第83話 人間の戦い方(2)

『くっ! 鉄弓クロスボウか……。 あれは厄介な武器だ。奴らの引き絞る弓ぐらいであれば、私の皮膚を貫く事は望むべくも無いが、あれはイカン……』



 魔獣は首筋に刺さった短矢を、器用に後ろ足ではじき飛ばすと、大きく身震いをする。



『少し遊び過ぎたな。これ以上、鉄弓クロスボウを持った兵士が増えるのは、得策では無い』


『先程と同じ様に、まずは前衛を削り、消耗させた上で、鉄弓クロスボウの男を潰せば良いだけの事だ』



 魔獣の視線の先には、自身の身長の三分の一にも満たない小さな人間達が、貧相な盾を並べて、その殻の中へと潜り込んでいる。


 いくらあの陣形が強固であれ、自分の力には遠く及ばない事を、十分認識している魔獣。



『馬鹿の一つ覚えか……。人とは、もう少し賢い生き物であると思っていたのだが、……勘違いだった様だな』



 魔獣は、そんな人間の浅はかさを心の中で嘲笑しながらも、突撃に向けた態勢へと移行して行く。



「……グルルル……」



 魔獣は一声、唸り声を上げると、やおら、自分の後ろ足を強く蹴り出す為、自身の大腿四頭筋へと指令を伝えた。



『……それでは参る』



 ――タッタッタッタッ……タタタッツ、タタタッツ、



『軽やかに……』、正に『軽やかに』と言う表現が一番適切であろう。魔獣は、飛ぶ様なスピードで、守りを固める兵士達の方へと殺到して来る。



「衝撃に備えろぉぉぉ!」



 部隊後方から、サロスリーダの指示が飛ぶ。


 部隊の誰もが魔獣がファランクスへとぶつかった時の衝撃に備え、体中の筋肉を硬直させた。その時。



 ――ダッ!



 またもや、魔獣はファランクスの槍が触れる直前、兵士達を嘲笑うかの様に、大きくジャンプして来たのだ。



「構えっ! 後ろぉぉッ!」



 部隊後方にいる隊長サロスから、ファランクス体勢変更の指示が飛ぶ。



 ――ザッ……ザッ、ザッ、ザッ!



 訓練により、骨の髄にまで刻み込まれたタイミングにより、一糸乱れる事なく後方に向かって、新たなファランクスを構築する兵士たち。


 その時、隊全員が一斉に振り返る事で、これまで左端だったテオドロスは、右腕を自由に動かす事が出来る、右端の位置を確保。



「テオドロォォス、放てぇぇ!」



 部隊後方……いや、今は部隊自体が振り向いている為、部隊前方に仁王立ちしているサロスリーダから、テオドロス個人への直命が庭園の遊歩道内に木霊する。



「ふんぬぉぉぉぉぉぉ……」



 テオドロスは、自身の全体重を掛け、渾身の槍……そう、先ほどトビーから譲り受けた仲間バルテの残してくれた短槍を、魔獣に向けて、大きく投げつけたのだ。



 ――ブォォォォン



 通常の槍とは到底思えない。地響きにも似た、凄まじい音きをまき散らしながら、その槍は魔獣の脇腹へと一直線に吸い込まれて行く。



「グォォアルルルルッ!」



 突然、空中で自身の脇腹に鋭い痛みを感じた魔獣は、態勢を崩しながらも、何とかファランクスを再構築した兵士達の頭上を飛び越える。そして、丁度サロスと兵士達の中間ぐらいの領域へと、脇腹を庇う様に降り立ったのだ。


 いや、『降り立った』と言う表現は完全に言い過ぎだ。空中で態勢を崩した魔獣は、右後ろ脚大腿部を、これでもかと強く石畳に打ち付け、そして、第二撃に備えるべく、遊歩道の脇の方へと、半分体を預けた様な状態で、無理やり立ち上がったに過ぎない。



