第150.喧嘩をやめて

「ミッ、ミランダ! 苦しっ!」



 少女に抱きすくめられ、小さくは無いその胸に、顔いっぱいをうずめるルーカスは、全く息が出来ない。


 綺麗に刈り込まれた芝生の上で、お互いの存在を確認し合うかの様に抱き合う二人。


 そこは、妾専用館の庭園。


 ミランダが館二階の出窓から、突然飛び出ダイブして、ルーカスへとしがみ付いて来た直後である。


 少年の背中や、少女の愛らしいネグリジェゼズには、転がった時の木の枝や芝生等が付いてはいるものの、当の本人達二人は、軽傷すら負っていない様子だ。



「あのぉ……ルーカス、ごめんね。あんまり嬉しくって、つい……」



 ミランダは、少し申し訳無さそうな表情で、両腕の力を緩めてくれる。


 少女はもう、寝る間際だったのであろう。


 身に纏っているのは、本当にネグリジェゼズだけ。


 細身の割に、触ってみると肉感的な少女に抱きすくめられ、本来であれば、至福のひととき……と言いたい所だが、如何せん少年は息も出来ず、生存の危機に直面していたのである。残念ながら、彼女の感触を楽しむ余裕は、彼には無かった。



「ぷはぁぁ……はぁぁ、はぁぁぁ……ヤバかった、今回のヤバかったぁ」



 ミランダの形の良い胸から解放されたルーカス。荒い呼吸を繰り返しながらも、とりあえずの生還を喜んでいる様子。


 ……しかし。



「ルルル、ルーカス! おぇ、今回って、言いやがったなぁ。って事は、前回があるのか? って言うか、あったのか? と言うより、ヤッちまったのか?」



 その様子を横で見ていたクリスは、驚愕の表情。


 しかも、どうでも良い所を結構『拾って』来ると言う、守備範囲の広さは、正に突っ込みに適した性格と言えるだろう。



兄貴あにきぃ、突っ込みどころが細かいっすよ!」



 未だ、少女の胸の中で、優しく抱きかかえられているルーカス少年。彼は、軽く勝ち誇った表情で、クリスの突っ込みを混ぜっ返して来る。



「うきーっ! そんな事より、早く離れろ! とにかく離れろ! 話はそれからだ!」



 どうもこうも、納得の行かない、クリス少年。



「ねぇ、ルーカスゥ。さっきから、この横で『ワンワン』言ってるって、誰?」



 ミランダは、何故だかルーカスを取られまいと、クリスからルーカスを隠す様にしながら、もう一度自分の胸へと引き寄せる。



「あっ、あぁ、ミランダ。横に居るのは、クリス兄貴。ミランダとお姉ちゃんを一緒に助けてくれる仲間なんだよ」



 そう紹介されたにも関わらず、未だ怪訝な表情でクリスを睨みつけている少女。


 大体、一番最初に部屋の中へと石を投げ込んで来たのは、このクリスである。


 既に彼女の中では、クリスは『敵対者』としての設定が出来上がっているのであろう。



「んだよぉ、このあまぁ。やんのかぁ? コラァ!」



 クリスの方も、ミランダから目を逸らす事無く、啖呵を切り始める。



「シャーッ!」



 クリスを睨み付けるミランダの目が、妖しく輝いたかと思うと、その愛らしい口元からは想像もできない、獣人特有の威嚇音が発せられる。


 更に、少女は戦闘体勢に移行しようとでも言うのか、先程までは、ルーカスを包み込む様に柔らかだった彼女の腕は、突然引き絞られた弓の様に緊張し始め、更には、その二の腕には、薄っすらとした渦とも炎とも取れる様な、黒い縞模様タトゥーが、浮かび上がり始めていた。



