第167.御簾の間での死闘(前編)
「兄貴ぃ。落とさないで下さいよぉ」
「たりめぇだろぉ。俺に任せとけば間違いねぇんだよ」
心配そうに眺めるルーカスを後目に、大きな布包みを背負ったクリスは、意気揚々とした表情だ。
もともと、クリスは比較的小柄なルーカスよりも――少しだけではあるが――更に背も低く、どちらかと言うと、荷物を背負う様な力仕事をする印象は無い。
彼自身も、自分の体形を活かした
しかし、そんな彼が背負っているのは、自分の身の丈程もある大きな布袋。
実際には、予備のシーツを使って、
当然その布の中には、薄紅色の髪を持つ獣人の少女が包まれているのだ。
ルーカスからの心配を他所に、クリスは、大事そうにその荷物を自分の背中へと押し上げる。
「あぁぁ! 今お姉ちゃんのエッチな所、触ろうとしたぁ!」
その様子を横から見ていたのが妹のミランダ。恐らくクリス本人もそんな気は無かったのだろうが、背中の
「バッ、バカ言うなよ。俺様がそんな事する訳ねぇだろ?」
想定外の物言いに、顔を真っ赤にして怒るクリス。ただ、その様子を見る限り、あながち言われた事全部がウソ……と言う訳でも無いのだろう。
「あ~や~し~いぃ」
可愛いほっぺを少し膨らませて不満を表現するミランダ。
「んだとぉ、この野郎ぉ! 人様に助けてもらっといて、その言い草は何だよぉ」
勢いよく啖呵を切るクリス。
しかし、ちょっと怒った顔のミランダが予想以上に可愛くて、思わず視線を逸らしてしまう所が彼の純情。
「んべぇぇ! まだ助けてもらってませんからねっ! それに、私を助けに来てくれたのはルーカスだもん! ねぇ、ルーカスッ!」
ミランダは、その小さな舌をクリスに思う存分見せつけると、またもやルーカスの腕を抱きかかえたままで、彼の背後へと隠れてしまう。
「うきー、コイツ言わせておけばぁ!」
大きな
「コラコラ、いい加減にして。遊びに来たんじゃ無いんですよ。もしミランダさんが気に入らないのであれば、ルーカスに背負ってもらいますか?」
「「えっ?」」
クリスとミランダの『じゃれ合い』が、なかなか収束しない事に業を煮やしたエニアスは、代替案を二人へと提示。
それを聞いた二人は一様に驚きの表情だ。
「えぇぇっとぉ、ルーカスは私と居ないダメだしぃ……。ルーカスがお姉ちゃん背負うのはちょっとぉ……」
ルーカスと一緒に居たいとの想い以上に、ルーカスがお姉ちゃんを『背負う』事が許せないミランダ。その感情が一体どこから湧いて来るのか? 未だに自分の気持ちの整理がついていない少女。
一方クリスの方も。
「かっ
と、背負った
しかし、クリスに『ミランダちゃん』と呼ばれたミランダ本人は、思い切り怪訝な表情。
「えぇぇ、
と断言。
「んだとぉ、コイツ! もういっぺん言ってみろぉ!」
簡単に『キレ』るクリス。
「いやぁぁん、ルーカス助けてぇ!」
ルーカスの腕を抱き、彼の背後に隠れるミランダ。
「えへへへ。兄貴ぃ、止めて下さいよぉ」
背後に隠れる
「うきー、
と、更に『キレる』クリス。
……ここまでが予定調和のワンセットである。
「ほらほら、お姉さんの容態が安定している内に、荷車の方まで運んでしまいやしょう。ルーカスさん、ミランダさん。家政婦長が来たら、上手くあしらってから、急いで
今度こそ話に区切りを付けたいエニアスは、ルーカスとミランダに後を託すと、そっと入り口のドアを開けて外の様子を探り始めた。
「「はいっ!」」
大きく頷くルーカスとミランダの二人。
エニアスはそんな二人に頷き返すと、周囲を警戒しながら廊下へと滑り出て行く。
「それじゃ、先に行ってるぜっ」
「気を付けて、兄貴」
「……お姉ちゃんをお願いします」
クリスは、心配そうに見つめるルーカスとミランダに笑顔で答えると、エニアスの後を追って、静かに入り口の扉を潜り抜けて行った。
幸い、巡回の谷間だったのだろう。誰にも遭遇する事無く、元来た廊下を通り、正面玄関ロビーの階段を下りて行くエニアスとクリス。
元々建付けがしっかりしている所為なのか、それとも床に敷き詰められた高級な絨毯の仕業なのか。物音ひとつ立てる事無く歩みを進める二人。
そして、
「あら、あら? 泥棒さん達は、ようやくお帰りかしら……」
「「!……」」
月明かりが差し込むその部屋。
彼らが最初に侵入した窓枠を背に、丁度エニアスが差し込んだナイフの傷痕を指でなぞりながら、一切振り向く事無く二人へと話し掛けて来るその女性。
「普段は誰もいないはずの
その女性は、ようやく二人の方へ向き直ると、旅先で十年来の旧友にでも逢ったかの様な優しい笑顔を浮かべて見せる。
「ちなみに……私の名前はステファナ。ヴァンナ様の第一侍女をしているの。……ところで、あなたのお名前は?」
「「……」」
「そうよねぇ、泥棒さんに名前を聞いても、教えてくれるなんて事、ある訳無いものねぇ……」
ステファナと名乗るその女性は、先程まで窓枠を触っていた指に埃が付いていたとでも言うのだろうか。その細く華奢な指先を少し擦りながら、軽く息を吹きかけて見せる。
「コイツの落ち着き様は尋常じゃねぇ。もしかしたら、手練れの可能性もある。ここは俺がコイツを引き付ける。お前は、先に
「へいっ!」
エニアスは、隣にいるクリスにしか聞こえない様な小さな声で、先に
マヴリガータは、小さいながらも訓練された
自身の心情がどうであれ、先に行けと言われれば、どうやってこの場を脱出する事が出来るのか? ただそれだけを最優先に考え始めるクリス。そこには、一切の迷いも妥協も許されない。
「あら? お話しは付いたの?
「クリス!」
突然エニアスはそう叫ぶと、隣にいたクリスを突き飛ばしたのだ。
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