「へへっ! どんなもんだいっ! やってやったぜぇ」



 魔獣の脇腹へ渾身の短槍を放り込んだテオドロス。片膝を立てたファランクスの状態は維持しつつも、右腕を力強く握りしめたかと思うと、高々とその拳を突き上げた。



「魔獣の分際で、俺様に盾突こうなんざ、百万年早えんだよぉぉ!」



 テオドロスは魔獣に向かって、中指を立てる屈辱のポーズを披露。


 一方、魔獣の方はと言うと、今だ脇腹に短槍を咥えこんだままの状態で、辛うじて立っているのが精いっぱいの状態だ。



『くっつ、不覚っ! 我の皮膚を貫通させるだけの槍を放つ者がいるとは……』



「よぉぉし、このまま畳みかけるっ! 横列、突撃ィィッ!」



 サロスの掛け声とともに、部隊は槍と盾を全面に出した状態のまま、魔獣へと突進を開始する。


 魔獣の方も、ファランクスに対して相対する様、体の向きを変えようとするのだが、今度は背後から、挟み撃ちの様に、サロスの放つボウガンが、その身を抉る。



 ――ヒュッ……トスッ!  ……ヒュッ……トスッ!



 サロスは流れる様な手さばきで、次々と鉄矢を魔獣へと叩き込み、魔獣に反撃の糸口を掴ませ無い。



「グォアァァァッ!」



 何本目かの鉄矢が魔獣の左目を直撃。 間一髪、魔獣は左前足でその弾道を逸らす事に成功し、鉄矢が左目を貫通して前頭葉へと届く前に振り落とす。


 もちろん、その一撃により魔獣の左目は完全にその光を失ってしまった。



「ゥアッツガッツガァッツ!」



 余りの苦痛と、怒り、更には自身の流す血の臭いに酔ってしまったのか、魔獣は狂った様に暴れ出し始める。



「一旦後退っ! 後方十メートルで態勢維持っ! 第二撃に備えよっ!」



 サロスの掛け声の元、部隊は粛々と後ずさりを開始したかと思うと、約十メートルの距離を取った所で、停止。 魔獣への第二撃に備え、手元の槍を肩越しに構え直した。



 半狂乱状態となった魔獣に、これ以上の追撃は不利である。と、いち早く見切ったサロス。


 しかし、その判断は果たして正しかったのか?



『ぐぉぉぉ、熱い、左目が焼けるっ! おのれぇ人間の分際で、我に盾突こうとはっ! この恨み晴らさではおかんっ!』



 魔獣は狂乱に支配されそうになる自己を、グッと心の中に抑え込むと、挟み撃ちとなっている不利な状況を把握。この状況を打破するため、鬱蒼と草木が茂っている林の中へとその身を投じたのだ。



「……まっ魔獣が逃げたぞぉぉ!」



 兵士の間からは、安堵のため息とともに、魔獣を撃退したと言う思いから、ひと際大きな歓声が巻き起った。


 しかし、ただ一人、サロスは眉間に皺を寄せたまま、魔獣の走り去る林の中へと目を凝らす。



「……マズいっ」



 サロスは険しい表情のまま独り言ちると、突然大音声で、歓喜に包まれている部隊へと指示を出した。



「全員、全速で魔獣を追うっ! お前たちは遊歩道を急ぎ駆け戻り、庭園側から館の方へと向かえ! 俺は、館の方から庭園の方へと回るっ! 急げっ! 急げぇぇ!」



 声を嗄らしてそう叫ぶと、自分自身は一目散に、館の方へと駆け出して行く。



「くっ……アゲロス様ぁっ! 申し訳ございません。 ご無事でっ!」



 サロスはそう呟きながら、己が最大限の速度で来た道を駆け戻って行く。


 魔獣が逃げた方向……。


 そう、それは、アゲロスの寝室がある方角で間違い無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る