第142.ラマーズ法

「あぁ、いや、何でもないよ。リーティア、ちょっと考え事してただけさ」



 俺の後ろから心配そうに覗き込むリーティア。


 俺が暫く無反応だった事をいぶかしんでいたみたいだな。


 俺はそんな彼女を不安にさせない様、努めて明るく返事をしたんだ。


 もちろん、出来る大人の俺は『大人の考え事ポーズ』はそのままに、ダンディな笑顔を添える事も忘れないよ。



 くーっ! ダンディな大人笑顔がまたもや決まったぜぇ。でも、まさかリーティアとの人工呼吸について妄想してましたぁ。なーんて、口が裂けても言えないからな、たははは。



「さて、この後はどうすれば良いの?」



 俺はそんな内心を悟られぬ様、更に質問で話をごまかそうとしてみる。




「……えーっと、皇子様……次は、そのぉ……」



 俺の後ろに隠れたままのリーティアは、なんだか『しどろもどろ』な感じ。


 暫く待ってみるけど、一向に次の動きが見られない。……はて?


 無事、俺の上着を脱がす事に成功したリーティア。だけど、パンツ一枚の姿で立ち尽くす俺の後ろ姿を見て、なんだか途方に暮れている様子がヒシヒシと伝わって来る。


 いくら鈍感な俺でも、背中の方で『はぁうっ……』とか、『どうしよう……』とか、小声で言われれば、あぁ困ってるんだなぁって事ぐらい気がつくさ。



「……あぁ、ごめんね、リーティア。これはさすがに自分でやるから」



 困っている彼女を見るに見かねた俺は、早速自分のボクサーパンツに手をかけてみる。



 あぁ、そうそう、言い忘れてたけど、俺はトランクス派では無く、ボクサーパンツ派だ。


 確かにトランクスの、あの自由度の高さと大人感に惹かれた時期があるにはあった。特に中学性の頃に穿いていたブリーフの反動から、男は誰しもトランクスに一度は手を出す事で、急に大人になった様に感じる期間があるもんなんだよなぁ。


 まぁ、この感覚って、女子にはちょっと分からないだろうなぁ。なーんて思ってたら、前の彼女が……うっっ! その話を今、俺にさせようって言うのかい? まだフラれて間もないこの俺に、その話をどうしてもさせようって言うんだな! ……仕方が無い、君がそこまで俺の傷口に塩を塗り込む様なヤツだとは思っても見なかったけど……まぁ話してあげるよ。


 生まれてこのかた、俺にできた彼女は一人きり。もちろん皆さんご存じの『美沙たん』だ。本当に良く出来た最高の女性で、俺の素朴な疑問に何でも答えてくれる女神様の様な存在だったんだよ。それなのに、俺ってやつはぁぁぁぁ。……あぁ、ごめん。ちょっと涙で前が見えなくなって来たけど、とにかく話を先に進めるね。


 その美沙たんに、さっきのブリーフからトランクスへの下着の変遷や、大人の階段を上った様なドキドキ感について話した事があったんだよ。えっ? 彼女に一体何の話をしているのかって? おいおいおい、逆に折角できた彼女に、他に何を聞く事があるって言うんだい? 二十一年間生きて来て、どうしても女子に聞いておきたかった100の事象について、合法的に聞く事が出来るって言うのが、彼女を持つ事の最大のメリットじゃないか! ……えっ? 違うって! ……うーん、そうだな。確かに違うな……。まぁ、そのぐらい重要な事だって話だよ。こんな所で話の腰を折るのは止めてくれよなっ。


 もちろん、女性は小さな頃からお洒落さんだし、下着だって小さな頃から大人な感じのものを身に付けているはずだから、こういうパンツぐらいで大人になった感なんて無いよね! って話したんだけど、驚く事なかれ、なんと女性にも同じ様な事があるって言うんだよ! みんな知ってたかい?


 そう!その通り。女性の場合は、スポーツブラから普通のブラへの進化が、どうもそれに当たるらしいんだよ! もう、聞いてくれよ、その話を聞いた時には、もう、美沙たんと俺の間には、友情以上の感情が芽生えるに至った訳さ。だって、そう思わないかい? 世界広しと言えど、ブリーフからトランクスへの変遷に大人の男性を意識する俺と、スポーツブラから普通のブラへの変遷に、大人の女性を感じ取る美沙たん。もう、運命の出会いと言わずして、何て言うんだよ! その日の二人は下着の変遷についてとことん語り明かしたものだよ。あぁ楽しかったなぁ。……美沙たん。フォーエバー……。



 まぁ、そんな事はさておいてだ。さすがに美少女の目の前で、成人男性がいきなり自分の尻をさらけ出すと言うのは、一体どうなんだろう?


 ある意味、その道のプロフェッショナル達の間では、身銭を切ってでも経験したいシチュエーションだと聞いてはいるし、アマチュアの分際で、法を犯してでも、一般人相手にそれを実践しようとする輩が後を絶たない事も知っている。しかし、今現在の俺には、残念ながら ――ざっ残念ながら?! ―― その趣味は無い。


 取り敢えず、自分の尻ぐらいは隠しておこうと思って、さっきマリレナさんからもらった、タオルを探すんだけど、見つからないんだよなぁ。


 あれ? っと思って背後にいるリーティアの方を見てみると、タオルを胸に抱いたまま、首をふるふると振っているじゃないか。



「ダメです! 皇子様にそんな事をさせる訳には参りません。お洋服を脱がせて差し上げるのは、奴隷の務めなのです」


「皇子様っ! さすがの私めも正面を向いてのお手伝いは、少々緊張致します。えぇ、少々でございますよ。どうしても正面からとの仰せであれば、このリーティア。全身全霊をこめて正面からお手伝いさせていただく所存ではござますが、実はっ……まだ心の準備が出来ておりません! 大変申し訳ございません。もしお許しいただければ背後からのお手伝いをお許し下さいっ!」



