第135話 包囲網

「盗むって言ったって、基本は洗礼に行く時にさらうってぇのが定番だわなぁ。もちろん、洗礼に行く日時が分ってねぇと段取りも組めねぇんだけどよぉ……っておい、デメトリオス! お前も何とか言ったらどうなんだよ!」



 一人手酌でワインを飲み続けていたデメトリオスは、気付けば舎弟の少年を捕まえてこっそりもう一樽持って来させようとしている所だ。



「おおっ? あぁ、そこはお前に任せるよ。何しろ人攫ひとさらいのプロなんだからなぁ、お前はぁ」



「なんだよ、それ。ひでぇ言われようだな」



 既に興味がワインに向いてしまったデメトリオス。


 もう、彼に何を言っても無駄なのかもしれない。だた、この作戦を成功させる為には、事前に了承しておいてもらわなければならない事がまだ他にも沢山ある。



「だがな、上手く行ったとしても、永遠に逃げ切れるとはとても思えねぇ。よっぽどの事が無い限り、見つかる可能性も考えておいた方が良いな……」


「だからよぉデメトリオス。最後は金で解決する事になるだろうからよぉ、自治会頭ヨティスも仲間に引き入れておけよっ!」



 たった今までかなりご機嫌な様子のデメトリオスであったが、テオドロスからのその一言で、一気に顔をしかめてしまう。



「えぇぇ。マジかぁ。俺、この前、『クィーン オブ デルフィ』の貴賓席取ってもらったからなぁ。ちょっと言いにくいなぁ……」



 そんなデメトリオスの『あっさり』とした爆弾発言に、今度は逆にテオドロスの方が驚きの形相に!



「ええっ! マジかっ! いや、こいつマジかっ! この前って言ったら、ミラージュが出て来た時のヤツだろぉ! えぇぇ、ってかお前、この前ん時に観に行ってやがったのかよっ! かぁぁぁっ、信じらんね。もう誰の事も信じらんねっ! はぁぁぁ、急激にやる気無くしたわっ! もう無理、もう無理っ!」



 テオドロスは一気にそう叫ぶと、またもやテーブルの上に突っ伏したまま動かなくなってしまった。



「あぁぁ、テオドロスさん、そんな事言わずに……ほらほら、ワイン美味しいですよ」



 ルーカスは急に突っ伏したまま動かなくなったテオドロスを何とか元気づけようと、彼のコップへなみなみとワインを注ぎ入れてみる。何しろ今の所一番頼りになるのは、この頭領テオドロスしかいないのである。



「うんうん、ガキンチョ、お前だけだよ。俺のこの切ない気持ちが分かってくれるのは。お前はこんな我儘放題な大人になるんじゃねぇぞ」



 未だ突っ伏したままの状態で、顔だけをルーカスの方へと向けたテオドロス。その下唇は彼の不満を表すかの様に、思い切り前へと突き出されていた。



「たはは……そうですね。あんな大人にはなりたくありませんね」



 テオドロスに気を使って、上手く話を合わせるルーカス少年。意外と世渡り上手である。しかし、ワインに興味を引かれ、いかにもこちらの話を聞いていない風であった親方デメトリオスから更に衝撃の一言が。



「何言ってるんだよ、ルーカス。お前、俺と一緒に貴賓席でミラージュ観たじゃねぇかよぉ」



「あっ! おっ親方ぁ……」



 ここでその話を出してはいけない。


 しかし、既に一樽分のワインを飲み干してすっかり出来上がってしまっている親方デメトリオスに、空気を読めと言う方が無理な話である。



「ぬっ、ぬぁにおぉぉぉ! おいっ! ガキンチョ。お前もあの時、歌劇場に行ってたのかぁ?」



「ははははっ……えっ! えぇ、まぁ……」



 もう、何を言っても『無駄』だと判断したルーカス少年。あっさりとデメトリオスの話を肯定。



「あぁぁぁぁ! もう駄目だっ! お終いだっ! めた、止めたっ! こんな奴らを一瞬だけでも『兄弟』だと思った俺がバカだったっ! もう、やらねぇ。絶対に働かねぇぞぉ!」



 地団駄を踏みながら悪態をつくテオドロス。


 丁度ワインをもう一樽取りに行こうとしていた少年を手招きで引き留める。



「おい、お前っ! こいつらにこんなたけぇワインなんか、もう出さなくても良いからなっ! お前の小便でもコイツのコップに入れてやれっ!」



 そんなテオドロスの様子を、流石にマズいと思ったデメトリオス。


 彼は満面の笑みを浮かべながら、両手を大きく広げてとにかく落ち着く様にと促し始めた。



「わかったっ! わかったよぉ、テオドロス君! 俺が悪かったって。ちゃんとお前の言う通り、自治会頭ヨティスに連絡取るよ。それに、次の『クィーン オブ デルフィ』のVIP席も頼んでやるからよぉ。だから機嫌直せ! なっ!」