「ミッ、ミランダ! 落ち着いてっ! ダメだよ! 兄貴は仲間だからね」


「あぁ、兄貴も、止めて下さい! 兄貴! 本当に止めといた方が良いですよ! 兄貴だと絶対勝てないっす! ホント、マジヤバいっす!」



「んだよっ! ルーカス! ふっざけんなよっ! 俺がこんな小娘に負けるハズが無ぇだろぉ!」



 自分に対する『止め方』の扱いが、ミランダと微妙に異なる事から、どうしても納得が行かないクリス。


 ただ、流石に腰の得物ダガーには手も触れず、素手で身構えている所を見ると、口では、ああ言ってはいるものの、冷静さを失ってはいない様だ。


 一方少女の方は、一撃必殺。完全に『る』気満々である。


 こうなった少女を止める事は至難である。まずは、兄貴クリスの方の殺気を解いてもらう事が優先だ。



「兄貴っ! とにかく落ち着いて! 彼女、グレーハウンドと戦って、勝った事があるんですからね!」



「……何っ!」



 この世界、北方大陸にも生息するグレーハウンドは、厄災の代名詞と言える。一頭が都市に侵入するだけで、その街、丸ごと廃墟になってもおかしくは無いのだ。


 そのグレーハウンドに『勝つ』など、常人では考えられない事なのである。


 あまりの『例え』の大きさに、にわかには信じられないクリス少年。


 ただ、その突拍子も無い話が、彼を更に落ち着かせる事に、一役買った事は間違い無さそうだ。



「チッ! マジかぁ。そんな怖えぇお嬢ちゃんとは、戦いたくはねぇなぁ。……まぁ、元々俺ぁ、ルーカスに頼まれて、お前達を助けに来たんだぜぇ。そんな怖い顔すんなよぉ」



 クリスは、身構えていた体勢をやおら崩すと、両手を上げて降参ポーズに。


 その様子を鋭い目で睨みつけていたミランダも、ようやく落ち着きを取り戻したのか、二の腕からは、黒い縞模様タトゥーが消え去った様だ。


 そして、抱きかかえていたルーカスを一旦開放すると、今度はルーカスの片腕にしがみ付く様にしてから、彼女自身は、ルーカスの背後に隠れてしまう。



「さっき、お部屋の中に石を投げ込んだのは、あなたなんでしょ! 悪い事をしたら、まず、『ごめんなさい』でしょ!」


 

 ルーカスの肩越しに、顔を半分だけ覗かせて、クリスへと意見するミランダ。


 未だにしがみ付いているルーカスの腕は離さない。


 ミランダに片腕を抱きかかえられ、クリスとミランダの間に立つ形となったルーカス少年。


 ようやうく話が落ち着き始めたからなのだろう。少し余裕が感じられる。


 そんなルーカスは、ここぞとばかりに、少女の胸の弾力を堪能。クリスへと正対する自身の顔は、恐ろしく締まりの無い『にやけ顔』となっていた。



「へへっ、へへへへ……」



 終いには、変な笑い声が漏れ出る始末。


 もう、この子ルーカスは置いておこう。



「あぁ、悪かったよ。どうしても、お前達と連絡が取りたかったもんでな。俺が小石を投げ入れてみたって訳さ。悪気は無ぇんだよ。許してくれ」



 男気のある、クリス。話が通れば、しっかり謝る事も出来る。



「いいわよ。分かってくれたら、それで……。でもレディーの部屋に石を投げ入れるなんて……あなた、いくつなの?」



 ようやく打ち解けて来たミランダ。元々肉体派なので、あまり細かい事は気にしないサバサバした性格である。ただ、ちょっとお姉ちゃんが今年大人になったので、最近レディー大人の女と言うキーワードがお気に入り!



「あぁ、俺か? 俺は、今年十四歳になった所だよ。それが何か問題あるのか?」



 ミランダの質問の意図が分からず、呆れた様に両手を広げるクリス。


 すると、その答えを聞いたミランダは、ちょっと小馬鹿にした様子。



「なぁんだ。まだ、大人じゃ無いのね。だったら仕様が無いわね。許してあげるわ。子供のした事ですもの。ねぇ、ルーカス。ルーカスは大人だもんねぇ」



 そう言うと、ミランダは、胸元に抱いているルーカスの腕に、更にしな垂れかかる様にしながら、頬ずりを始めたのだ。



「なっ! 何だとぉ、このあまぁ! 黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがってぇ! とにかく、お前はルーカスから離れろ!」



 ミランダからの言葉に……と言うよりは、ルーカスにしな垂れかかるミランダの様子に腹を立てたクリス少年。またもや、気分は沸騰状態に。



「何言ってるのよ。おこちゃまっ! べーっ!」



 ルーカスの肩越しに顔を覗かせていたミランダは、可愛い舌をクリスにしっかり見せつけると、もう一度ルーカスの後ろへと隠れてしまう。



「うきー! 何だよこの女はよぉ! ちょっと可愛いからって、いい気になるなよぉぉ!」



「まぁ、まぁ、二人とも、こんな所で喧嘩しないでぇ。えへへへへ」



 完全に頭に来たクリス少年。結局、先ほどの和解の雰囲気もどこへやら。振り出しに戻る結果に。


 一方仲裁役のルーカスは、背中に感じるミランダからの二つの『圧迫感』に、神経の殆どを持って行かれて、思考機能、絶賛停止中だ。



「うきー!」



「シャーッ!」



「えへへへ!」



 全く収集が付かない。



 丁度その時、庭園中央にある噴水を迂回する様に、数人の人影が表れたのだ。



「おいっ! そこに誰かいるのか!?」



 突然、誰何する声。


 マロネイア家の兵士達が巡回に来た。

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