5月16日(日) 広島市中区基町にあるイタリア料理店「トラットリア カッチーヌ」でランチする。

広島市中区基町にあるイタリア料理店「トラットリア カッチーヌ」でランチする。


イタリアに触れる流れとして「トラットリア カッチーヌ」さんでアサリの白ワインソースを食べた。


飲食店での酒の提供は禁止され、広島市映像文化ライブラリーも明日から休館に入り、予定は予想外に消えていった。そこに関しての落胆は個人的な感情だけとなり、直接の収入にほとんど影響はないからうわべの反応でしかない。辛い悲しいなどは比べるほどもない楽観的な立場だろう。


休日とはいえ人もまばらな店内で、イタリアンドレッシングという名前を想起させるサラダを食べると、パスタの細さはすぐに運ばれてくる。身のしっかりあるアサリを手にとっては食べ、小皿に二枚貝を並べていく。オイルに乾燥唐辛子とニンニクが付ける明瞭な味で、やや強めの塩気と旨味が素朴なパスタだ。


明日から月火水木と予定は空いていたが、さらに金土日と続き、ギャラリーに行く以外は空白となってしまった。昨晩「雨が続くからベンチにも座れないね」と言われたが、本当にその通りで、ケーキや料理をテイクアウトして文章欲を満たせばいいのだが、節約も心がけないといけないので、ふと、自宅があるのは12階建てのマンションだから、毎日各階の階段に座って上がっていけば、12回分のこじつけができると思ってしまった。無意味で馬鹿馬鹿しく、他の人にとってみれば酔狂にもならず、無駄以外のなにものでもないだろう。


そこで思い出すのは、自分は右利きだが、ほとんどの作業で左手を使うことができて、鏡文字を書くことができる。ただし書いたあとの文章を読むのはすこし集中力がいるので、頭の中身を出すという意味において鏡文字を書いたり、近くにいる人から内容を読まれたくない時に使うことがある。一度それを誰かに見られたことがあり、ひどく気味が悪く思われ、それから距離の遠くなったことがあった。人は理解できない物事に対して、嫌悪して遠ざける傾向があるにしても、ただ逆さにした文字を書いているだけで、存在すべてを否定したくなるようだ。


とにかく無駄を好む傾向にあるらしい。予定がなくなったならじっとしていればいいものを、どうも何かしたくなる。


しつこいようだが、公共の場であるマンションの階段に座ると苦情が掲示板に張られるかもしれないので、なにかの短編集でも探そうかと考える。


要するに暇ができると無駄口を叩くどころか、無駄事も始めるわけだ。真空を埋めるこの世の性質のごとく、パスタを食べながら無駄なことばかり考えるランチとなり、無為にならない為に、人の為でない自分の生活の人為を探してしまう。

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