第104話 金髪の貴公子
「テオドラ……お前はどう思う?」
妾専用館へと続く長い上り坂を登り切った所。栗毛馬に跨るその男は自らの横で馬首を並べる人物へと話しかけていた。
テオドラと呼ばれた人物は裸馬に跨った状態で手綱を握り、黒に限りなく近いグレーのフードを目深に被っているが為にその表情を見る事は出来ない。
「……」
テオドラはその問には答えず、無言を貫いている。
それは思案しているのか、それともこの男の問い掛けを無視しているのか。
そんなテオドラの反応を全く気にする風も無く、声を掛けた男は、更に次の質問を続ける。
「やはり……魔道士によるものか?」
この男が装備する甲冑には金細工による緻密な装飾が施されており、その男の階級が只ならぬものであることを物語っていた。
「……いえ、閣下」
テオドラが、ようやくその重い口を開く。
「魔道士が行使したものとしては、かなり大規模なものと言えるでしょう」
「恐らく、グレーハウンド本体による力の行使と考えます」
その声は、繊細な印象を与える澄んだ大人の女性のものであった。しかし、その実、まだ年若い少女が、多少背伸びをして大人の雰囲気を醸し出そうとしている風にも受け取れる。
「そうか……で、系統は?」
閣下と呼ばれた男は、思案顔で次の質問に移る。
「……」
再度沈黙するテオドラ。しかし、今度は比較的早めにその答えを見つけ出した様だ。
「これも視認した訳ではございませんので確かな事は分かりませぬが、グレーハウンドにはアナスタシア神や、ゼノン神の祝福が下賜される場合があると聞き及びます」
「先ほどの閃光と落雷の様な音から考えますと、アナスタシア神の系統にほぼ間違い無いかと……」
テオドラはそこまでを一気に話し終えると、また無言に。
「そうか……。とすると、治癒もか?」
「……恐らくは……」
テオドラは自分の推測に自信が持てないのか、言葉尻は今にも消え入りそうだ。
「うーん、厄介だなぁ……結界を張ってみてはどうだろう?」
その男は、自身の兜の脇からはみ出しているクセのあるブロンドの髪を右手で弄びながら、ふっと思いついた事を聞いてみる。
「いえ。魔獣の場合はその殆どが自らの力により奇跡を引き起こします。結界の効果は低いかと……」
「ふーん……」
その男は少し不満気に口を尖らせながら、テオドラの言葉に相槌を打つ。
端正な顔立ちと涼やかな目元。青年貴公子風ではあるものの、この様な茶目っ気のある表情を見せられるとまだ幼さも感じられる。
「うん。ただ不審者侵入の話もある。もし組織的な動きの場合は取返しの付かぬ事になりかねん。念には念を入れて配下の者を庭園の四隅に配置せよ」
ようやく己の考えが纏まったのであろう。その男は吹っ切れた様な笑顔をテオドラへと向けた。
「はっ、承知いたしました」
「ただ……閣下、その場合は、グレーハウンド捕縛の際に、魔道の者を使う事が出来なくなりますが……」
テオドラはその男からの指示を受領しつつも、己が不安を口にする。しかし、そう告げられた男の方はその様な不安を全く気にする素振りも無い。
「構わん。お前が私の傍に居てくれさえすればそれで充分だ。それに、魔獣が自身の力のみで奇跡を起こすのであれば魔道士が何人いようと同じ事だ」
テオドラは目深に被ったフードの奥からその男の屈託の無い笑顔を見るに至り、自身の具申がバカげた事であったと思い直した。
「失礼いたしました。それでは早速……」
テオドラはフードの奥へ自らの右手を差し込むと、大きく息を吸い込んだ。
――ピィィィィ……
テオドラの指笛が闇夜に木霊する。
すると、テオドラの乗る馬の近く。鬱蒼と茂る林の中から、テオドラと同じ様なフードを被った一団が忽然と現れたのだ。しかもその一団は誰一人声を発する事も無く、小走りに庭園の方へと駆け出して行った。
丁度その時、彼らの乗る馬のすぐ後ろ、館前の広場には、完全武装した大隊規模の兵士達が音も無く整列していた。
その男は馬首を返すと、兵士達に向かって号令を飛ばす。
「第二
「「「はっ!」」」
兵士達は統率の取れた掛け声と共に、その男に付き従う様に駆け出して行く。
「……ふう。
馬上のその男は、不適な笑みを浮かべつつも、その右手はブロンドに輝く自分の髪を弄び続けていた。
◆◇◆◇◆◇
――タッタッ……タタッ、タタッ。
魔獣が押し寄せて来る。
風の様に。
軽やかな足取りで。
「ふぅぅむ……」
コの字型の館に囲まれ、庭園側に向けて、大きく開け放たれている中庭。
この中庭だけでも百人以上を招いたパーティが開催できる程の広さがある。
その中央部分で仁王立ちのアゲロス。
「やはり、このワシが一太刀浴びせねば、神はご納得召されぬと見える」
戦士の家系と言うのは、
この緊急事態にも関わらず、薄ら笑いを浮かべるアゲロス。魔獣の来襲を待ち受け、更には自慢の剣技を披露すべく、その準備に余念が無い。
「ふぅぅぅ……」
アゲロスは地面に突き刺していた宝剣を引き抜き、自身の腰に差した鞘へ戻すと、ゆっくりと腰を落とし、半眼の状態で自身の呼吸を整える。
――ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ……
魔獣が迫る。
さすがにこの距離では、魔獣の駆ける音は、迫力を帯びて行く。
「はぁぁぁぁぁ……」
再度の深呼吸の後、アゲロスは全ての息を体内から搾り出すとともに、己が宝剣の柄へと手を掛けた。
魔獣とアゲロス。その距離が縮まる。
「グォアァァァッ!」
突然の魔獣の咆哮!
