第105話 三連の鬨

「素晴らしいっ! 本当に素晴らしい! マロネイア様。老いてなお、その闘争心。感服つかまつりますっ!」



 端正な顔立ちと涼やかな目元。爽やかに笑いかける彼の口元からは輝く白い歯が覗く。黙って宮殿の玄関にでも立たせておけば、一流の彫刻と見まごうばかりの端正な顔立ちを持つその若者は、大仰なポーズでアゲロスの前へと進み出る。



「しかし、『己が分を弁え、その職を全うせよ』でしたかな? 言い換えれば、『上に立つ者、下々の職を奪うなかれ』とも受け取れる……」



 空いた口が塞がらないアゲロス。たった今、ヨルゴスに向かって怒鳴り散らしていた事すら忘れ、その若者の行動を茫然と見つめていた。


 そんなアゲロスの呆気に取られた視線など気にする風も無く、更に彼の演説は続く。



「マロネイア様一人で全ての功を成してしまわれては、兵士達の折角の昇進の機会も失われてしまいましょう」


「どうでしょう? ここはひとつ魔獣に負けず劣らず栄誉栄達に飢えた我が部下達に、その獲物魔獣をお譲り頂く訳には参りませぬか?」



 その若者はここで言葉を一旦区切ると、不遜にもアゲロスに向かってウィンクを投げかけたのだ。



「……うぅぅむ」



 アゲロスは己の不機嫌さを隠そうともせず、その若者を睨みつけながら唸り声を上げる。


 そんなアゲロスの表情を見た若者アエティオスは、「ふぃっ」とアゲロスから視線を外すと、満天の星空を見上げた。



「おっ! そうそう、時刻もそろそろ零時を過ぎておりましょうか。情事の後のウェスベルナはまた格別と聞き及びますぞぉ」


「イリニッ、イリニ殿は居らぬのか? まさか、この程度の騒動で腰を抜かしたと言う事はあるまい?」



 アエティオスは星の位置でおおよその時間を把握したのであろう。突然とぼけた様な声を上げたかと思うと、周囲を見渡してイリニ家政婦長の姿を探す。



「……はい、閣下。私めはこちらに……」



 すると、魔獣の突撃により粉々に破壊されたソファーセットの奥から、アエティオスの呼びかけに応じて一人の女性が忽然と現れた。中庭の床は砕け散った大理石やソファーの木片などが散乱しているのだが、まるで平坦な床の上を進むかの様にアエティオスの前へ易々と進み出て来る。



