第十九章 正妻の座(皇子ルート)

第176話 貴重な記憶の断片すら

「皇子……様」



 どこか遠くで俺を呼ぶ声が聞こえる……。


 その声がどこから聞こえて来るのか……は……分からない。



 ただ、そう。


 その声が聞こえた時、俺はある事に気付いたんだ。



 体が……軽い。


 何故だかは分からないけど……。


 まるで空中を漂っているみたいに。


 その浮遊感は何物にも代えがたく、俺を幸せな気持ちで満たしてくれる。



 ……自由?


 そう、俺は自由だ。


 今の俺は優雅に大空を飛び回る事だって、出来るかもしれない。


 いや? もう飛んでいるのか?



「……皇子様」



 もう一度聞こえる優しい声。


 誰かが、誰かが俺の事を呼んでいる。


 でも、俺はここに居たいんだ。何しろ俺はここでは自由なんだから。


 ただ、その声が聞こえる度にまた一つ、新しい発見をする事になるんだ。



 そう、今度は香り。


 何故だかは分からないけど……。


 鼻腔をくすぐる甘く切ない、今までに一度も嗅いだ事の無い良い香り。


 その漂う芳香は、俺をとても安らかな気持ちに導いてくれるのさ。



「とっても良い匂い……」



 誰かに話し掛けた訳では無いんだけれど……。


 

「……ふふふっ」



 俺のそんな呟きに応じる様に、聞こえて来る小さな笑い声……。



 誰か、誰かが近くにいるのかな?



 でも、その笑い声を聞いてもう一つ新しい発見が……。



 それは、柔らかくて……そして温かい事。


 俺は何か『ふわふわ』した物に包まれてでもいるんだろうか。


 その感触は、『耐えがたい』ぐらいに心地が良いんだ。



 何が耐えがたいかって?


 そうだなぁ……。


 とにかくこの心地良さは、間違い無く俺をダメにするほどの気持ち良さなんだ。


 この『ふわふわ』さえあれば、他には何もいらない……と思わせるだけの代物って事なのさ。



「うぅぅ……ん……」



 更にその『ふわふわ』を堪能しようと、俺はそっと手を伸ばしてみる。



「……あんっ」



「……えっ?」 



 えもいわれぬそので、急に現実世界へと引き戻される俺。



 俺は一体何をしてるんだ?


 いやいや、何をしてたんだっけ?


 確か……。


 そう。俺はリーティアと一緒にお風呂に入ろうとして、リーティアの可愛い『足トントン』を十分堪能し尽くした後で……あぁ、そうそう、リーティアが裸バスタオルで現れて……。


 そうだっ! 辛抱たまらなくなった俺は、ビンビンのロングソードを携えて『ぎゅー』ってしてからの『ちゅー』を実行すべく立ち上がってぇ……。



 う~ん……?


 ……『ぎゅー』っとして『ちゅー』……って……どうなったぁ?



 何故だろう? 一番大事なから先の記憶が、どこをどう探しても出てこない。



 あれぇ?



 俺は瞼を少しだけ開けてみる。


 俺の目の前にあるのは……白い柔らかな……シルクの布?


 あぁ、シーツかぁ……んん? シーツゥ?


 今度は視線を足元の方へ。


 淡いオレンジ色の光が透けて見える……あぁ、レースのカーテンだなぁ。……んん? カーテン?


 どうやら頭は何か弾力性の高いに固定されてて、あまり動かせないみたいだ。


 実際問題、顔の右半分が完全に埋まってる。



 はっは~ん。どうやらベッドの上だなぁ、これ。


 って言うか、天蓋付きのかなりデカいベッドに横になった状態で寝てるなぁ……俺。



 うぅぅん。って事はぁ……。


 ……


 ……


 ……


 ……やっちまったな。


 全く記憶には無いけど……これはやっちまったパティーンのヤツだなぁ……。



 俺はようやく感覚を取り戻しつつある右手を使って、そっと胸元のシーツをめくってみる。



 あっちゃ~。スッポンポンやぁ。なんにも着とりまへんわぁ。


 なぜだか心の中では、関西弁で状況を把握。



「そうかぁ……ヤッちまったかぁ……ふぅぅ」



 俺はそう独り言ちると、溜息を一つ。



 これはマズい。非常にマズい。


 何としても。そう、何としてでもその貴重な記憶の一部を……いやいや、断片だけでも良いから思い出さねばなるまい。


 そう固く決意した俺は、少し頭をずらして仰向けの姿勢でもう一度瞳を閉じる。



「……皇子様、お目ざめですか?」



 ――ビクッ!


