぇし。だいたい、あの女の尻だって俺は見てねぇんだよ。って言うか、あの女が減るモンじゃねぇから見せてやるっつったんだもんなぁ。ほらほらぁ、俺は全く悪い事をしてねぇよぉ。なぁルーカス。お前もそう思うだろう?」



 半分不貞腐れぎみに両腕を頭の後ろで組みながら、バウルに対して口応くちごたえを始めるクリス少年。


 昨日は衛兵に対してあれだけ殊勝な態度を取っていたにも関わらず、今日は態度が一変。


 この期に及んで腹も据わったのだろう。完全にいつもの調子で捲し立てている始末だ。



「って言うかさぁ。捕まえるんだったら、ルーカスコイツだけにしてくれよぉ。ルーカスコイツは少なくともあの女のパンツを見てるからよぉ。少なくともルーカスコイツは痴漢確定だよ。そうだよ。痴漢のルーカス、略して『痴漢ルーカス』だよっ!」



 それを聞いたルーカス少年。



「兄貴ぃ。今度は一文字しか短くなって無いっす」



「んだとぉ、ゴラァ! まだ兄貴に逆らうって言うのか? お前は舎弟のクセに、まだ兄貴の怖さが分かって無ぇみたいだなぁぁ、ゴラァ!」



 ――ゴン、ゴンッ!



「「ってー!」」



 突然、二人の頭上に舞い降りたゲンコツ。


 突然の激痛に、二人は頭を抱えたままその場にしゃがみ込んでしまう。



「うるせーっつったら、うるせー! 兄貴に逆らう前に、俺に逆らうなっ!」 


「って言うか、ほれ、着いたぞっ! 今日は大人しくここに入って反省してろっ!」



 そう言われて道の先を見上げる二人。


 そこには一種独特の雰囲気を持つ巨大な建物が、呑気な二人を静かに待ち構えていた。

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