「はははっ、流石は『くれないの女剣士』と呼ばれた女傑。その腕前は健在……と言う所ですかな?」



「……」



 そんなアエティオスの軽口を完全に無視する形で、無言のまま彼の前で跪くイリニ。



「……不遜」



 アエティオスの脇に控えていた魔導士テオドラは、一言そう呟くと彼の前へと出ようとする。



「よせ、テオドラ」



 そんなテオドラの行動を右手で軽く制すると、アエティオスはうら若い街娘まちむすめ達であれば一瞬で腰砕けになるぐらいの、とろける様な笑顔をイリニへと向けた。



「はははっ! 冗談ですよっ! イリニ家政婦長殿。冗談はこのくらいに致しましょう。して、夕食ウェスベルナの準備は?」



「もとより……」



 彼からの問いに、感情の無い短い返答を返すイリニ。



「さすがはくれないの。抜かりは御座いませぬなぁ……」



 彼は家政婦長イリニからの返答に満足そうに頷いた後で、再びアゲロスの方へと向き直る。



「さて、マロネイア様。イリニ家政婦長もこの様に申しておりますれば、まずは大広間の方でお夜食を楽しまれては如何でございましょう?」


「もちろん、この場の後片付けは『己が分を弁えし』下々の者が滞り無く……」



 アエティオスは軽くお辞儀をした後、見ようによっては不遜とも取られかねない不適な笑みを浮かべながら、アゲロスを上目遣いで見上げて来る。



「……」



 一瞬の沈黙。



「ふんっ。……仕方あるまい。『己が分を弁え、その職を全うせよ』……先代の言葉じゃな。若いお前が良く知っておる事よ……」


「イリニ。案内致せ。そして、アエティオス。さっさと片付けて来い。お前にもウェスベルナを振る舞ってやろう」



 アゲロスは先ほどまでの毒気を完全に抜かれた様子で、己が手にしていた宝剣を家政婦長のイリニへと手渡すと、彼女に促されるがまま館の方へとゆっくり歩き出した。



「はっ! ありがたき幸せっ!」



 歩み去るアゲロスの後ろ姿に、恭しく一礼するアエティオス。



「スープの冷めぬ内に、参りますゆえっ!」



「うむっ」



 アゲロスは背後から掛けられたアエティオスの声に、頷きをもって応える。


 そうやって、アゲロスの後ろ姿を見送っていたアエティオスだが、既に遠く離れてしまったアゲロスに向かってもう一度大声で声を掛けた。



「あっ、そうそう……マロネイア様っ!」


「私の給仕は、『ちっぱい』娘でお願い致しますぞっ!」



「……ふふっ!」



 丁度、館に入る扉をくぐろうとしていたアゲロス。苦笑しながらも頷きとともに右手を上げてくれる。



 その様子を満足そうに眺めるアエティオス。アゲロスの姿が完全に館の中へと消えるまで、不動の姿勢を解く事は無かった。



「……ふぅ」



 ようやく彼なりの緊張感から解放されたアエティオス。今度は、未だ自分の脇で平伏している大柄の兵士へ向き直ると、思い直した様に声を掛ける。



「さて、お前は確か……巨根きょこんのヨルゴス……だったか?」


「いいいっ、いえ、閣下! きょきょ巨人きょじんのヨルゴスです」



 微妙ではあるが『ちょっと酷い!』と言える様な、自分に対する二つ名の間違いを指摘するヨルゴス。



「あっはっはっは。悪いわるい。これは申し訳無かった」



 アエティオスは素直に自分の間違いを謝罪する。



「ところで、巨根きょこんのヨルゴス。悪いが、庭園奥で『のびて』いるサロス殿をここへ連れて来てはもらえんか?」



「いっ、いや、俺は、きょきょきょ巨根きょこんでは……」



「それじゃ、頼んだよ」



 自分への不名誉な二つ名を訂正しようと、もう一度話始めたヨルゴスではあったが、残念ながらアエティオスは全く聞く耳を持たない。


 ヨルゴスは仕方無くその場から起き上がると、急ぎ足で庭園の中央部へと駆け出して行った。


 そして……。


 残ったアエティオスの両目は、魔獣を見据えて動かない。



「……グロゥルルルル」



「おやおや。魔獣は僕たちの寸劇がお気に召さない様だ……」


「テオドラ。結界は?」



 視線は魔獣へと向けたまま、脇に控える魔導士テオドラへと準備の如何を確認するアエティオス。



「はっ。既に」



 グレーのフードの奥から、澄んだ女性の声が聞こえて来る。ただ、その声は少し緊張している様だ。



「よしっ!」



 アエティオスは、自分自身を鼓舞する様に気合を入れると、颯爽と後ろを振り向いた。


 そこには一個大隊コホルス、約六百名にも及ぶ屈強の兵士達が音も立てずに陣取っていたのだ。



 微かに甲冑の擦れ合う音だけが聞こえる庭園。


 そんな静寂を突き破る様に、アエティオスの凛々しい声が響き渡る。



「兵士諸君っ!」



「「「ウオゥ!」」」



 六百名の兵士が一斉に槍を突き上げ、短い返事を返す。



「これは、訓練では無いっ!」



「「「ウオゥ!」」」



「この戦いで、死者には名誉と家族への恩給が! 生者には昇進と黄金が下賜されるであろう!」



「「「ウオゥ! ウオゥ!」」」



 その兵士達は、アエティオス直下の熟練兵で構成された、精鋭一個大隊だ。


 アエティオスの敷く『鉄の軍規おきて』と、これまでの輝かしい功績により、その一挙手一投足に、骨の髄まで徹底された統率と譲れぬプライドが感じられる。



「魔獣を中庭に押し込めたのは不幸中の幸い! このまま魔獣を押しつぶす!」



「「「ウオゥ!」」」



「第一中隊マニプルス、前へ! 魚鱗で行く。 第三中隊のクロスボウは三段! 百人隊長ケントゥリオン、間断無く撃ち込め! 魔獣に治癒の時間を与えるな! 第二中隊は後詰めっ!」



 アエティオスの流れる様な指示に対し、それに輪をかけた様なスムーズさで、兵士達はその陣形を素早く変えて行く。



「行くぞっ!」



「「「ウオゥ! ウオゥ、ウオゥ、ウオゥ!」」」



 兵士達の三連のときの声を合図に、六百名の兵士達は、あたかも一つの大きな魔物の如く、一斉に魔獣へと襲い掛かって行った。

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