 

 体中の筋肉に緊張が走る。



「……リッ、リーティア?」



 俺は瞳を閉じたままで、確認の意味を込めてその名前を呼んでみた。


 だって、それはそうだろう。


 ここはベッドの上。しかも天蓋付きである。……あぁ、天蓋は関係無いか。


 しかも俺は全裸。


 そして、耳元から女性の声が。



 どう考えても。どーぉぉ考えても、俺はちまってる。


 しかもだ。何と情けない事に、その事を全く覚えていないと来たもんだ。



 はうはうはう! 痛恨っ! 何だか悪い予感がするっ!


 こんな状態で、まさか……まさかとは思うのだけど……『いかがでしたか?』とかって聞かれちゃってみろぉ! 俺は何て答えれば良い? ねぇ、俺って何て言えば良い? 『うん、まぁ、良かったよ……』とか言えば良いの? えぇぇ、俺絶対に無理。そんな事言えない。って言うか、それが正解なの? 本当にそれが正解だって言えるのか? って聞いてるんだよ馬鹿野郎ぉ! あぁ、申し訳無い。ちょっとテンパり過ぎて興奮しちゃったのさ。許してくれっ! でもだよ、全然覚えて無いんだよ。全く記憶が無いんだよぉ。もしかしたら俺、とーんでもない事しでかしちゃっててさ。リーティアに、あんな事とか、こんな事まで要求しちゃっててさぁ。そんでもって、そんな状態にも関わらず……『うん、まぁ、良かったよ……』なんて言ってみぃ? そりゃ、俺って、それが普通……って事になっちゃうじゃん。えぇぇ。それ普通の事やってりゃ良いよぉ。でも普通の事やった記憶が無いんだもの、えぇっ? そんな事言うなら、普通じゃ無い事やった記憶があるのか? だってぇ! 何言ってんだよぉ。その両方ともに無いから困ってるんじゃ無いかよぉ。 かぁぁ、これだから童貞捨てた事も無い童貞 ――当たり前だね。すみません、ちょっと錯乱しているので許してくれ―― は御し難いっ! とにかく俺は普通の事をやった状態の記憶が欲しいの、ただそれだけなのぉ!



 そんな時に限って俺の悪い予感は良くあたる。



 ――ポタッ ポタッ。



 俺の頬に、何か温かい雫が……。


 俺は勇気を振り絞ってそっと瞼を開けてみたんだ。



 するとそこには……。


 薄暗い部屋の中でもひと際輝く様なストレートの黒髪。


 どこかエキゾチックな印象を包含する美しい顔立ち。


 その滑らかな曲線を描く長いまつ毛は、何故か彼女の涙で濡れている……。


 そんな彼女は、その細く華奢な指先で、たった今俺の頬を伝ったばかりの涙を拭おうとしていたんだ。



「……皇子様……すみません……そんなつもりは無かったのですが……どうしても……涙が……」



 彼女は下唇を噛みしめる事で、何とか嗚咽を面に出すまいと必死の様子。


 それでも無理に笑顔を作りながら、俺の頬に落ちた自分の涙をそっと拭ってくれている。



 ――ポタッ ポタッ。



 ただ、その流れ落ちる涙はとどまる事を知らない。



「ダニエラ様、殿方がしとねで、他の女性の名前を呼ぶ事など日常茶飯事。お気になさってはいけませんよ」


「皇子様、最っ低……もごもごっ」


「ダニエラ様、しっかりっ! ダニエラ様、しっか……うぅっ……えぐっ! うぇぇぇん」



 あぁぁ。ダニエラ親衛隊かぁ。



 最初の娘。それってフォローになってる? ねぇ今のこの状況でフォローになってるぅ?


 それに二番目のディスリ娘。完全に『最低』って言ってたなぁ。後半、誰かに口を塞がれたみたいだけど。


 しかも三番目。完全にもらい泣きしてるじゃん。もう、完全に泣いちゃってるじゃん。


 って言うか、一部始終、この娘達、見てたって事? ねぇ、そう言う事でしょっ!


 はうはうはう! どう言う事? ねぇ、どう言う事?



 確かに俺の悪い予感は当たった。


 しかも、それは最悪の状況と言えるものであったのだ。

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