 リーティアは、そう言うが早いか、俺の背後に回ってパンツに手を掛けると、一気に足下まで、ずり下げ様とする。



「はうっ!!」



 俺のボクサーパンツは結構ローライズな感じでフィット感が半端無い。しかも、リーティアはパンツの裾の方を持っての一気下げだ。残念ながらボクサーパンツの腰の部分には、比較的キッチリしたゴムが施されているから、裾を持ってパンツを下げられると、このゴムの部分がナニに直撃する事に。



「痛たたっ!」



 もう一つ想定外な事がっ! 事前に妄想の世界でリーティアとの人工呼吸やAEDを体験していた俺は、結構な緊張状態になっている訳だ。そんな緊張状態の所に、体にフィットしたパンツのゴムが引っかからない訳が無い。



「リリリ、リーティア! ちょっと待って、引っかかってる。引っかかってるよ!」



 俺の緊急事態のお願いにも関わらず、なおもパンツをずり下げようとするリーティア。



「皇子様、緊張しなくても大丈夫です。私は目をつむっておりますので、ご安心下さい!」



 俺は前かがみになって痛みに耐えつつ、背後のリーティアの様子を伺うと、確かに両目を固くつむったまま、俺のパンツを下げようと必死になっている様だ。



「ちょっ、待って、待って、リーティア!」



 焦った俺は、自分の手でパンツを一旦引き上げる様に持ち上げる。



「もう、皇子様! 恥ずかしがっちゃダメですよ! 大丈夫。減るモンじゃありません! それに、どうせこの後、いっぱい『見せ合いっこ』するんですから、一緒いっしょの事ですっ!」



 おいおい、この、なにサラッと『恐ろしいくわだて』ブッ込んで来てるの? って言うか、そう言うがこの後に企画されてるの? って言うか、そんな事聞かされて、緊張が解けると思う? そんな訳無いでしょ? 余計緊張するに決まってるでしょっ!



 さすがに、なかなか俺のパンツが脱がせられない事を不審に思ったのだろう。


 リーティは薄目を開けて俺がパンツを摘まんで引き上げている状況を把握。パンツの裾を握っていた手を放したかと思うと、俺の両手首を軽く握って来たんだ。



「ダメですよ。もぅ私が目をつむっている間に、こんなイタズラしちゃ!」



 リーティアは少しお姉さん的な雰囲気をかもしながら、まるで子供にでも言い聞かせるに話し掛けて来る。



「皇子様は本当にいたずらっ子さんですねっ。こんないたずら皇子様のお手ては、少しの間、使えなくしちゃいますからねっ!」



 そう言うが早いか、リーティアは俺の両腕を掴んだまま、なにやら呪文を唱えて来たのさ。すると、俺のパンツを掴んでいた手の指から、急に力が失われて行くじゃ無いか!



「リッリーティア! 俺の指に力が入らなくなったんだけど!」



 軽くパニック状態になった俺は、リーティアの方に向き直ろうとするけど、今度は両足の方にも力が入らない。



「うぉぉっ!」



 俺は思わず変な声を上げてしまう。



「大丈夫ですよ。ちゃんとパンツを脱がして差し上げますので、それまでは指と足の力を抜かせて頂きました」



 おいおいおい、この、簡単に怖い事言ってるよ! もう、完全に監禁状態だよ。もう、日本だったら警察ものだよっ! いやいや、世界どこに行っても重大犯罪者だよっ!



「それじゃ、パンツを脱ぎましょうねっ」



 彼女はおもむろに、もう一度俺の背後へと回り、両目を固くつむってから、パンツの裾に手を掛ける。



「えいっ!」



「痛たたたっ!」



 そんなもん、状況が変わって無いのだから、結果は同じに決まってる!



「皇子様、緊張しなくても大丈夫ですよ。力を抜いて!」



 リーティアは目をつむったまま、俺を励まして来る。



「いやいや、緊張するなって言っても、もう緊張しちゃってるんだから、どうしようも無いよ。なんだったら俺の指みたいに、この部分にも力が入らない様に魔法で何とかしてよ!」



 結構な痛みの中、思わず真っ当ながらも、とんでもない事を正直に口に出してしまう俺。


 リーティアは一瞬パンツの裾を掴んでいた手をピタリと止めて、暫く思案していた様だけど、思い直した様にまたパンツを引き下げようとし始める。



「皇子様、すみません! 先ほどの魔法は、その部分に触れていないと発動する事が出来ないのです。……あのぉ、そのぉ、その部分を触るのはちょっと……まだ心の準備がぁ……」



 リーティアは真っ赤な顔をしながら、それでも馬鹿正直にパンツを引き下げようと、ぐいぐいと力を入れて来る。



 おいおいおい、結局どこが緊張してるのか、この知ってるんじゃん。分かってやってるんじゃん、確信犯じゃんっ!



「痛ててててっ……」



 なおも悲鳴を上げる俺。



「皇子様! 最初は誰でも痛いものだと、侍女のマリレナが申しておりました。暫くの辛抱です! 天井のシミでも数えてお待ち下さい!」



 何だよそのセリフ、どこで覚えて来たんだよっ!



「はい、皇子様、力を抜いて! ヒッ、ヒッ、フー、ヒッ、ヒッ、フー……」



「ヒッ、ヒッ、フー、ヒッ、ヒッ、フー……痛たたたっ!」



 神殿奥に建てられた俺の屋敷のテルマリウム。


 そこでは何故か、意味も無くラマーズ法の呼吸が繰り返されていたのだった。

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