 一気に『クィーン オブ デルフィ』のVIP席と言う何の確証も無い空手形の大盤振る舞いで、何とか彼の機嫌を取ろうとするテオドロス。



「……ん? ええっ! マジか! 絶対だなっ! おい、約束だからなっ! 次回の『クィーン オブ デルフィ』って言えば、明後日か? いや、その次の日か? おい、マジで頼むぞ! おほほほほ。よぉぉし、俄然やる気が戻って来たぁ! よぉぉし、前祝だぁ。もっとじゃんじゃんワイン持って来ぉぉい!」



 テオドロスは勢いよくテーブルから起き上がると、先ほど呼び寄せた舎弟の少年を捕まえて追加のワイン樽を急いで持ってくる様にと指示を出している。


 現金げんきんなヤツ……と言うよりは、恐ろしく単純なヤツテオドロス



「よぉぉしそしたらよぉ、お前デメトリオス、アナスタシアに手紙の一つも書いて送っておいた方が良いんじゃねぇか? もしもの時には、仲裁に入ってもらわねぇとヤバい事になるかもしれねぇしよぉ」



「んあぁ? ……んん……」



 『アナスタシア』……と言う名前を聞いて、思わずワインを持つ手が止まるデメトリオス。



「なんだよぉ、まだ引き摺ってんのかよぉ。もう、昔の事だろぉ? それに人妻だぜ。いい加減に諦めろ」



「……お前、書いてくれよぉ。お前だって知らない仲じゃ無いんだしぃ」



 何も問題無い風を装ってはいるのだが、急に発言が弱気になるデメトリオス。



「やだよっ! 何で俺がそんな野暮な真似しなきゃいけねぇんだよ。まぁ急がせはしねぇけど、作戦始める前には彼女への手紙書いて持って来いよ。ウチの者に必ず届けさせるからよぉ」



「……」



 少し悲し気な表情のまま無言になってしまったデメトリオス。しかし、テオドロスは彼への追撃の手を緩めない。



「成功させたいんだろっ! 返事は?」



「……あぁ、わかったよ」



 渋々……本当に、渋々承諾するテオドロス。


 彼はコップに残ったワインを一気に口の中に放り込むと、新しいワイン樽から空いたコップへとワインを注ぎ始めた。



「本当に困ったヤツだぜぇ……だいたい、あの時お前の方から……」



 テオドロスは、そんなデメトリオスからワイン樽を力尽ちからずくで奪い取ると、自分のコップへワインを注ぎ込みながら、遠い昔話を始めようとした……丁度その時。



 隣の部屋へと続く扉が静かに開くと、若頭エニアスが小走りにテーブルの方へとやって来たのだ。



「お楽しみの所、誠に申し訳ありやせん……頭領オヤジ



 テオドロスへと耳打ちする様に、小声で話始める若頭エニアス


 とは言え、既にテオドロスから若頭エニアスには今日のメンバーは兄弟同然であると伝えてあった上に、小さなテーブル席でもある事から、彼の話す言葉は、十分デメトリオスやルーカスにも聞こえていた。



「おぉ、何だよ。若頭エニアスどうした? は付いたのか?」



「へぇ。そちらの方は抜かりなく……」



 エニアスの態度は、裏稼業マヴリ ガータの若頭と言うには、余りにも礼儀正しく腰も低い。まるで一流の商人を思わせる様な身のこなしである。



「それじゃあ、どうしってんだよぉ」



 既に『出来上がり』かけているテオドロスは、多少ロレツが回っていない様だ。



「へぇ。頭領オヤジ……どうやら、この建物……囲まれてやす」



「「何っ!」」



 その言葉を聞いた途端! 弾ける様に飛び退るテオドロスとデメトリオス。


 二人は、それぞれ窓際の左右の壁へと身を隠し、窓の外の様子を伺い始めたのだ。



「相手は誰だ?! 何人いる?」



「……恐らく、エレトリア正規軍かと。屋上から確認した所によると、辻々に三十名程、銀の甲冑、赤の直垂ひたたれに金獅子の紋章はエレトリア近衛兵、もしくは、エレトリア議会の衛兵に間違いありやせん」



 冷静に、かつ的確に情報を伝える若頭エニアス



「それから、先ほどあねさんの所に行った舎弟がまだ戻りやせん。恐らく既に……また、ボウガンや火矢も見えた様です。恐らく、この建物ごと葬り去る気だと思われやす」



「……チッ!」



 若頭エニアスの情報に、思わず舌打ちをするテオドロス。


 そして、若頭エニアスから発せられた次の『問い』は、テオドロスに最後の判断を促していた。



頭領オヤジ……りやすか?」

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