しかし、アゲロスは微動だにしない。
……刹那!
「アアッ! ごっごごごっ、御免っ!」
今にも抜刀寸前のアゲロスの脇を、全速力で駆け抜ける一人の兵士。
その身長は二メートル十八センチ。エレトリア一の身長を持つ兵士。
その彼の体格からは想像も出来ないぐらいのスピードで、アゲロスの横を通過したかと思うと、目前に迫る魔獣の前足へと掴みかかる。
……絶妙のタイミング。
魔獣はアゲロスに向かって、その自慢の大爪を繰り出す為に、己が前足で地面を強く捉え様とした瞬間の出来事であった。
「ふんぬぉぉぉぉっ!」
アゲロスの横合いから飛び出したヨルゴス。魔獣が左前足を地面に着地させる直前、その怪力でもって魔獣の足を引っ掴むと、魔獣の体の内側へと捻る様に横倒しにしたのだ。
「グォアァァァッ!」
本来は、自身の全体重を受け止めるはずの、前足を失った魔獣。
そのまま、つんのめる様に前へと倒れ込むと、自身の顔面を中庭に設えられたテーブルセットに、これでもかと打ち付けたのだ。
――ドドンッ! ドンッ! ドンッ!……ズザザザザ。
――バキバキバキバキッ! ドドンッ!
ただ転んだだけでは、その勢いを吸収する事が出来ず、更には中庭に植えられていた大木を数本なぎ倒した後で、中庭奥の館の壁に激突する形で、ようやく停止する魔獣。
「グルゥルルルロロロロロ……!」
自分自身でも何が起きたのか訳が分からず、壁の前で己が倒した大木の下敷きになったまま唸り声だけを上げている。
「何者っ! 我の剣技の邪魔だてをする
こちらはアゲロス。最大の見せ場を潰されて、おかんむり状態である。
「もももっ申し訳っ、ごごごっ、ございません!」
「サササ、サロス様に、ももっもしもの時は、そそそ、その身を投げ打てとの、めめめ、命令でっ!」
二メートル十八センチの巨体を、これ以上無いぐらいに小さく折りたたみ、アゲロスの前で平伏するヨルゴス。
「またもや、サロスかっ! 余計な命令をっ!」
「自慢の抜刀術で、あの魔獣を一刀両断とする所であったに! この
どうにも腹の虫が収まらないアゲロスは、尚もヨルゴスへと食ってかかる。
「ももも、申し訳、ごごご御座いませぬ!」
何の言い訳も出来ず、平伏したまま謝罪を続けるヨルゴス。折角助けに入ったと思っていたのに、こうも叱責を受けるとは、もう『哀れ』としか言い様が無い。
「くっ! 次こそは決める故、手出し無用じゃ!」
「はは、はっ!」
アゲロスの猛然とした剣幕に押され、何も言い返せなくなったヨルゴス。そんな彼を救う唯一の男が、庭園側から二人の方へ、ゆっくりと近づいて来た。
――パチパチパチ……パチ。
「素晴らしいっ! 本当に素晴らしい! マロネイア様。老いてなお、その闘争心。感服仕りますっ!」
満面の笑みを称えつつ、一人、乾いた拍手をするその男。
彼こそは、エレトリア軍の中で、いや、帝国軍全体の中でも最年少にて将軍の地位に上り詰めた男。
そう、彼こそがアエティオス準将、その人であった。
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