第178話 クロエと同期のマリレナ
「……アドナ、皇子様はどちらに?」
務めて平静を装う彼女。
しかし、落ち着きの無い彼女の視線からは、その焦り具合が十分に読み取れる。
「はい。皇子様はダニエラ様との
めずらしく取り乱しているダニエラに驚きを覚えつつも、アドナの応答はいたって冷静だ。
「そう……わかりました」
アドナの報告を聞き、一瞬だけその瞳を閉じるダニエラ。
その間、わずか一呼吸。
その短い間に、彼女は逡巡すべき何かを振り切ったのであろう。
再び開いたその瞳には、いつものダニエラらしい聡明な光が浮かんでいた。
「それではアドナ。今から
そう告げられたアドナは、まるで予想していたかの様に、脇に控える第二侍女のクロエに向かって目配せを一つ。
クロエの方も無言で頷くと、即座に踵を返し、そのまま部屋の外へと走り去って行ったのだ。
その様子をオロオロしながら眺めている第三侍女のドルカ。
「ドルカ。急いで大司教様のガウンを。その後は、この事を執事のイリアスに伝えてから、
まだ新人のドルカ。流石に目配せだけで動くことはできない。ただ今は与えられた役目を精一杯果たすのみ。
「はっ、はいっ!」
彼女は大きく返事をすると、取るものもとりあえずクローゼットの方へと駆け出して行くのであった。
◆◇◆◇◆◇
そして、
「失礼いたします。ダニエラ大司教様の第二侍女、クロエでございます。これから大司教様がこちらにお越しになられます。急ぎ、リーティア司教様にお目通り願いたく……」
そう無表情に話すクロエ。
しかし、目の前には二人の侍女が、その行く手を阻むかの様に立ちはだかっていた。
「いやぁ、それは無理っすよ! だって、リーティア様が絶対に誰も入れちゃダメって言ってたんですものぉ。それに先輩の話だと、今頃お風呂の中では
――ゴッ!
リーティア第二侍女のミルカがまだ話している途中にも関わらず、彼女の後頭部からは鈍器で殴られた様な音が聞こえて来る。
「……あべしっ! ってあたたたたたっ!
片手で後頭部を押さえ、更にもう片方の手で自分の口元を押さえつつ、それでもなお先輩侍女のマリレナに文句を言うミルカ。それはそれで大した根性である。
「しかも
――ゴッ!
なぜだかミルカの後頭部からは、再び鈍器の様な物で殴られる音が……。
「……あべべっ! って、あたたたたたっ! いやマジで、いーやマジで止めて下さいよぉ、クロエさぁん! クロエさんのはシャレにならないっす。全然冗談になって無いっすよぉ! だって、クロエさん、神殿内でも有数の武闘派じゃ無いっすかぁ! ダメっす、クロエさん、全身が凶器なんですから! マジやばかったっす、ほんと、マジヤバかったですって、だって、私一瞬プロピュライア越えましたもの。神界見えちゃいましたものぉ!」
それででも止まらない、ミルカのマシンガントーク。
いい加減面倒になってきたクロエは、本気で終止符を打つべくその
「あぁいやいや、お待ちなさいな、クロエ。流石に皇子様のお屋敷で死人を出すのは如何かしら……」
そろそろ潮時であると判断したマリレナ。
彼女は本気になりつつあるクロエを宥めるべく、そっと二人の間に割って入って来たのだ。
そうは言っても、一番最初にミルカ殴ったのは彼女なのだが。
「私を足止めしようと言う魂胆は見えています。本当に火急の用事なのです。今すぐリーティア様に取り次ぎなさい」
これだけ体を張ったコントを見せられた後にも関わらず、全くの無表情を保つクロエ。これはこれで立派なものである。
「ふう……。分かりました。それでは私がこれから中に入って、リーティア様にご報告して参ります」
『やれやれ、仕方がありませんね……』と言う雰囲気を醸し出しつつも、なぜか嬉しそうに頬を紅潮させているマリレナ。
そんな彼女の後ろから、無表情のクロエが一言。
「マリレナ。あまり時間はありませんよ。じきに大司教様が到着されます。その時は問答無用で入らせて頂きますからね」
彼女にしてみれば脅しのつもりだったのかもしれない。しかし、マリレナは違う風に理解した様で。
「クロエ。任せなさい。ちゃんと良い感じの所で呼んであげるからっ。それに、皇子様が真っ最中だったらどうするの? それを止められるの? 殿方にそんな事が出来ない事ぐらいあなたにだって分かるでしょ?」
まるで子供をあやす様に言い含めるマリレナ。
依然、全くの無表情でその話を聞いていたクロエではあったが、何か思う所があったのだろう。
マリレナの言葉に対して小さく頷きを返すと、その場で両手を組んで仁王立ちのポーズに。
ただ、無表情であるはずのクロエの頬が、少しだけ赤くなっているのはミルカを殴った所為だけでは無さそうだ。
「はぁ、はぁ……」
テルマリウムへと向かう重厚な扉に手を掛けるマリレナ。
なぜだか浅い息遣いに、紅潮した頬。更にだらしなく伸びた鼻の下はデバガメのそれである。
「えへへへっ……いっただっきまーっす!」
訳の分からないご挨拶とともに、ドアノブを握る両手に力を入れるマリレナ。
そして、ゆっくりと開かれて行く扉。
ちょうど、マリレナひとりが通れる程に扉が開けられたその時。
「キャーーーー!」
テルマリウムの中からは、けたたましい女性の叫び声が聞こえて来たのであった。
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